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ブルックナーが好きな女たち 小泉和裕/東京都交響楽団の交響曲第2番

サントリーホールで都響定期を聴いてきた。

ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲 op.56a
ブルックナー:交響曲第2番 ハ短調 WAB102(ノヴァーク:1877年稿)

指揮:小泉和裕

小泉和裕を聴くのは3度目。初めて彼を聴いた名古屋フィルとの「エロイカ」はゾーンに入ったような超絶的名演だった。

続いて聴いた神奈川フィルとのブラームス4番は前回でハードルが上がってしまったせいか、やや大味な印象だった。
しかし、小泉の芸風が「本格・王道」であることがわかってきた。

そして、今日の都響。来年の九響の東京公演も聴けば、小泉と縁の深い4つのオケすべてで聴いたことになる。

今日もやはり本格の指揮だった。

小泉さんは初心者におすすめだ。もともと私は小泉さんを「地味な名匠。堅実なだけで面白みのない教科書的な芸風」と思っていたのだが(すいません😂)、実際はオーケストラをしっかり鳴らしきる本格派なので、模範回答とはまるで違う。
オーソドックスの凄さを知らしめる指揮者である。

背筋が常にピンとしていて、運動習慣のまったくない40代の私より肉体年齢若そう😅

先日ウィーン・フィルの来日公演のウェルザー=メストの代役がソヒエフに決まったが、小泉のようなベテランがウィーン・フィルを振る方がよほど聴いてみたい。
むかし振ったことはあるようだが、巨匠となった小泉がウィーン・フィルからどんな音を引き出すか大変興味がある。

今日の演奏会は素晴らしかった。ソロ・カーテンコールの拍手も大きかったが、一番良かったのは演奏中の飴玉がなかったこと。

飴玉の何が腹立つかって、みんなが美しい音に陶然としてるのにそれを平気でぶち壊すような行為だからですよ。
薔薇園でマルボロを吸う行為と言えば、いかに罪深いかわかってもらえるだろうか。

腹が立つ以上に、そんな雑な態度のやつと聴いてることが悲しくなるのだ。
今日は久々にお客さんの心が一体となるようなコンサートだった。個人的には高関健/シティフィルのマラ9(オペラシティ)以来だった。

席に座るときに隣の人の前を通ろうとしたら「どうぞ」と言われて身体を横に向けてくれたのも嬉しかった。
私も「ありがとうございます」とか「失礼します」と言って日頃から前を通るようにしてるが、無言で通るやつは嫌だね😅
隣のお客さんが感じのいい人だと、リラックスした気持ちで聴ける。

さて、ブラームスだが、格調高い名演だとは思ったが、私は「○○の主題による変奏曲」が苦手。
バッハのゴルトベルク変奏曲は好きだが、エルガーの「エニグマ」やラフマニノフの「パガニーニの主題による変奏曲」も苦手。
作曲家の腕自慢みたいに感じるせいかもしれない。

小泉和裕は最後の音を円を描くような指揮で閉じたが、ふわっとした残響音はまるでステーキの肉汁のようだった。

以前「釜飯のおこげ」に例えたことがあったが、自分の興奮をすぐに表現したいばかりにフライング拍手したがる不粋な客が少なくない。
そんなに表現したいならスタンディング・オベーションすればいいのに。

今日はサントリーホールの残響がやけに長く感じた。名演の残響音がいかに贅沢な“部位”かを多くの人に知ってほしい。

休憩になると男子トイレに長蛇の列。
通称「ブルックナー・トイレ」はいまや観光名所にすらなっている。
私は初めてアーク森ビルのトイレを使いました。 

後半はブルックナー。

私は大のブルックナー嫌い😅 その理由は以下の記事に書きました。


太宰治の『御伽草紙』の「カチカチ山」に出てくる、処女の美少女兎を追っかけ回す愚鈍な狸のような野暮ったさを感じるからである。

ラヴェルのピアノ協奏曲の第2楽章の対極にある世界だと思う。

愚直といっても、高倉健や河島英五ならかっこよさはある。
私にはブル8の世界はエスパー伊東に感じてしまう。

私がASD(自閉スペクトラム症)だから感じるのかもしれないが、ブルックナーの音楽もそんな雰囲気あるんだよね😅

ひたすら「俺流」の世界。改訂は繰り返したけど、音楽性には迷いがないよね。
開き直りの音楽。

しかし2番は、以前ティントナーのCDで聴いたときに「ブルックナー臭」をそれほど感じず、くどさに辟易しなかった。

レーグナーの6番もよかった。6番は来年バーメルト/札響で聴きたいと思っている。

今日のブル2の圧巻は第2楽章だった。

何と美しいアダージョ!  私は初めてブルックナーの純朴な恋心を感じましたよ。

どんな心境で書かれた音楽かは知らないが、私の頭の中には架空の「24時間テレビ」のスペシャルドラマの映像が浮かびあがった。

長く入院している難病の恋人のために、写真家が世界中の絶景を撮影してエアメールで送る話。

写真家は阿部寛がいい。恋人役は戸田菜穂か蓮佛美沙子か…、いや麻生久美子かな、と小泉のブルックナーを聴きながらそんなことを考えていたのが私だけなのは間違いない😅

楽章の後半で音楽が盛り上がるところはさながら巨匠が子供時代の夢と戯れるような風情だった。

小泉の「本格」の芸風はブルックナーの音楽性によく合っている。ヴァントのスタイルに近いのかも。

以前は「名匠クラスでしょ?」と思ってたが、3回生で聴いてみて「いま日本人で巨匠と呼べるのは小泉だけでは?」と思うほどだった。

しかし第2楽章は優美そのものだが、スケルツォに入ると途端にくどさが出てくる。それでも8番などに比べたら全然ましなのだが、突然さかなクンが「ギョギョギョ!」と言い出したみたいで思わずチャンネルを変えたくなる。

「アダージョ・ブルックナー」なら買ってもいいが「スケルツォ・ブルックナー」は勘弁。
しかし、スケルツォにこそブルックナーの真髄はあるのだろうと思う。

今日びっくりしたのは客席の女性率の高さ!
世の中にはこんなにもブルックナー女子がいるんですね🤔

かつて私は『ブルックナーが好きな女はいない』という小説を書いたが、撤回せねばなるまい😅


女っ気のないブルックナーの世界を愛する女性がこんなにもいるとは……。

合コンにドラえもんのTシャツで来るような男ですよね?(むかしの「電車男」みたいな)

だが「蓼食う虫も好き好き」ということわざもあるように、世の中の女性がみな神尾楓珠が好きなわけではない。エスパー伊東が好きな女性だっているだろう。

そこで私は考えた。ASD男性は集団の場で自分をアピールするのが大の苦手。どんくさいので何をしても格好悪く見える。

「好きな作曲家や演奏家」でつながれるマッチングアプリを作ればいいのだ。

仮に「Tintner」としよう。ブルオタの男女がマッチすれば、最初のデートはもちろん秋山和慶のブルックナー。

コンサート後のディナーは「ハース版とノヴァーク版の違い」で大盛り上がり。

そんな“精神性の高い”会話が神尾楓珠に期待できますか?(しなくていいけど)

ASD男性は好きなことの話ならいくらでもできる。このアプリがあれば「好きな作曲家はリスト(ラヴェル)」という女性との不幸な出会いを未然に防ぐことができるのだ。

奇しくも来年はブルックナー生誕200年。少子化対策の一環として、岸田内閣はブルックナーの演奏会を増やしてブルックナー女子を量産すべきであろう。

非モテの独身中年男も諦めてはいけない!

日本の未来は決して暗くないのだ。

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