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森田療法のこと2

30代後半で場面緘黙的な症状や対人恐怖症が再発したのは、私にとって物凄くショックで、情けなさで世の中の全てから逃げてしまいたい気持ちでいっぱいになりました。
そしてまた食べられない眠れないといううつ病になったのですが、私にとってうつ病とは逃げ場なのかもしれません。
情けない自分とは向き合いたくない、治ったと思っていた場面緘黙症や対人恐怖症が今さら再発したなんて受け入れたくないと、布団の中に潜り込んでしまうような状況でした。

でも当時の私には大学受験と高校受験を控えた子供2人がいて、布団の中に潜っている時間なんてありません。
彼の会社は逃げるように辞めてしまいましたが、資格をとりながら働ける訪問介護事業所に転職しました。

資格をとるためのスクールでも対人恐怖の症状が出まくり、学校という空間から学生時代のことをありありと思い出し、うつ病も完治していなかったのでとても苦しかったですが、何とか乗り切り、訪問介護士として働き始めました。

訪問介護の良いところは、ほかの職員とほとんど会わなくて済むところです。
事務所に戻るのは一瞬なので、会社員のように一日中隣や向かいに誰かが座っていることもないし、お店のように入れ替わり立ち替わりお客さんが来ることもありません。
利用者さんとも1対1で接するので、1対1なら比較的話せる私にはぴったりの仕事でした。

でもその勤めた事業所が不正をしていることが分かり、不正に加担している状況であることが耐えられず、2年ほどでまた辞めてしまいました。

その後、知り合いの紹介で別の訪問介護事業所に転職しました。
以前の事業所は車移動だったのですが、今回はバイクか自転車しか使えず、バイクが苦手な私は自転車移動になりました。

電動自転車ではありますが、最長で片道45分かかるところに訪問しなければならず、正社員で7、8軒回る体力は私にはありませんでした。

そんな経緯があり、現在は、彼の会社の仕事を在宅で受け、訪問介護はパートとして続けるダブルワーク生活をしています。

在宅ワークはメールのやりとりだけでやれるため、今まで生きてきた中でいちばん、最小限の人付き合いで生きていける!
私にとって夢のような生活でした。

でも人付き合いから逃げているという負い目は感じていました。
厚生年金にも加入できないし、訪問介護はパートだと利用者さん都合のキャンセルのたびに収入が減って安定しないため、この働き方をいつまでも続けるわけにはいかないという思いがあり、もう一度、森田療法をゼロから学び直すことにしました。

15年ぶりぐらいに集団会(森田療法の自助会のようなもの)に参加したり、本を読み直したりしました。

ある日、片道45分かかる利用者さん宅からの夜道を自転車で帰宅中の時のこと。
いつもと違う道を通ったこともあり、大きめの段差に気づかず、思いきり転んでしまいました。

車道に荷物をぶちまけ、歩行者数人に拾い集めてもらい、両膝を擦りむいて立ち上がるのに時間もかかり、しばらく車道の一部を封鎖してしまう事態になりました。

経験不足からオムツ交換がいつまで経っても上達せず、上司からグループラインでダメ出しされて落ち込んでいたこともあり、転んだ恥ずかしさと痛みで、涙が出そうになるのを必死にこらえました。

数人に助けてもらったおかげで荷物はすぐ回収できて、自転車を漕ぎ始めたものの、両膝がジンジン痛くて、家までの道のりは長く、漕ぎ始めたとたんに涙が溢れました。

でもふとその時、森田療法の「あるがまま」という感覚が分かった気がしたのです。

「『オムツ交換がうまく出来ず私はダメだ』なんて思わずにがんばらなきゃ!!」でもなく、
「ダメな自分も全部受け入れなきゃ!!」でもなく、

介護職も向いてないなー
私は何やってもダメだなー

そう感じたことを良い悪いで分けず、その気持ちを封じ込めたり捻じ曲げたりしていじくらずに、そのまま。

本当にそのまま、ただそのまま感じることがあるがままだったんだと、両膝がジンジンしたまま自転車を漕ぐという状況の中で、体得とまで言えないかもしれませんが気づいたのでした。

森田療法は15年ほど前に、子供たちが寝静まった後何冊も本を読んでめちゃくちゃ勉強して、もう分かったとか、もう直ったとかイイ気になっていましたが、全然分かっていませんでした。

森田療法の「あるがまま」を、「自分はダメだと思ってしまうけど、ダメな自分も受け入れてあるがままでいかなきゃなー」ぐらいにしか認識できていなかったのです。

森田療法では「治る(直る)」という言い方をしません。症状はありながらもやるべきことをやるというスタイルで、やるべきことをやる中で、症状があってもやれるという体験をしていき、その体験を積み重ねていくうちに、気づけば症状が少し気にならなくなってきたということを繰り返していくというもので、薄皮を剥ぐように徐々に良くなると表現されます。(詳しくは森田療法関連サイト等をご覧ください)

症状がありながらもやるべきことをやるということは私には難しく、悶々と悩んでしまう時は何も手をつけられず、仕事や家事は最低限こなしながらも、心ここにあらず、頭の中は悩みのことでいっぱいという状態でした。

でも両膝が痛くても自転車は漕がないと進まないという経験は、頭で何時間も考えたり、何冊も本を読んだりするよりも、私に森田療法の真髄を教えてくれました。

言葉にしてしまうと、結局、頭で納得しようとしてしまい、元の自分とあまり変わらなくなってしまいますが、あの日転んで起き上がってからの帰り道は、不思議なほど心が軽かったです。

あの日のような、言葉には表せないような体験を積み重ねていくことが、私には大切なんだろうなと感じました。

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