【ネタバレ】クリスティアン・ムンジウ『R.M.N. (ヨーロッパ新世紀)』ルーマニア、家父長制への郷愁とゼノフォビアについて
大傑作。2022年カンヌ映画祭コンペ部門選出作品。クリスティアン・ムンジウ長編五作目。本作品の舞台はトランシルヴァニアの田舎町である。ハンガリー系の住民が大半を占めており、身内での会話はハンガリー語だが、ルーマニア系の住民もいるので共通言語はルーマニア語で、ドイツ系の住民も少数だが住んでいる。今回はその繊細な言語感覚を提示するため、ハンガリー語は黄色、ルーマニア語は白、英語やドイツ語はピンクといった具合に、それぞれの言語の英語字幕に色が付けられている。彼らは自分の言語を話しながら互いの言語を理解しているので意思疎通は可能で、なんなら追加で英語やフランス語まで理解しているわけだが、その理解の範疇にスリランカ人労働者の話すシンハラ語は含まれず、それを表現するためにシンハラ語での会話には英語字幕は付けられていない。トランシルヴァニアはハンガリーとルーマニアの間にある関係上、歴史的に両国の間で奪い合いが起こっていた土地であり、第一次世界大戦では枢軸国側で参戦したオーストリア=ハンガリーから連合国側で参戦したルーマニアが奪い取る形で収束している。そのため、村の人々にはルーマニアにもハンガリーにも帰属意識はなく、トランシルヴァニアが独立することを望んでいる。また、映画内でジプシーを追い出したことが誇らしげに語られているが、当地では過去にもドイツ系住民も追い出した歴史がある。ちなみに、第一次世界大戦でハンガリーからトランシルヴァニア、ブルガリアからドブルジャを奪い取ったルーマニアにおけるハンガリー人とブルガリア人への差別を扱ったルチアン・ピンティリエ『An Unforgettable Summer』と本作品の骨格は似ている。同作では、差別されているブルガリア人貧農が移住してきたトルコ系の男をスパイとして売り飛ばそうとするという差別の二重構造が描かれているのだ。
また、言葉の通じない存在として描かれているのは熊もそうだろう。第一に熊は害獣であり、住民や道路開発によって狩られてきた。その頭数を数えるNPO団体からフランス人の青年(ティモシー・シャラメに似ている)が送られてくるというのも皮肉が厳しい。そもそもこの村はEUの環境規制によって鉱山を閉鎖に追い込まれたという経緯があるようで、西欧諸国への憧れと同時に憎しみも抱えていることが分かり、そんな状況下で害獣である熊の頭数を、地元住民的に言わせてみれば"呑気に"数えている西欧人というのは、存在自体が皮肉と言わざるを得ない。第二に、それでいて熊は地元の伝統の中で象徴的な存在であり、大晦日のホッケーゲームで村人が仮装している他、曖昧なラストでも登場している(後述)。
※『踊る熊たち 冷戦後の体制転換にもがく人々』という本がある。これはブルガリアのロマが熊に芸を覚えさせていたのが動物虐待だとして西欧のNPOが熊を取り上げた話を当事者たちが当時の状況を独白するルポである。若干意味は異なるが、東欧における熊という動物がある種象徴的に"西欧"と対峙した瞬間だったのかもしれないと思うなど。
※※これに関連して、東欧映画スペースにて済東鉄腸氏から2021年に起こった"リヒテンシュタインの王子が地元で人気だった大熊を射殺した"というニュースだ大問題になったということを教えていただいた。
物語はパンデミックの少し前、ドイツに出稼ぎに出ていたマティアスが、ドイツ人の工場責任者に"汚いジプシーめ"と罵られて頭突き倒して故郷に逃げ帰ってくるところから始まる。久々に自宅に戻ると、妻アナはより一層冷たくなっていて、息子ルディは通学中に森の中でなにかを見てしまって以来話すことを拒んでおり、マティアスは時代遅れな"男らしさ"を教え込んで息子を"強く"しようとする。併せてドイツ語も教えていることから、その時代遅れな"男らしさ"は外国で生き残るために必要とマティアスは考えているのかもしれない。或いは、彼は数少ないドイツ系の住民でもあるので、ある意味で失ったアイデンティティの回復や反抗も含まれているのかもしれない。一方、元恋人チッラは洗練された独身女性として描かれている。山沿いの一軒家で暮らし、窓際でチェロを弾いていて(ちなみに曲は梅林茂"夢二のテーマ"らしい)、英語も話せて、熊の頭数を数えに来たフランス人とも交流があり、地元に雇用を生んでいるパン工場の副責任者である。マティアスは彼女の気を引こうと躍起になり、時代遅れの"男らしさ"の象徴である猟銃を、自らの誠意の印として託す。これは後に返却され、曖昧なラストへと繋がっている。
また、マティアスの父で羊飼いのパパ・オットーも同じ村に暮らしており、マティアスは倒れてしまった父親の面倒も見る必要も出てくる。題名"R.M.N."とは"Rezonanta Magnetica Nucleara"つまりMRIのことを指し、作中二度ほど登場するパパ・オットーの脳スキャン画像を意味している。次第に成長して生命を脅かす腫瘍と膨れ上がる人種差別を掛けると共に、一つの物事を多層的に描くことで立体的に描き出す手法にも言及しているのだろう(私には腫瘍があるように見えなかったが)。しかし、作中におけるオットーの存在感は異常なほど希薄で、終盤に自殺してしまう理由も不明瞭である。また、MRIは輪切りにした写真を繋げ合わせることで全体像を作り出しており、様々な問題を提起しつつ現代ルーマニア社会を観察する本作品の手法にも似ているのかもしれない。
パン工場はEUの助成金を得るため、新たに5人の労働者を雇う必要があるのだが、地元の若者たちは諸外国に出稼ぎに出ていてそもそもの労働力がない他、最低賃金の仕事には目もくれないので存続の危機に立たされる。そこで、工場長のデーネシュとチッラは(思えば工場の経営陣の二人はハンガリー系なのか)、スリランカ人労働者を雇うことにする。地元住民は不買運動や殺害予告などのヘイトを撒き散らし始め、ハンガリー系ルーマニア系ドイツ系住民間での軋轢も表面化してくる。プレスによると、ルーマニアで広く信じられている言説の一つに、ルーマニアは西欧への侵略者と戦うのに忙しかったせいで、西欧社会ほど発展できなかった、というのがあるらしく、正しく3人目のスリランカ人労働者ラウフが"私にとっては全てが西だ"という言葉とリンクしている。肥大するヘイトに沈黙という形で協力する聖職者、捜査に非協力的な警察、全然村にいない村長というダメダメ三銃士は市民会館でヘイトスピーチだらけの弁論大会を開く。スリランカ人労働者はこの場には登場せず(村人全員がこれに参加するなかで黙々とパン生地を生成していたのも痛々しい)、矢面に立つのはパン工場経営陣の女性二人であり、この虚しい"論破"合戦はラドゥ・ジュデ『アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ』の第三部"実践と当て付け(或いはシットコム)"における異端審問と酷似している。17分間の長回しは、上記繊細な言語感覚が最も顕著に現れるシーンでもある。恐らく母語がハンガリー語のデーネシュは"ルーマニア語を話せ!"と初手で罵られる。殺害予告が出ていたネット上でも"そんな事を言うのはハンガリー人だから国に帰れ"と書かれていて、それが具現化したような形になっている。Twitterとか言われているのも納得。興味深いのは、ヘイトスピーチを繰り返すメンバーは諸外国に働きに出た経験がない人だろうことが分かることだろう。基本的に若者は出稼ぎに出たまま帰ってきていないので、作中で実際に外国で"外国人"として扱われた経験があるのは主人公のマティアスだけなのだが、全く議論に参加しないどころか簡単な質問に対してすら"意味が理解できない"と返している。彼が主人公でなければ、村での存在感は希薄なものだっただろう。だからこそ、家父長制に憧れるのかもしれないし、父親の自殺は彼の中の理想を破壊してしまったのかもしれない。家父長制への郷愁というテーマはクリスティ・プイウも『Aurora』で触れている。
★以下、ラストのネタバレを含む
本作品のラストは意図的に様々な解釈が生まれるように、わざと曖昧に描かれている。マティアスは、恋人だと思っていたチッラから三行半として銃を突き返されてしまう。妻と息子は実家に帰ってしまう。失踪していたラウフを見たような気がして探す。チッラの家に行って彼女に銃口を向ける(彼女は必死に謝り、許してと口にする)。すると森の方に熊の被り物をした人が何人もいて、最終的にマティアスは彼らと同じ方向、つまり村の方を向く。海外評を探訪しても賛否両論か最初から触れてないものも多く、各々がどう考えているか全く分からんのだが、個人的にはマティアスはどこにも属せないというのが正しいように思う。父親も死に、妻も子供も元恋人も去り、彼が連れてきたという点で繋がりのあるライフも呼びかけに応えず、"熊"にも襲われない。彼の居場所はどこにもない。しかし、どっちつかずな彼の態度は、結果的に"熊"に襲われないことからも分かる通り、加害に加担しているに等しいのだ。現代ルーマニアの抱えるミクロな問題とマクロな問題が集結したラストに感服。とはいえ、まだ私は何も理解していない。
※追記
EUはジプシー呼称を禁止して、ルーマニア(Romania)の反発も余所に、ロマ(Roma)呼称を義務付けたため、冒頭でマティアスが受けた"汚いジプシーめ"という罵り文句はルーマニア人にとって最大級の侮辱らしい。
・作品データ
原題:R.M.N.
上映時間:125分
監督:Cristian Mungiu
製作:2022年(ルーマニア, フランス ,ベルギー, スウェーデン)
・評価:90点
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