『フランス料理と批評の歴史 』を読む♪
八木 尚子著『フランス料理と批評の歴史 』中央公論新書(2010)は大変に興味深く、とてもスリリングな読書を体験できました・・・それで、さらにこの書物を深読みをして、知的好奇心と熱意を沸騰させようと、とくに時系列を慎重に扱って補足的に関連情報を紐づけてゆくことにします。すべてはフランス料理を愉しく美味しくいただくために🍷
フランス近代の歴史を識る
ルソー『社会契約論』
ルソーは、ジュネーヴ共和国に生まれ、18世紀フランスを中心に活動した哲学者。著書に『社会契約論』、『エミール』、『人間不平等起源論』などを出版している。
ルソーの思想は多くの哲学者や革命家に影響を与え、1789年のフランス革命ではルソーの思想を基盤とした「フランス人権宣言」が作られた。
社会契約によってすべての構成員が自由で平等な単一の国民となって、国家の一員として政治を動かしていく。だが、めいめいが自分の私利私欲を追求すれば、政治は機能せず国家も崩壊してしまう。そこで、ルソーは各構成員は共通の利益を志向する「一般意志」のもとに統合されるべきだと主張した。
ルソーの発言の一部
ルソー思想の日本への影響
中江兆民、生田長江、大杉栄らはルソーの翻訳をし、また作家の島崎藤村は明治42年(1909年)3月に「ルウソオの『懺悔』中に見出したる自己」を発表し、ルソーの『懺悔録』、『告白』に深い影響を受けたと述べている
吉田松陰
「天下は万民の天下にあらず、天下は一人の天下なり」
【仮説】吉田松陰の「一君万民論」は、ルソーの一般意志と同じ位相にある。
【ヒント】
ルソー『社会契約論』の「一般意志」で逆に盲点が生成されるのでは?
ロラン・バルト「中心なき空虚」と吉田松陰の「一君万民論」の関係性。
むかし柄谷行人が例えた、一コマだけ欠損させることで成立するパズルゲームのように。
中江 兆民(1847-1901)
は、日本の思想家、政治家。自由民権運動の理論的指導者であり、フランスの啓蒙思想家ジャン=ジャック・ルソーを日本へ紹介したことから東洋のルソーと評される。
民約訳解 ルソー『社会契約論』仏学塾 1882年(漢文訳)
桑原武夫
柄谷行人:現在のような子どもの理解や子どもの扱いが始まったのは、ルソーの『エミール』以降です。子ども扱い、というやつですね。ルソー以前には、子どもは大人と同じように扱われていて、小さな大人に過ぎなかった。
東浩紀
1755年 リスボン大地震
1755年11月1日に発生したリスボン地震
9時40分に西ヨーロッパの広い範囲で強い揺れが起こり、ポルトガルのリスボンを中心に大きな被害を出した。津波による死者1万人を含む、5万5,000人から6万2,000人が死亡した。推定されるマグニチュード8.5~9.0の巨大地震であったと考えられている。
この震災は近代の扉を開いたとされ、国家が直後の対応と復興に責任を持った最初の近代的災害といわれ、ヨーロッパ社会に多岐に影響を与え新しい科学や技術の数々を誕生させた。
ヴォルテールとルソーは良好な関係にあったのですが、このリスボン大地震の犠牲の受容をめぐって社会は動揺して、神の全能や神の慈悲を懐疑する、キリスト教信仰擁護者への問題提起も起きたのです。その結果二人の関係にも亀裂が入ることになりました。
ヴォルテール派 vs ルソー派
ヴォルテール(Voltaire)
本名フランソワ=マリー・アルエ(François-Marie Arouet)は、フランスの哲学者、文学者、歴史家である。歴史的には、イギリスの哲学者であるジョン・ロックなどとともに啓蒙主義を代表する人物とされる。
同じく百科全書派の哲学者、ドゥニ・ディドロやジャン・ル・ロン・ダランベールなどとは長く良好な交流があったことはよく知られている。小説、詩、戯曲などの文学作品から、日記、多数の手紙(書簡)など、多くの著書を残した。なかでも『歴史哲学』、『寛容論』、『哲学辞典』、『哲学書簡』、『オイディプス』、『カンディード』などが代表作として知られている。
1778年には戯曲「イレーヌ」のパリ上演の知らせを受け、28年ぶりにパリへの帰還を決意する。パリにおいてヴォルテールは熱狂的に歓迎され、多くの人々が押し寄せた。
ヴォルテールは、4月7日にはパリでアメリカ合衆国の駐フランス大使としてやってきたベンジャミン・フランクリンによりフランマソヌリに入会し、1778年4月7日正式 にフリーメイソンとなった。
べンジャミン・フランクリン
1730年に、べンジャミン・フランクリンはフィラデルフィアのセントジョーンズ・ロッジ(St. John’s Lodge)にてフリーメイソンに入会。
1731年、フィラデルフィアにアメリカ初の公共図書館(フィラデルフィア組合図書館)を設立する。この図書館は成功を収め、これを規範にアメリカの他の都市にも図書館が開設されるようになった。
1734年、ウォーター・ストリートのタン・タヴァンのフリーメイソンリー(フリーメイソン)のロッジで、グランド・マスターに選ばれた。
1761年、ガラス製の楽器 グラス・ハーモニカ を発明
1776年、アメリカ独立宣言の起草委員となり、トーマス・ジェファーソンらと共に最初に署名した5人の政治家のうちの1人となった。
1778年4月7日 パリでヴォルテールをフリーメイソンリーに入会させる。
1778年、ヴォルテールは「イレーヌ」の上演をみとどけた後彼の健康は急速に悪化し、5月30日にパリにて死去。
ヴォルテールの死後、彼の蔵書と草稿はロシア帝国のエカテリーナ2世が購入し、サンクトペテルブルクにて保管されることとなった。また、彼の残した膨大な作品の版権はロッシーニ『セビリアの理髪師』やモーツァルト『フィガロの結婚』などを書いた劇作家でヴォルテールを尊敬するカロン・ド・ボーマルシェが1779年に買い取り、国外に印刷所を建設して大々的に全集刊行を開始した。1783年に刊行が開始された全集は1790年にすべて刊行が完了し、20世紀後半にいたるまでヴォルテール研究の基礎となった。
1778 ボーマルシェ『フィガロの結婚』
モーツァルトがフリーメイソンに加入したのは1784年の12月14日のことであり、以後亡くなるまでの7年間は会員だったことになる。モーツァルトは加入して以降フリーメイソンのための音楽を多く作曲しているが、本作は最も有名な作品として広く知られている。
1785 モーツァルト作曲『フリーメイソンのための葬送音楽
1786 モーツァルト作曲『フィガロの結婚』Le Nozze di Figaro, K.492
ベートヴェン第九「歓喜の歌」
1785年 :フリードリヒ・フォン・シラー
1791年 モーツァルト作曲『魔笛』
台本を書いたエマヌエル・シカネーダーもフリーメイソンの会員だった
1791年 モーツァルト没
ドイツ陸軍大将ヴィルヘルム・ルーデンドルフは毒殺説を主張
このように、ヴォルテールとフリードリヒ大王の間に親交があったのです。
🔵フランス革命はユダヤ人の天才的な発明
《イルミナティ》
1775年、インゴルシュタット大学の教会法教授で法学者のアダム・ヴァイスハウプトが哲学・政治理論に関して知的な議論を行う私的サークル「完全論者の教団」を結成する。
1776年5月1日に、アダム・ヴァイスハウプトによってイルミナティが創設された。
1782年7月16日。フリーメーソンにユダヤ人財閥が大挙し入り込む。
なので、真の共産主義の創始者はカール・マルクスではなく、こっちです。アダム・ヴァイスハウプトでしょう。
ヴァイスハウプトは、イルミナティとフリーメーソンの正式な組合を作るため、1782年7月16日にヘッセン=カッセルのウイリアム9世の城で「ウィルヘルムスバッド会議」の組織に着手した。
ビョー=ヴァレンヌはフランス革命の指導者。
「鉄鎖のもとで長いあいだ苦しんできた国民のあいだにデモラシーを樹立することは、無から存在へのあの驚くべ き移行において、自然がはらった努力に匹敵するだろう。」
🔴フリーメイソンが、腐っていった時期。
なぜ? いつから? 理想を追いつづけた秘密結社:フリーメイソンの活動は腐っていったのか?
Bavarian Illuminati
要するに、理想を追い求めたフリーメイソンは、バーバリアン・イルミナティに完全に乗っ取られてしまった、ということになるのかもしれません。
その時期を特定すると、おそらくモーツァルトの死、その直後あたりかもしれないです。そして、フランスは「愛と平和」、「人権」、「自由・平等・博愛」主義の合成されたベクトルにのって、本格的な共産主義の時代の到来を知ることになっていった訳です。
1812年 ナポレオンがロシアに侵攻。皇帝アレクサンドル1世の立案で救世主ハリストフ大聖堂が建築されることになり、1882年に完成。同年にチャイコフスキーは『序曲1812年』を作曲した。
1812年。カール・マルクスの父=ハインリヒはフリーメーソン(イルミナティ)の会員になる。
1841年、カール・マルクスは、後の共産主義同盟の創設につながる正義同盟(The Just of the Just)のメンバーだった。1841年、モーゼス・ヘスはマルクスを「正義の同盟」と呼ばれる社会に引き入れた。正義連盟のモットーは「すべての人は兄弟」であり、その目標は「隣人愛、平等、正義の理想に基づく地球上の神の王国の設立」。
1848年 『共産主義者宣言』カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルス
1867年 『資本論』第1巻 出版 カール・マルクス
1881年、米国ガーフィールド大統領は暗殺の二週間前にユダヤ国際金融資本に警告。
1890年代〜1900年代の初めに『シオンの議定書』
【まとめ-1】
八木 尚子著『フランス料理と批評の歴史 』では、フリーメイソンには頁を割いているものの、イルミナティーとアダム・ヴァイスハウプトにはまったく触れていないので、フランスでの革命運動の文脈が見えてこないところが、少し残念かとは思います。
リチャード・カーライル著:『フリーメイソンのマニュアル』
1929年クーデンホーフ=カレルギーはヨーロッパのシンボルとなる欧州の歌としてベートヴェン第九『歓喜の歌』を提案し、1955年には欧州評議会の広報部長に手紙で提案を打診した。
カレルギー
映画「Forces occultes」
フリーメイソンに参加した政治家の生涯を描いている映画があります🎬
アントナン・カレーム
1782年7月16日 フリーメーソンにユダヤ人財閥が大挙し入り込む。
マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの五男=ジェームズ
フォアグラ
壁に飾られた反ユダヤ主義者エドガー・ドガの絵画『競馬レース前』と『踊り子たち』。 これらの絵画の所有者は画家アンリ・ルロルで、彼の二人の娘が白い衣装のイヴォンヌと赤色のクリスティーヌ。 ドガは『エトワール』1878で黒い服を着たユダヤ人を描き、ルノワールはドガの絵画を描いて友情を表していた。
つづきます。・・・ただいま、執筆中です。