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巨匠が果たせなかった夢のような 黒澤明の遺作「まあだだよ」
黒澤明の遺作「まあだだよ」を見た。
監督・脚本・編集
黒澤明
出演
松村達雄
香川京子
井川比佐志
所ジョージ
寺尾聰
音楽
池辺晋一郎
見るのは2回目になる。「カラーの黒澤はダメ」なんて昔は言われていたが、いまはどうなのだろう。
私はカラーの黒澤も好きである。黒澤映画は十数本見ている。
対して溝口や小津は1、2本、成瀬巳喜男は見たことすらない(嫌いなのではなく不勉強なだけ😅)。
最初に見た黒澤映画は「七人の侍」。中3くらいだったろうか。映画の名作ガイドを読んで、邦画のベスト1だったから借りてみた(洋画のベスト1は「市民ケーン」)。
「七人の侍」はリーダー格が三船敏郎だとばかり思ったので、しばらくのあいだ志村喬と三船敏郎を逆に覚えていた😅
古典は若いうちに触れておくに限る。その後の人生が全然変わってくる。
最近では「字幕の映画が苦手」とか「古い映画は見ない」という人も多い。もったいない話だ。
黒澤映画で一番好きなのは「生きものの記録」。
水爆の恐怖で気が狂っていく老人を三船敏郎が熱演。人が静かに狂っていくさまを克明に描いた傑作だ。
「まあだだよ」の話に戻るが、こちらは実にほのぼのした世界。内田百閒(松村達雄)と彼を慕う教え子たちの交流の話である。
内田百閒の随筆は少ししか読んだことがないのでどこまで本当のエピソードを使っているのかわからないが、家のあちこちに泥棒向けの貼り紙を貼ったりと百閒先生のユーモアが痛快だ。
教え子の中でもお調子者の所ジョージがとてもハマっている。
井川比佐志の生真面目なキャラもよく合っている。
女性はほぼ香川京子しか出てこないという男くさい映画。
「摩阿陀会(まあだかい)」でみんなが盛り上がる中、祝辞を述べるのが下手だからその代わりにと言って、一人突っ立って延々と北海道から鹿児島までの駅名を連呼する男がいる。
なんでわざわざこんな人物を黒澤が用意したか自分なりに考えたが、おそらく昔はこういうはみ出し者がどのコミュニティにもいたのだ。
全員が同じ行動をする全体主義的なムードを嫌ったのかもしれない。変わった奴が一人混じってても温かく受け入れようじゃないか。そんなメッセージに感じた。
愛猫のノラが行方不明になり、憔悴してすっかり老け込んでしまう百閒先生。人間がどう老いていくかを描いていて大事なエピソードだと思うが、「用心棒」などのダイナミックな黒澤作品が好きな人からすれば猫の失踪など欠伸の出るシーンかもしれない。
しかし、チャップリンにおける「ニューヨークの王様」や伊丹十三における「静かな生活」のような、一見地味な作品の方が監督の作家性が出ているのかもしれない。
ベートーヴェンだって晩年にバガテルを書いている。「第九」や「皇帝」ばかりがベートーヴェンではあるまいと思う。
「オイチニの薬屋さん」のシーンは黒澤的なダイナミズムを感じた。
この映画、「仰げば尊し」や「月」(♪出た出た月が〜)など、随所に歌のシーンがあり、さながらミュージカル映画である。
そして、ラストシーンとその前に2回、ヴィヴァルディの「調和の霊感」第9番の第2楽章が使われている。
このアイデアが音楽担当の池辺晋一郎によるのか監督自身によるのかは知らないが、実に映画にハマっている。ヴィヴァルディがこんな人生の夕映のような音楽を書いていたんだ!と驚いた。
ラストシーンは百閒先生の夢の中で彼の死が暗示されるが、「夢」の狐の嫁入りを少年が眺める場面を思い出した。少年時代の思い出は黒澤の原風景なのかもしれない。
随所にユーモアが散りばめられ、師弟の深い情もよく描かれている。
私は同窓会に出たことがないので、卒業後に恩師を囲んだことがない。
社会人になってから学生時代の先生に接するってどんな感じなのだろう。
「(死ぬのは)まあだかい?」「まあだだよ!」のやりとりは洒落ている。黒澤も「これが最後の作品ですかね?」と問われると「まあだだよ!」と返していたそうだ。
見ていて思ったのは、ああこうして人間は死に向かっているのだなぁということ。百閒先生が倒れる「摩阿陀会」は17回目だったろうか。
誰もが天寿を全うできるわけではない。突然理不尽に命を奪われることもあれば、自死を選ぶこともある。
「先生!死ぬのが怖いんです!」「安心しなさい!みんな死んでます!」というジョークを聞いたことがあるが、これは真実で、今まで死ななかった人はいない。
手塚治虫の『火の鳥 未来編』を読んだので不老不死に憧れはないが、死後のことを考えると多少の怖さがないとは言い切れない。願わくば、順番が来たらすっと黄泉の池に飛び込めるような精神状態でいたい。
伊丹十三もロビン・ウィリアムズも、蜷川幸雄も平幹二朗も、児玉清も古井由吉も、宇野功芳も朝比奈隆も、まあ何と多くの愛する人たちが鬼籍に入ったことだろう。
私はあまり天国を信じていない。死ぬ人の大半が天国に行ってたら人口密度が大変だ。
手塚治虫が描いていた輪廻転生が一番しっくりくる。来世は虫さんか植物さんか。人間はもう十分という気もする😅
黒澤明は「天皇」とも呼ばれ、周りから畏怖されたというが、本当は「まあだだよ」の内田百閒のように愛弟子たちからからかわれたかったのではないだろうか。
「まあだかい?」「まあだだよ!」のやりとりは巨匠となった黒澤が叶えられなかった夢のようにも思えるのである。
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