70%で生きても良い
こんにちは。
今日はふと思い立って、新卒2年目で看護師を休職→退職して、今思うことを綴ろうと思います。
いつも閲覧ありがとうございます。イイねが励みになっています。
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物心ついた頃から、親からいつも完璧を求められてきた。
甘えれば、自立を求められ、
大人びれば、子どもらしくないと言われた。
「分からない」と答えることは、人に頼り過ぎている証拠だと教えられた。
認めてもらうには、いつも、親にとっての「良い子」でなければならなかった。
自分では気づかないうちに、求められるままに生きるようになっていた。
テストで良い点数を取った時だけは、私の方を見てくれた。
人の倍努力しなければ、並の学力に追いつけなかった私は、いつの間にか何事にも120%で取り組むようになった。
万年2位だった高校の定期試験で、3年生最後の学期末に学年1位を取った。
120%以上の努力を続ければ、結果が出るのだと思った。
全国模試のランクに名前が載り、
部活やサークルで評価され、
学費の1円も親には負担をかけず、
自分で稼いだお金で留学へ行き、
大学を主席で卒業した。
120%の努力は、私にそれなりの成果を残してくれた。
だけど、いつも限界だった。
自分の人生が正解なのか分からず、いつも誰かに助けて欲しかった。
大学院を修了して、都内の大学病院に就職をした。
誰よりも早く出勤して、誰よりも遅くまで残って仕事をした。
早く先輩に追い付けるように、休日は勉強を重ねた。
失敗しないこと、完璧に仕事をこなすことで、自分は完璧な看護師になれると思っていた。
でもそのうちに、身体の方が限界になった。
疲れているのに、眠れなくなる。
夕方になると、毎日片頭痛を起こす。
這いつくばってでも働くつもりでいたのに、病棟で頻繁に過呼吸と脳貧血を起こすようにもなった。
パニック障害だった。
ドクターストップが出ても、まだ働きたいと医師と師長に頼み込んだ。
「ミスしないように、早く自立できるように頑張るので、体調管理もできるようにするので。」
そんな言葉を繰り返した。
その時、師長から言われた。
「一番大事なのは、患者さんの命。あなたが無理して頑張れば、あなた自身は満足できるかもしれないけど、患者さんのことを一番に考えているとは言えない。」
120%の努力は、誰かに認められ、自分を自分で許すための、弱さゆえだったと初めて気付いた。
私は、私を認めるために一生懸命頑張っていただけ。看護師として、一番大事な心を忘れて、自分を守ろうとしていただけだった。
その事実を理解してから、深く反省して、ズブズブとあっという間に底に落ちていった。
120%の努力でもどうにもならないという意味で、初めての挫折だった。
(この後、生きるか死ぬかの日々を過ごした話は後々。笑)
結局、復職期限までに回復できず、休職期間満了でやりがいだった看護師という仕事を退職した。看護師2年目だった。
生活が送れるくらいまで少し回復してきた頃、主治医にある言葉を掛けられた。
『何事も、70%の力でやればいいんだよ。』
最初は理解出来なかった。
70%じゃ、完璧には出来ないけど?
その程度でいいの?
正直言うと、もらった言葉を1年かけてまだまだ反芻している最中。
でも、分かったことは沢山あった。
仕事を休んでも、責める人はいなかった。
具合が悪くて外出できなくても、誰も文句を言わなかった。
私が何もできなくなっても、世界は同じように回っていった。
「できない自分」を一番責めていたのは、自分自身だった。
「できる自分」は、私が私を嫌いにならないための、理由だったのかもしれない。
70%しか頑張らない自分に、まだOKは簡単には出せないけれど、
余力を使い切らずに帰宅する自分に、満足もできていないけれど、
いつか、70%で生きる自分を認めてあげられたらいいな、とも思う。
そして、頑張っている人も、
今頑張れない人も、
頑張りすぎている人も、
70%で生きようとしている人も、
きっとみんな大丈夫だよ、生きていること自体が努力なんだよと伝えたい。
未来の誰かを優しく抱きしめられるように、今、自分の困難にそっと向き合っていきたいと思う。