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古賀史健さんの「さみしい夜にはペンを持て」を買って

「さみしい夜にはペンを持て」を買いに近くの書店に向かっているとき、私は強く「救われたい」と思っていた。写真家の幡野広志さんが「他人に判断をゆだねてきた人は、死の間際で後悔する」というようなことを読んだ記事の中で言っていて、その記事を読んだときに自分の悩みを自分で解決できるようになりたいと思った。でも現実はその方法が分からなくていつまでも同じことで悩み苦しみ続けている。考え方が分からない。このぐちゃぐちゃな頭の中の整理の仕方がわからない。ずっと悩んでいるのは苦しい。どうにかこの苦しみから救われたい。
この本のことはTwitterで知って気になっていた。著者の古賀さんとほぼ日の糸井重里さんの対談を読みながら、いつかこの本を買うんだろうなあとぼんやり思っていた。

今日は最悪な1日だった。悪い出来事が多くあったという意味ではなくて、自分の体調が良くないことに全然対応できなかったせいで何をしても気分が悪かった。体が弱ると徐々に心も弱ってくる。落ち込みがピークになった夕方7時、部屋着にコートを羽織って本屋さんに行った。「さみしい夜にはペンを持て」を手に急いで帰ってきてさっそく本をめくった。最初に書いてあった一文を読んですぐ、涙が出てきた。気づいたときには声をあげて泣いていた。大声を出して泣いたのはとても久しぶりな気がする。「昔の自分に戻して」と何度も叫んだ。そのときこれが私の本音なんだと初めて知った。7年前に精神的な病気だと診断される少し前から自分をコントロールできることがガクンと減っていた。週5で一日中行けていた大学には週4の午前だけでも行き続けられなくなった。体重は20キロ以上増えた。睡眠時間も気持ちも安定しない。寝すぎてしまう日も多いし、気持ちはいい時と悪い時の差が苦しい。1週間前の自分がした約束を守れないことばかり。薬を飲むだけの対応では生活をするのに限界を感じていた。体力と集中力がない自分も、太った自分も、不調にふりまわされる自分も、大嫌い。でもそんな自分とも病気とも向き合いたい。上手く付き合えるようになりたい。でも、どうしても怖い。

この本を読んでいて主人公も進路を決めることが「怖い」と言っていた。真剣だからこそ怖い。
考えるためには、書き出すためには、自分の現実を見ないといけない。高すぎる理想は叶わない、という現実を見るのが怖い。私でいうと病気が治る未来がないことを認めないといけない。「昔の私」には、「昔の日常」には一生戻らないことを認めないといけない。

読み進めていて、遠い目標に今の自分を受け入れることをおいて、日記を書くことを楽める気がした。書くことを意識した時間を増やしてみようと思った。たしかに病気や他のことでしんどい時もあるけど、とっても楽しい気持ちになることも多くある。そういう時のこともスローモーションで残していきたい。

本を読んですぐに自分が変われることはないんだろう。日記として残せることも最初は少ないはず。でも、この本を読んでから1日の最後に机に向かって日記を書く自分の姿が想像できるようになった。日記の書き方が分かったからじゃない。すぐに全部を実践する力が私にはないから、本の主人公のタコジローのようにゆっくり出来ることを増やしていこうと思う。自分のペースでいいんだと思えたから続けられそうなのかもしれない。

自分との最初の約束はとりあえず3日間ねる前に机に向かう時間をつくること。
机に向かって日記を書くことが理想で、最低限机に向かえればOKにする。

ゆるく長く続けられたらいいな。

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