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『「幸せ」のつかみ方』



「手のひらのホクロを掴める人は幸せになれる」



という話を耳にしたことがある。


僕の手のひらにはホクロがある。






……指を思いっきり伸ばさないと掴めないところに。





◇◇◇








この話の真偽に関しては今回は置いておこう。


話を聞いたのは、たしか小学校低学年の時だ。







当時、僕は勉強も運動もかなりできたほうで、友達にはもちろん、先生にももてはやされていた。


先生から「天才〇〇くん」なんてあだ名がつけられた。


そして見事な鼻を持つ天狗になった。


(3年生の時にその鼻はへし折られるのだが、それはまた別の話...)









そんな僕が、例のホクロの噂話を聞いたのだ。


僕の手には、余裕で掴める位置にホクロがあった。


それはもう、これでもかと手のひらをにぎにぎして友達に見せびらかした。


当時の感情は覚えていないが、本気で「幸せな未来」が確定したと思ったんじゃなかろうか。








◇◇◇








そんな僕も中学生になるころには心身ともに成長し、人並みに落ち着きを持ち始めた。


中学生男子は成長期まっさかりだ。


同学年の女子より小さかった僕の背丈も、卒業するころには母の身長をも抜き去っていた。









そしてある日、衝撃の事実に気が付く。


僕が何の気なしに手のひらをみると、例のホクロが目についた。


さらに何の気なしに手をグーにして、違和感に気づく。






「あれ...ホクロが掴めない...」

そう、小学生の頃は掴めていたはずのホクロが、成長と共に指の届く範囲から離れていったのだ。


おまけにバスケ部でボールを受け続けていたからか、色まで薄くなっていた。








小学生のころ約束されていたと思っていた「幸せ」が手のひらから零れ落ちていくのは、それはもう悲しかった。







だがその時、ある思考が脳裏をよぎった。


「これは努力すれば『幸せ』を手に入れられるというお告げでは!?」

自分で言うのもなんだが、なんて図々しいやつなんだ。








◇◇◇









でも、この図々しい思考は僕の人生において大きな助けになっている。






高校時代、僕は落ちこぼれた。


中学、高校時代を部活・バイト・遊びにささげた僕の成績表には「天才」の面影はなかった。


所詮、井の中の蛙であったことは中学時代に気づいていた。







努力してこなかったツケが回ってきて、高校の授業は本当に何もわからなかったし、勉強しようとしても3分ともたなかった。


そして、受験シーズンがやってくる。


それでも、僕は勉強することが苦痛だった。








そんなある日、またしてもあのホクロが目に飛び込んできた。


記憶がフラッシュバックした。


「そうだ、頑張れば『幸せ』を掴めるんだった!!」


それからというもの僕は、受験中苦しい時は手のひらのホクロを見るようになった。








◇◇◇








受験を皮切りに僕は数々の苦難を経験したが、そのたびに手のひらのホクロを掴むしぐさをしていた。


そして今、僕は「幸せ」とは何かを考えるようになった。








一つだけ言えるのは、簡単に掴める「幸せ」に、僕は満足できないということ。


苦難を乗り越えてきて分かったが、僕は苦難の道を進むのがけっこう好きだ。


その結果が「成功」でも「失敗」でもあんまり気にならない。







「幸せ」とは何か、その意味をつかもうと必死になれることは素晴らしいことだと思う。


「簡単に掴める『幸せ』に満足せずに、『幸せ』を追求し続けろ!」

「掴めるもんなら掴んでみな!」

と言わんばかりの憎たらしい位置にあるこのホクロは、日々を必死に過ごしている僕を見て、どんな表情を浮かべているのだろう。



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