耳で歩くのが面白い【ウォーキングは『遊び』の大王だ】(3-07)
鳥に興味がなければ、森に入っても、おそらく鳴き声は耳に届かない。
筆者も鳥に興味がない時代は、森に入り、鳥の鳴き声を聞いていたのであろうが、全く聞こえていはいなかった。
今は森に入り、鳥の鳴き声が耳に届くようになった。
我々の耳は、思考性のある、感度のいい収音マイクに違いない。
結論:森の中の音を音楽に見立て、音楽を楽しむために歩いてほしい
森の指揮者
森に入る前は鳥たちの大合唱が聞こえていたのに、森に入るとぴたりとやむことがある。
不思議だ。
どこかに森の指揮者がいて、鳥たちに指図しているとしか思えない。
しばらく進むと、鶯の鳴き声が聞こえることがある。
春先、まだ早い時期は、鶯の鳴き声もまだ下手で、ちゃんと鳴けていない。
でもだんだんと上手になり、緑が濃くなる頃には、ちゃんと鳴けるようになっている。
夏の谷間には、蝉も鳴いている。
蝉時雨という言葉がピッタリで、上から降るように聞こえてくる。
子供が小さい頃は、よく谷間で蝉時雨の音を一緒に聞いていたものだ。
帰り際にサワガニを捕まえて、持ち帰ったのは楽しい思い出だ。
『耳で歩く』とは、こんな風情を言い表したのだろうか。
耳を澄ませば…
森で耳を澄ませば、静寂に色々な音が織りなされていることがわかる。
川のせせらぎ、木の葉を渡る風の音、鳥の声、蝉時雨。
それが一つのハーモニーになっている。
そんなことを考えながら歩いているが、もう一つ欠かせない要素があることに気づいた。
耳である。
我々の耳は、森を歩いているとき、無意識に聴きたい音をより分けている。
鳥のさえずりをより分けることもできるし、キツツキの木をつつく音をより分けることもできる。
もちろん音を織り重ねてハーモニーを楽しむこともできる。
我々の耳は、自然の提供してくれている音を編曲して、自在に楽しむことができる素晴らしい能力を兼ね備えている。
森の中には、いつも自分の好きな音楽があると思っていたが、実は自分好みに編曲しているのだと、最近は思うようになった。
まとめ
今度、森の中を歩いたら、ぜひ何かの音に耳を澄ませて聴いてほしい。
その音だけがクローズアップされて、他の音はごく小さく聞こえるだけになるはずだ。
そして音の織りなすハーモニーを楽しんでほしい。
自分が意外にも、優秀なアーティストだったと気づくはずだ。