2023年映画感想No.26:ミューズは溺れない ※ネタバレあり
芸術表現に象徴される登場人物たちの自己定義の模索
ポレポレ東中野にて鑑賞。
描かれた鉛筆の線が消されまた描き直されるというファーストカットがそのまま自己定義にもがく主人公たちの物語を象徴しているように映る。同時にそれを芸術表現を通じて表すことで正解がなく多様な人間の在り方を肯定的に見つめようという作品のスタンスも感じられる。
描いた線を先生に否定されることが様々なカテゴリーによって自己の価値観を相対化されてしまうという主人公朔子の抱えている抑圧を鮮やかに浮かび上がらせており、だからこそ自分の表現を持つ西原は朔子と対になる存在になっていく。
恋愛的価値観の欠落からくる主人公朔子の孤独
高校三年生の主人公朔子は昔のように自由な絵が描けなくなっており、再婚する父親と義母との関係にも疎外感を抱いている。友達とも価値観の違いからギクシャクしていて、自分が自分であることを否定的に捉え始めている朔子の切実なアイデンティティの不安が瑞々しく描き出される。
再婚していく父親や野球部の男子が好きな友人など恋愛的な優先順位を持つ人たちが主人公の承認の欠落を浮かび上がらせる。恋愛というある種の「代替不可能性」を追い求められないことが主人公の孤独の根本にある一方で、絵を描くことも朔子にとっては自己否定的な意味を持つようになってしまっていて、自分が自分であることを定義する要素を見失っている。
表現物から見えてくるそれぞれの自己認識
だからこそ朔子は表現する自己がある西原に対して劣等感や憧れのような眼差しを向けているのだけど、一方でなぜそんな西原が自分の絵を描いたのかに対して動揺しているようにも見える。それぞれが表現することを通じて自己のアイデンティティを見つめようとしており、それが物語を通じて立ち現れていく展開が素晴らしかった。
朔子は不定形で曖昧な自分を意識するに従って絵ではなく自分自身を表現する新しい方法を模索するようになる。同時にそうやって作り出そうとするものは彼女自身を形作る様々な経験の集積でもあり、必ずしも自分ではない何かになろうとする行為ではなく自分はなぜ自分なのかを見つめる行為として彼女の新しい創作が描かれているように映る。
一方の西原ははっきり自認する自己について表現することによって肯定しようとしている。芸術の多様性がマイノリティである彼女の居場所だからこそその創作は切実なのだけど、それが理解されないことが彼女のアイデンティティの孤独そのものでもある。作品を描くことでしか自分の感情を表現できない一方で、それを受け取る人々に対しては「どうせ理解されない」という絶望も常に抱えているのだと思う。
ありのままのその人自身を肯定する作り手の眼差し
西原の創作に触れることで朔子も創作による自己追求の気持ちを取り戻していくのだけど、朔子が憧れた西原の表現はそもそも朔子の存在が支えているものでもあり、朔子は朔子自身によってアイデンティティを取り戻していくという構図としても成立している。だから自分が何者であるかを定義できず苦しんでいる登場人物に対して「誰かにとっての特別な存在」だからその人は素晴らしいのではなく、その人がその人であることですでに素晴らしいという描写になっている点もテーマとして素晴らしかった。
僕は他者との関係を通じてしか自分を定義できないという考え方がとても苦手だし、だからこそ絵を描いているような部分があるので、朔子や西原が芸術という自己探究によって自分が何者であるのかを見つけ出そうとする姿にとても共感した。創作が彼女たちの言語であり、表現を通じて自分やお互いを理解していく。
「普通の人」である栄美をも救い上げる作劇
一方で劇中ある意味一番「普通の人」である栄美の描き方も興味深い。彼女が自分の価値観で目の前の相手を図ろうとすることがとても暴力的に描かれる一方で、そうやって「他者」として誰かを抑圧することが本意ではないという彼女なりの苦悩も作り手は見つめている。
いくらでも悪く描けるキャラクターなのだけど、彼女の「わかり合いたい」という気持ちも否定しないことが多様性の問い方としてとても誠実だと感じる。
「みんなで新しいものを作る」というラストの希望
だからこそ「大切な存在」に優先順位をつけないラストの手触りがあるのだと思う。劇中分かり合えなかった存在の人たちも含めてみんなで一つのものを作ろうと力を合わせる。それぞれの作った作品が影響し合って新しい創作が生まれていくことにそれぞれの居場所がある大きな世界の多様性を重ねるような描き方がとても素晴らしいと思う。
何かを作ることで僕たちはより良い人間になることができるし、そうやって自分自身もお互いの関係性も更新していけばいいのだと思う。恋愛も友情も家族も、それぞれを否定するものではない。SF研の作る作品も、朔子の作った船も、みんなそのままでそこにいていいんだと、より多くを許容することでそれぞれにとっての生きやすい世界を問い直すようなロングショットが心に残る。