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サラステ/N響のシベリウスは歌わない サントリーB定期

サントリーホールで、NHK交響楽団B定期1日目を聴いてきた(11月15日)。

シベリウス:交響詩「タピオラ」作品112

ストラヴィンスキー:ヴァイオリン協奏曲

《ソリストのアンコール》
フィンランド民謡「コプシン・ヨーナス」

シベリウス:交響曲第1番 ホ短調 作品39

ヴァイオリン:ペッカ・クーシスト
指揮:ユッカ・ペッカ・サラステ

久々に大ハズレのコンサートだった😵

何がハズレかというと、サラステとN響の相性が相当悪いと感じたのだ。

N響や都響はお仕事的なムードで演奏してると感じさせることが時折あるが、昨日はそういう感じですらなく、指揮者を拒絶している雰囲気にも見えた。

バーンスタインが生涯でただ一度ベルリン・フィルを指揮したときのエピソードにこんなものがある。

ふだん帝王カラヤンに完全に制御されてる楽団員たちが、リハーサル中まったく彼の指揮にノってこないので、「不感症のようなオーケストラの態度にバーンスタインは業を煮やした」という記述を読んだことがある。

この品のない表現を人前では口にしないが、昨日サラステの指揮に反応しないN響を見て思い浮かんだのはこの言葉だった。

サラステを聴くのは24年ぶりだ。前回はフィンランド放送響で、「パルジファル」前奏曲、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(前橋汀子)、「エロイカ」だった。

当時の鑑賞日記によると、お目当ての前橋汀子はイマイチだったようだが、ワーグナーの響きは清澄で、ピリオド・アプローチの「エロイカ」は音に魂がこもっていたそう😅

つまり、そのときのサラステの印象はよかった。

昨日は最悪だった😢

3曲とも生で聴くのは初めてかもしれない。

「タピオラ」はシベリウスが60歳、交響曲第1番は34歳の年に作曲されている。

老境の交響詩と初期の交響曲。プログラミングは面白い。

「タピオラ」はほとんど初聴きに近かったので、曲の理解が浅いのは否めない。
とはいえ、オーケストラの表現がやたら硬かった。

全曲聴いた後にも改めて思ったのだが、まだ若いコンマスの郷古さんに相当な負担がかかってるのでは?🤔

N響のコンマスはマロさんが第一線を退いて、その後を引き継ぐはずだった(?)白井さんも退団。
若い郷古さんに日本一のオーケストラのコンマスの重責がのしかかっている。

最近のN響はいろんなコンマス経験者をゲストコンマスにしてるので、もう一人常任のコンマスを置きたいのだろう。
伊藤さんはいるけど、伊藤さんってソリストやるわけではないし、いまいち存在感が……😅

「タピオラ」、オケの動きがやたら硬いから、カンタービレな感じにならんのですよ(イタリア音楽ではないけど😅)

ヴァンスカ/都響のシベリウスのときは前半の5番がちぐはぐで、後半の6番7番から指揮者とオーケストラが一心同体になった。昨日は最後までちぐはぐだった。

オーケストラが朗々と歌わない。ドライブしない。音楽がうねらない。

新任の先生の新学期の授業みたいな感じ? 質問しても、クラスがシーーーーン😅

それでも一応拍手はしました。この後に期待、って感じで。

ストラヴィンスキーは拍手しなかったです🥺

こんなことを書くと生意気なオタと思われそうですが(とっくに思われてる?😅)、私は評価したくて拍手してるのではなく感情表現として拍手してるのです。

職場の付き合いじゃあるまいし、いいと思わないものになんで気を遣って拍手しないといけないのか。

本当に感動したときはスタオベしたりたくさん拍手します。
いいと思ってないのにお愛想で拍手してるとだんだん虚しい気持ちになりますね😞

クーシストは電子楽譜を見て弾いたのだが(わりと簡単な曲ではないの?😅)、協奏曲にもかかわらずソリストがひたすら譜面とにらめっこしていて、音楽が溶け合ってるようには感じられなかった。

ソリストが自己完結していた。指揮者やオーケストラと一緒に音楽を作っているように聴こえ(見え)なかったのだ。
オタク的にひたすら自分のペースで弾くクーシストに、指揮者もオーケストラも合わせてる印象だった。

躍動的だったりリズミカルでチャーミングな佳曲なのに、心踊るダイナミズムがなかったのも大きな不満だった。

終始こじんまりした展開。P席で聴いていたことを差し引いても、ヴァイオリンの音色が痩せすぎだった。

エキサイティングでもスリリングでもチャーミングでもないストラヴィンスキー。拍手する気にはとてもなれなかった😔

ただ、アンコールはよかった。

最初、弱い音でチューニングしてるのかな?と思ったら、掠れた重音からだんだんと音楽が形作られていった。

民謡風に聴こえたが、実際フィンランド民謡だったようだ。

曲の終わりも、風で炎が徐々に消されていくような終わり方。

モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」みたいにくっきり音楽が始まってくっきり終わるのではなく、日常の中のノイズが音楽になり、やがてまたノイズになって消えていくという、現代アートのような音楽だった。面白かった。

こちらは拍手しました😊👏👏👏

シベリウスの交響曲第1番はイマイチ🥲

第1楽章は「タピオラ」とは打って変わって力強いフレージングが随所で見られたので、「おやっ?  休憩で変わったか?」と最初は思った。

ところが、ヴァンスカ/都響のように一心同体にはならず、オーケストラがのびのび歌う場面は見られなかった。
強奏の場面は無理やり大きな音を出してる力任せな印象もした。

第4楽章の途中からオーケストラに多少熱が入ったかに見えたが(終わりさえよければ拍手が起きるのが日本のコンサート😅)、それでも熱量に限界を感じたので、サラステと相性悪いんだな〜と感じてしまった。

N響が嫌いで悪口書いてるんじゃないですよ😅
ノセダのショスタコーヴィチ8番は超名演だった。

昨日はオーケストラが指揮者に全然反応しないという、最近私が行った中では珍しいコンサート。
指揮者に従いたくない、という拒絶ムードさえ感じてしまった😓

全然歌わない音楽を2時間も聴いているのは苦痛だった。

シベリウスの1番の後も拍手はせず、サラステが舞台から引っ込んだタイミングでホールを後にした。

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