間宮林蔵記念館
こんばんはこぐまです。
先週の木曜日(祝日でしたね!)に、
間宮林蔵記念館という場所に行ってきました。
場所はつくばみらい市の外れにあります。
もともと行こうと思っていたわけではなくて、お昼ご飯を食べた後、家族でプラプラーっと車を運転していた途中で見つけたものでした。
また恥ずかしながら、間宮林蔵という歴史上の人物についても名前くらいしか・・という感じでした。
ということで、何をやった人かというのは、こちら。
平たく言うと、北海道北部と樺太の地図を作成し、樺太が島であるということを発見した人と言われています。
んで、この場所には何があるかというと、その功績をたたえる記念館と、間宮林蔵の生家とのことです。つまり、この場所(正確にはこのすぐ近く)で幼少期過ごしたということですね。
すぐ隣に、記念館があります。鉄筋コンクリートの建物で比較的新しいなあ~と思っていたのですが、係の方に伺ってみますと、平成になって建てられたとのことでした。
記念館の中は撮影はできないので、文章だけになってしまいますが、
料金は大人で100円です(安い!)
そして、入って少し奥に大きなモニターがあり、そこで間宮林蔵の紹介DVDをみることができます。
これが小さな子でも理解できるような紙芝居形式になっており、3歳の下の子は、「もう一回見たい!」といっていました。(興味があるかどうかは別としてw)
間宮林蔵はやっと授かった一人っ子として誕生し、幼少期は神童として算術等に秀でていたそうです。近くを流れる小貝川の流れを堰き止めて田んぼに水を引く作業が難航する中、林蔵は画期的な方法を発案し実施したことから幕府の役人に認められ、御庭番として国の仕事を任せられるようになります。
そして、伊能忠敬(これは日本地図を作った方として結構有名な方ですね!)の元で測量技術を学び、北海道北部~樺太の地図を完成させたそうです。この当時、樺太が大陸なのか島なのかはわかっていなかったそうです。確かに今のように航空技術があるわけでもないから、船と足で見える景色で地図を作っていくしかなかったんですね。
巨大なユーラシア大陸の一部である半島なのか、それとも分断されている島なのかという謎は、(細かくはわかりませんが)当時の政治、戦争の状況的にもとても重大な情報だったのかなと思います。林蔵はそれを島であると断定したのですね。樺太とユーラシア大陸を分ける海は、間宮海峡という名前で今も残っています。
記念館の中には、林蔵が幕府に献上したという樺太の地図の一部が展示されていました。メートル級のとてもとても大きな紙の上に、200年以上も前のものとは思えないくらい精巧な描画で記されていました。
幕府に献上した地図の成果物は畳14畳分にもなるとのことです!!
ちょっとSNSやれば世界中の情報が手に入る今と違って、どうやって連絡を取り合ったりしたんだろう・・なんでうまくいったんだろう・・みたいなことを考えると、本当にすごいなあと思います。ていうか、電車も車もない中で普通に江戸から樺太に行くだけでもすごいと思う・・!
ということで、少し歴史に触れることができた楽しい記念館でした!
興味がありましたら是非足をお運びください!
読んで下さってありがとうございました!