カール・ヒルティ「幸福論」
スイスの法学・哲学者による、一種の処世術について述べられている本。
キリスト教をベースとして、仕事論、人生論、交友関係、恋愛など幅広く触れられている。
普通にありふれた「明日の心配」でさえ、耐え難いものである。
なぜなら、我々の力は、いつもただ今日の分だけしかないからだ。
想像力は明日の仕事は見るが、しかし、明日の力は見ない。
それとともに当時(今も)席巻している理性主義について、キリスト教徒の立場からの反論も書いている。
これは、ベンサム的な功利主義、マキャベリ的な現実主義、ニーチェ的な無神論、フランス革命的な個人主義といった18世紀から19世紀の主要な思想・哲学・概念全般に向けて述べられている。
だいいち人間理性の合理性にしたからが、経験を待って初めて立証されうるのである。これと同じく、宗教上の真理もまた、その信仰の結果として得られる倫理的な力がその証拠とならない限り、我々にとってそれはついに証明されえないであろう。
一つの力が真の力となるためには、ぜひともそれは実在的なものでなければならぬ。
人を信じさせるものは経験である。自分も経験してみたいという願望と気分を起こさせるものは、その経験をした人たちの証言である。
ヒルティが言っているのは要するに車やスマホと同じように、宗教も使ってみて(信仰してみて)、QOL(Quality Of Life=生活の質)が向上したかどうかに掛かっているんじゃあないですか、ということ。
この辺りは、アメリカのプラグマティズム哲学者ウィリアム・ジェームスのスタンスにかなり近い。(「宗教体験の諸相」岩波文庫)
いきなり「キリストの再臨」とか「処女懐胎」とか「ハルマゲドン」とか言われてもピンとこない日本人(大多数でしょう)にも、こういう論理実証主義的なアプローチであれば、理解はできる。(信じるかどうかは別として)
まぁそういう宗教哲学的な要素を抜きに読んでも、非常に思慮に富んだ良書です。本当はそっちの引用を沢山したかったのですが、引用文長くなりそうだったので、また今度にします^^;
引っ越しを繰り返していても、捨てずに持っている数少ない本です。
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