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大好きな宮沢賢治を、音楽との関わり合いから考えてみる。

はじめに

みなさん、ごきげんよう。

雨降りの日が続いているが、いかがお過ごしだろうか。

低気圧の日は、なんとなく身体が怠く、外に出る気分にもなれない。そんな時には読書をしてだらだら時間を過ごすのが最近の私の日常だ。

この時期に、いつも思い出す物語がある。

それはイーハトーヴォの5月から10月までを書いた、宮沢賢治の『ポラーノの広場』だ。(イーハトーヴォとは賢治の思い描いた理想郷のことである。)

私と宮沢賢治のつながりは小学 4 年生の頃に遡る。私は毎年正月にお年玉を貰うと、大抵本屋に向かい、自分の気に入った本を 1 冊だけ買う習慣があった。

小学校 4 年生の 1月、駅前の本屋に入ると、宮沢賢治の『ポラーノの広場』が陳列されていた。当初、私はウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』を買おうと思っていたため、どちらを買おうか真剣に迷った。

結局、同じ本の中に沢山童話の収められていた『ポラーノの広場』を買うことにした。いざ読んでみると、なかなか面白くはあるのだが、どこか抽象的で分かりにくい表現もあり、意外に読み応えのある作品であることを思い知らされた。

その後、賢治の様々な作品に触れていく中で、賢治の独特の世界観に惹かれることになった。

実は賢治の作品の中には、音楽に関係した事柄や、音に関する表現がふんだんに含まれており、それが作品に独特のリズムを生んでいる(と、私は思っている)。

今回は、宮沢賢治と音楽の関わりを、私なりにゆるっと考えてみたので、書いてみようと思う。

宮沢賢治と音楽とのかかわり

宮沢賢治は、その生涯に渡って、音楽と強い関係を持った人であることを、彼の作品や家族や友人、そして教え子たちの記録した、賢治に関する記憶から知ることができる。例えば、大正十五年に彼が上京した際、父親の政次郎氏に書き送った手紙には以下のようにある。

(略)いままで申しあげませんでしたが私は詩作の必要上桜で一人でオルガンを毎日少しずつ練習して居りました。今度こつちへ来て先生を見附けて悪い処を直して貰ふつもりだつたのです。新交響協会へ私はそれらのことを習ひに行きました。先生はわたくしに弾けと云ひわたくしは恐る恐る弾きました。十六項たうとう弾きました。先生は全部それでいいといつてひどくほめてくれました。もうこれで詩作は、著作は、全部わたくしの手のものです......
(本郷隆「宮沢賢治の『音楽』と歌曲の作曲について」『宮澤賢治研究資料集成 第 13 巻』日本図書センター,1992 年,p158)

この手紙は、宮沢賢治が三十歳の時書かれた手紙である。賢治はこのころ、タイプライターやエスペラント語に加え、オルガンやセロの勉強を開始していた。

この点は、賢治の音楽に対する積極的な関心を窺い知ることができる。農民と芸術、または詩作をする上での助けとするために学び始めたと推測されるが、そこには賢治の飽くなき探求心が感じられる。

賢治は音楽に自ら向き合い、豊富な音楽経験を持ち合わせていた。一例を挙げるとするならば、SP レコード収集・鑑賞に加えレコード・コンサートを主催することもしている。

また、蓄音機の竹針を炒めることで、音質を高めるという、ある種の発明的な試みまでしている。米国のビクター社にサンプルを送ったところ、製品化には至らなかったものの、その着眼点や発想が高く評価されたという。また、既成の曲に作詞をするという活動や、自身の作った詩を朗読する際に当たって、友人に即興でピアノを弾かせるという事もしている。

宮沢賢治の童話の約三分の一に歌が入っているという事実や、沢山の作品の中に音楽的知識が散りばめられていることの根底には、こうした音楽に対する幅広い経験が影響を及ぼしていると考えられる。

『セロ弾きのゴーシュ』と賢治の音楽体験

賢治の作品の中で、特に有名なのが『セロ弾きのゴーシュ』である。この作品は、タイトルからも窺い知ることができるように、音楽が非常に重要な役割を果たす作品である。

この作品の冒頭は、次の言葉で始まっている。

ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾く係りでした。けれどもあんまり上手でないといふ評判でした。上手でないどころではなく実は仲間の楽手のなかではいちばん下手でしたから、いつでも楽長にいぢめられるのでした。
(宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」『宮沢賢治全集〈7〉銀河鉄道の夜・風の又三郎・セロ弾きのゴーシュほか』筑摩書房(ちくま文庫),1985 年より引用)

ゴーシュが下手なセロ弾きであった事をこの数行から読み取ることができる。しかし、最終的には、

「ゴーシュ君、よかったぞぉ。あんな曲だけれどもここではみんなかなり本気になって聞いてたぞ。一週間か十日の間にずいぶん仕上げたなあ。十日前とくらべたらまるで赤ん坊と兵隊だ。やらうと思へばいつでもやれたんぢぁないか、君。」
(同上)

と、楽長に声をかけられるまでに成長するのである。通常、楽器の習得というものには多大の時間が必要とされる。賢治は、上京した際に受けたセロのレッスンでその事を身をもって体験したに違いない。ゴーシュには賢治の願望が反映されている、という考察もある。

ゴーシュはがむしゃらな練習の末とうとうセロの名手になって「印度の虎狩り」という曲を独奏して聴衆の喝采を受けるようになるのだが、あれは賢治の満たされないはてしなく遠い夢だったのだろう。
(本郷隆「宮沢賢治の『音楽』と歌曲の作曲について」『宮澤賢治研究資料集成 第 13 巻』日本図書センター,1992 年,p160)

この作品には、賢治の実際の音楽体験や、そこで学んだことなどが投影されている事を読み取ることができる。彼は、楽器の上達に向けて多大の努力を払ったものと思われる。この体験は、宮沢賢治の「詩や童話劇の根底になるもの」として蓄えられたに違いない。

独特の世界観と音楽

宮沢賢治は演奏・作曲・音楽鑑賞に好んで取り組んだが、そこからどのような事柄を感じ取ったのだろうか。

演奏や作曲の勉強が......モノフォニィ的な「田園交響曲」から複旋律を聞き取る助けにはなったには違いないのだ。それは緒口だ。それからおそらく、彼ならば聞こえない複旋律をも聞くことになったろう。黄金の麦畑を渡る風の軍勢、木の葉の白い葉裏をどっと打ち返す風、窪地に入ってほっと休んでいる顔色の悪い風、木立の間を銀線のように縫っていく風の仲間たちの無数の複旋律を見たであろうし、それにもまして自分の熱っぽい身体の中に、顔を上げたり横顔を見せたりしては消える無数の感情、言葉の複旋律を見た......であろう。
(本郷隆「宮沢賢治の『音楽』と歌曲の作曲について」『宮澤賢治研究資料集成 第 13 巻』日本図書センター,1992 年,p162)

上記の記述から、賢治は「田園」から、自分だけの・独自の「音」のようなものを感じ取っていたことを窺い知ることができる。そして、そこで得た感覚を作品に反映させたのかもしれない。

例えば、『銀河鉄道の夜』においてジョバンニが日常から、非日常的で夢のような死の世界へ入っていく時に、「銀河ステーション、銀河ステーション」という不思議な声を聞く。この「音」は、両方の世界をつなぐ役割を担っていることを、賢治なりに表現した箇所かもしれない。

また、『風の又三郎』は、「どっどどどどうど どどうど どどう」という風の「音」と共に現れる。物語で発生する不思議な現象は、この「音」によってもたらされるのである。これらの点は、賢治が日常的な世界と、非日常的な世界をつなぐものとして「音」を用いていたことの裏付けとなる。

賢治は、音楽のみならず、日常に溢れている音、または自然や静物の中にも「音」を感じとっていたのではないだろうか。ただ、表面的な音を感じ取るだけでなく、その裏に潜んでいる私達の常識の枠組みを超えた、”なんだかよくわからないもの(デモーニッシュなもの)”を感じ取り、それを作品において「音」や「音楽」に関する記述を用いて表現していたと私は考える。

画一的な世界だけでなく、新たな世界への視点を賢治は模索し、音に関する表現や音楽を通じて作品に投影したと考えられるのだ。

つまり、賢治の独特の世界観の中において、音楽・音というものは、賢治が感じとったデモーニッシュなものを表現するためのツール、又は「日常」と「非日常」をつなぐある種の媒介手段として用いられていると考えることができる。

まとめ

私達は、自分の周りの世界を先入観や、思い込みなどの、いわば「色眼鏡」を通して認識している。しかし、賢治はそうした枠組み以外の領域を、音や音楽で表現しようとしたのかもしれない。

それに加えて、様々な音楽活動に積極的に関わっていくことにより、世界へ
の新たな視点を広げようとしたと考えられる。そして、作品を通じて私達にそのことを提示しようとしたのかもしれない。宮沢賢治は『イーハトヴ童話 注文の多い料理店』の「新刊案内」の中に、次の様に書いている。

この童話集の一列は質に作者の心象スケッチの一部である。それは少年少女期の終わり頃から,アドレッセンス中葉に対する一つの文學としての形式をとつてゐる。この見地からその特長を数へるならば次の諸点に帰する。
一,これは正しいものの種子を有るし,その美しい發芽を待つものである。而も決して既成の疲れた宗教や,道徳を色あせた仮面によつて純真な心意の所有者たちに欺き与へんとするものではない。
二,これらは新しい,より好い世界の構成材料を提供しやうとはする。けれどもそれは全く,作者に未知な絶えざる驚異に値する世界自身發展であつて決して畸形に捏ねあげられた煤色のユートピアではない。
三,これは決して偽でも仮空でも窃盗でもない。多少の再度の内省と分析とはあつても,たしかにこの通りその時心象の中に現はれたものである。故にそれは,どんなに馬鹿げてゐても,難解でも必ず心の深部に於て萬人の共通である。卑怯な成人たちに畢竟不可解な丈である。四,これは,田園の新鮮な産物である。われらは田園の風と光との中からつややかな果質や,青い蔬野菜と一緒にこれらの心象スケッチを世間に提供するものである。
(宮澤賢治著「新刊書御案内」『イーハトブ童話 注文の多い料理店』 杜陸出版部 東京光原社,1924 年9)


この宮沢賢治からのメッセージからは、【これらは世界の新しい視点を提供しようとするものである】という点を読み取ることができる。

賢治は、生涯を通じて音楽と向き合い、自分と世界との関わりあいを音楽によって表現しようとした。また、音楽・音を用いて、新たな世界の視点を、作品の中において提示しようとしたと考えられる。

「日常」の裏に潜む「非日常を、音楽や音を用いて表現しようとした宮沢賢治。彼の作品は音楽を通じて、自己の枠組みにとらわれない新たな世界の視点や、可能性というものを私達に訴えかけているのかもしれない。

(taro)

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