今日の花を愛でよう
寒いねー。
今日も朝を与えられたことに感謝し、撮影すぐ橋の上でインスタ投稿したんだけど震え上がった。なんで震えてるんだろうと思ったら、寒いから(笑)
Carpe diem(カルペ・ディエム)
古代ローマ詩人ホラティウスの『カルミナ』の一節。「Carpe」は「(花などを)摘め」、「diem」は「日を」。
今日を生きろ
この瞬間を生きろ
といった意味。命令口調だとなんだかコワいから
今日の花を愛でよう
と訳そう。
井上雄彦さんは、ガウディの最大傑作はその人生だという。
ぼくもそう思う。
ガウディの言葉;
「サグラダ・ファミリアの建設はゆっくり進む。なぜなら、私のクライアント(神)は完成をお急ぎではないからだ」
「人間は何も創造しない。ただ、発見するだけである。新しい作品のために自然の秩序を求める建築家は、神の創造に寄与する。故に独創とは、創造の起源に還ることである」
ぼくたち人間は時間を有限と思ってる。
でも、量子物理学によると「時間は存在しない」。
要するに、時間というのは人間が勝手に作り出したものであり、現実には存在しない。
「変化」はあるだろう。岩が長い年月経て崩れるように。
しかしそれを「時間の経過」とするのは人間の言語による記述に過ぎない。
時間は、ない
としよう。
時間は無限と言ってもいい。
これは背理法でも証明できる。
仮に時間を有限とし、記述してみる。
T0, T1, T2, T3 …………………..Tn
これが記述できた時間のすべてとする。
このリストに1を足してみる。
N=T1+T2+T3+……..Tn+1
ところがこれにはすでに矛盾があって、「1を足せた」瞬間に、「最初のリストが時間をすべて記述した」が間違いになる。
結局、人間が勝手に記述しているだけなのだから、「時間は有限である」は誤りで、つまり、時間は無限なのだ。
ガウディは、聖なる家族の家としてのサグラダ・ファミリアを建設した。ただ、ガウディという一人の生身の人間が関わっているのは壮大な営みの中の、ほんのひととき。永遠なるものへ、ひととき、こころがつながれただけ。そう考えていた。
JOYWOWのミッションは「ビジネスの世界にJOY+WOW+LOVE and FUN、喜び、ワクワク、愛、そして楽しさの総量を増やす」。
これは阪本や小室という生身の人間で果たせるものではない。
ほんの一瞬、永遠の営みの中でこころがひととき、つながっているだけ。
でも、自分よりも遥かに長い年月を生きる何かの中に自分を位置づけできる幸せ。それを感じる。
人は生きたいと思っても、自分の意志では生きられない。
与えられるだけなのだ。今日という一日を。この一瞬を。この朝を。
話は戻ります。
今朝、橋の上で朝日を撮影したときに感じた感謝、喜びは、「与えてもらった」ことへ。
今日の花を愛でよう。