心のひだ使ってますか?
久しぶりに聞いた言葉「心のひだ」知ってるけど使わなくなったなあと思いました。
使うようなコミニュケーションも減ったかもしれません。私だけかな?とも思いますが。
そして、今日知ったのは「ひだ」は「手放さない」という意味あいを持つらしく、教えてくださった方は、昔、心にひだのあるような人間になりなさい、と言われたそうです。
イソギンチャクのようなうねうねしたようなひだを持ち、掴んだ物を放さないような心。
周りや相手の気持ちをひだで掴んでそれを理解する、忘れないでいる、そういう意味かなと思います。
そこまで深く知らなかったのは私だけかもしれません。
こちらのみなさんは本も読まれているし、自分でも書くのでご存知の方も多いでしょう。
心のひだをスラスラ文章にできていたのは、高校生まで。
大学にわざわざそんなことを勉強しに行ったのに、全く手が動かなくなり、就職してからは本を読む暇もなければ書く暇なんて。
もう書くことが好きだったことも忘れていた私がまた書き始めたのは、娘が生まれて家にいる時間が増えてきて、日記を書き始めたら内容が日記を超えてしまいました。
ノート1冊分くらい書いたところで初めて主人にエッセイか小説を書いて応募してみようと思う、と言ってみたら内容を見るわけでもなくけなされました。
理由は、主婦がそんなことしたって無駄、ということだったと思います。
そして私はノートを捨てて、書くことが好きだったことも記憶から消去しました。
もうその時にどう感じたかは忘れましたが、ベースには専業主婦は夫を支えるのが仕事で、自分のしたいことをするのは間違っている、というのが主人にも私にもあったんだと思います。
今は全くそんな思想も持ち合わせてはいないし、友達がそんな愚痴を言っていたら全力で慰めて、全力で奥さんというものの人権を否定する人達に文句を言うてやります。
昭和あるあるですが、当時は奥さんは心のひだで旦那さんの心を感じていたわけで、旦那さんが心のひだで奥さんを感じてはなかったというか、旦那さんの心にはひだが少なかったのでしょうね。
そして、また私の前に新しいノートがやってきて、もう誰かに忖度しなくても書き続けても良くなりました。
ここまで書いて、忖度しないイコール心のひだを使わないということかな、と答えが出たような気がします。
つまりもう学生の頃に書いた繊細な表現や自分の心根みたいな物は書けないのかもしれません。
じゃあこれからは何を書いていきましょうかね。
☆nasigorendayo様のphotoをお借り致しました。ありがとうございました。
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