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「ありがとう」と「ごめんなさい」の感性につき

ここ最近、すごく思ってることがありまして。
これってきっと、自分がそうしようとしているからキニナル・・というヤツだとは思うんですが・・。

ビジネス以外の場面でのコミュニケーションのときって。
例えば、友達や知り合いと、SNS的なものでメッセージのやり取りをするときとか、顔を合わせて話すときとか・・。

結構多くの人が、「ありがとう」とか「ごめんなさい」という言葉を言ってないよな~・・と思うのです。
ツラツラ細かいことを書き出す(しゃべる)前に、まずはその一言からなんじゃあ?と。

まあ、ぼくの期待し過ぎ・・という話はありますが。
でもその言葉がないと、ぼくの場合は。
「う~ん、この人に伝わってんのかな?」とか、「この人、今、わざとそらしたのかな?」とか、余計な勘ぐりをしてしまって。
1に0.99を次々と掛けていくように、その人に対する信頼度がちょっとずつ減っていきます。

きっと、特に悪気があるのではなくて。
自分の中では当たり前に思っていることを、外に向けて表現するのを忘れただけ、とか。
相手も分かってるやろ・・と思って、はしょっただけ・・というケースが多いのでしょうが。

でも、ぼくが思うに。
そういった心理の底辺には、「人の話を受けて、返す」という会話に対する姿勢が弱い・・ということがあるんじゃないのかなあと。
簡単に言い直せば、「他人の扱いが雑になってる」ということかと。

「人の話を受けて、返す」ことができない、が行き過ぎると・・。
相手がまだしゃべってるのに、上からかぶせてしゃべりだすとか。
その相手も負けじとしゃべり続けてて、お互いに相手の話を聞いてない・・なんていうカオスになって。
ぼくにはしんどくてしょうがない状況に遭遇したりします。

そりゃあまあね~分かりますよ。
ヒゲダンの「ペンディング・マシーン」という超カッコいい曲の、皮肉った歌詞みたく。
「WIFI環境がないどこかへ行きたい」・・くらいに、ネットにつながれた現代人は公私ともに忙しいみたいだし。
仕事してたら、組織や自分を守るために「ごめんなさい」って言っちゃいけない、その言葉を使わずに何とかやりくりしろ・・って教わってるのだろうし。
日本と違って欧米や中国では、相手に弱みを見せちゃいけない・・というのが常識らしいし。

でも、そういった時代・世間だからこそ、ぼくの場合は。
「相手が誰であれ、「ありがとう」と「ごめんなさい」を、すぐに素直に言えるか?」というのを基準にしています。
ここで「基準」といってるのは、ぼくが信頼できる人かどうかを見分ける基準であり、ぼくが近くにいて欲しい人に求める「人間の器」のことでして。
そういうのができている人であれば、たとえ個別・具体的には考え方が違っていても、尊敬しあって話しあえる自信があるし。
相手を信頼して、自分の大事な話もできる、というもの。

逆に、そういうのができていない場面を、何回か見てしまった人であれば。
その人がどんなにおカネを稼いでいようが、何かの先生であろうが、ぼくからみたらどうでもよくて。
なので、そういう人には近寄らないし、近寄らせないことにしています。

とまあ、語ってしまいましたが。
これは、どんな人と付き合いたいか、という好き嫌いの話、感性の話でしかなくて。
もちろん、自分が誰と付き合うかは、人それぞれで自由に決めればいいことであって。
ま、ぼくの場合は、そんな素直な人がぼくの周りにいてくれると安心できるんだよね~というお話でした。

・・なんていうことを考えながら、ときどき各種SNSの会話に参加している、ぼくでした。

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文中にあった「ペンディング・マシーン」を収録している、ヒゲダンのアルバム「Editorial」のジャケット絵。
「I LOVE...」とか「Cry Baby」とか、有名な曲も含まれてるけれども。
ぼく的には、「アポトーシス」という、愛する人との死別がテーマの曲を聴いたときに、心から「こいつら、スッゲー!!」と思いました。

それまでヒゲダンってよく知らなくて、今風で軽くて恥ずかしいけどカッコいい曲を作り人たち・・っていうイメージでしたが。
この、ぼくも知らない、老後の死別を扱う「アポトーシス」には、脱帽しかありませんでした・・。

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