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2種類の勇氣と変化をはばむ要因

自分の人生のステージが変わるとか、
何かに挑戦しようとするときは、
程度の差はあれ勇氣が必要ですよね😊

私が思うに【勇氣】には2種類あって、

  • 『始める』勇氣

  • 『やめる』勇氣

に分類できるかと考えてます。

『始める』勇氣ってのは、

職場を「転職しよう!」とか
募集に「申し込もう!」とか
ダイエットで「痩せよう!」とか
異性に「告白しよう!」とか
「行っちゃおう!」とか
「買っちゃおう!」とか

みたいな、決意というか
何かに立ち向かうようなベクトルの勇氣。

反対に『やめる』勇氣ってのは、

職場に「『辞めます』って言う」とか
募集を「諦める」とか
ダイエットで「我慢する」とか
告白を「断る」とか
行かないで「休む」とか
買わずに「貯金する」とか

みたいな、断念というか
何かを断ち切るようなイメージの勇氣。

そして恐らくですが、
『始める』勇氣よりも『やめる』勇氣の方が
体感で20倍くらいシンドくないですか?笑。


『始める』勇氣の方は、
現実がどうあれ本人は0から始める感覚で決意します。

ところが『やめる』勇氣の方は、
なんらかの理由でやめる方が良いとは感じているものの、
メリットもそれなりにあった。
つまり何となく失う感覚があるからシンドく感じるのです。

同じ“勇氣”という言葉でも、
ベクトルが反対のときは全然違う感覚になるということです。

何かを変えたいから勇氣を出そうとしているのに、
進んでも戻っても停滞しても葛藤を生み出してしまう。。

『やめる』勇氣の方がシンドいのは、
失う感覚に加えてメリットの部分もウエイトを占めています。

楽しかった思い出や嬉しかったことなどが、
『やめる』対象の中に含まれているはずです。

だから葛藤してしまうのですよね☺️

あなたのことを、大切にしてくれた人。
苦しい時に、優しくしてくれた人。
困っている時に、助けてくれた人。

あなたは、
心の底からたくさんたくさん感謝しているでしょう。

直接の知り合いじゃなくても、人じゃなかったとしても、

メチャクチャ辛い時に励まされた。
ドン底の時に希望を見せてくれた。
苦しい時に勇氣をくれた。

SNSのアカウントや日常の風景、
たまたま読んだ本のワンフレーズや
通りすがりに聞こえた些細な出来事に
救われた記憶があるのかもしれません。

今までにもらった、
たくさんの良い思い出と優しさ

『やめる』勇氣を持つときは、
これらとの別れを感じさせます。

しかしながら、時にその「優しさ」が、
変化をはばむ要因になってしまうこともあります。

あなたにとって、大切なことであればあるほど
必ずそこには「とてつもない執着」が生まれているものです。

優しくしてくれた人と違うことをしようとすると
きっとあなたは「裏切る」ような氣持ちになるでしょう。

自分を救ってくれた考え方と違うことをしようとすると、
優しいあなたはきっと「間違っている」という氣持ちになってしまう。

優しさが変化をはばみ、停滞を生み出してしまう。

もちろん、
優しさに応えるというのはとてもとても大事なことです。
ただ、自己犠牲の上に成り立たせてはいけないのです。

もし仮に、小学校の時の先生が優しくしてくれて
どれだけ恩義を感じていたとしても、
恩返しするためにずっと小学校に居続けるようなことをしてはならないのです。
あなたは、小学校を卒業しなくてはいけません。

もし仮に、職場の先輩がとてもよくしてくれて
どれだけ恩義を感じていたとしても、
あなたが本当にやりたいことがあるのなら、その職場を辞めてチャレンジしなくてはならないのです。

もし仮に、パートナーから別れを切り出されたなら
どれだけ大好きだったとしても
自分のために時間がかかっても想いを断ち切らなくてはならないのです。
死んだように生きてはいけません。

あなたが苦しい時に仲良くしてくれた人であっても、
あなたがもう付き合いたくないのであれば
その人から離れなければいけない。

人生のステージが変わる時は
ある種「裏切ってしまうような感覚」になるときもあるでしょう。

優しさは、変化をはばみ、停滞を生み出してしまうものではなく
『やめる』勇氣が芽生えた自分の心に忠実でいることです。

あなたにはあなたの道があり、
前に進めるのはあなたしかいないのですから😊
陰ながら応援しています🥳

* * *

あなたの貴重なエネルギーを遣って、
最後まで読んでくださりありがとうございました!

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