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高堂つぶやき集。
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#朝陽

岐阜にいる。今朝は金華山をスーツ姿で山頂まで登り、夜明け前の登山客に氣味惡がられた。あんなのは散歩だと豪語したいところだが、すでに脚が笑っている。この月灯りの後ろには朝陽が昇ってきており、山を挟みて昼夜が寄り添っているようであった。陰陽は等しく同時にあるものなのだと空が微笑した。

【朝陽、重なる洋書】読書文化というのは知的行為ではなく、身体的営みに他ならない。したがって読書中の思考よりも姿勢や感覚の移ろいに重きが置かれるべきものである。本をひらいてはとじ、人々は己の身体を黙読してきたと云ってもよい。人は本であり、本も人であり、人は等しく本から生まれたのだ。

人は情報をちゞめて経験する。わずか3%の情報を美化して、外界を視ているわけである。その脳からの脱獄は陽を意識的に視よと先人は説く。その点で過日の海からのぼる朝陽はたしかであった。無論、朝陽と夕暮れの身体的経験はまったく異なる。陽のさらに奥を視ること。これを解脱といった。陽を視よ。