己(おのれ)の珠(たま)
カイパー博士にとって、フランツ・カフカはアイドルだった。
博士は幼いピーター・ドラッカーの隣に住んでいた。
危篤との報せに、朝5時、自転車のペダルを必死に漕いで駆けつけた。オーストリアから隣のチェコまで2時間かけて。
なぜそこまで。
実はカイパー博士は工場の労災補償の仕事をしていた。
カフカは安全ヘルメットを発明した。
「救いの神だ!」
アイドルになった。
小説でアイドルではない。
安全ヘルメットの発明者として。
生前、カフカはプラハ市内にある半官半民の「労働者傷害保険協会」に勤務し、そこで生活費を得ていた。当時働く人の95%が現場肉体労働だった。当然、事故に遭う人も多い。手を焼いたカフカ、発明したのが安全ヘルメット。1912年、アメリカ安全会議から金賞を授与されている。
生前のカフカ、作家としては世間に認められなかった。
本になったのは数冊、それもパンフレット程度の装丁で、千部か二千部刷って、いつまでも売れ残った。友人のマックス・ブロートのほうが、はるかに新進気鋭作家として有名だった。ブロートの口ききで、ようやく本にしてもらった。
カフカは手紙をよく書いた。婚約者や恋人に宛てて。たとえば、婚約者ミレナへの手紙は400ページ。友人・知人へ宛てた書簡集は注を含めて500ページを超える。
明らかに多い。
さまざまな解釈があるが、ぼくは、
カフカの作家としての「書くマグマの噴出」
と見る。
作品として噴出させれば良いものを、セルフ・ハンディキャッピングでしなかった。
セルフ・ハンディキャッピングとは心理学用語。
自分にハンディを与えることで、失敗したときに自尊心が傷つかないようにする保険。
そう、カフカはこういう「保険」もかけていた。
そしてそれが彼自身を苦しめていた。
こう書いている。
「努力をしない」=セルフ・ハンディキャッピング。
カフカはこう書きながら、実は「違う」と思っていた。
だから苦悩した。
大量の手紙は、その言い訳。
33歳で夭逝した中島敦は、日本で最初にカフカを翻訳した。
『山月記』、虎になってしまった話だ。カフカからヒントをもらったはずだが、重要なのはそこではない。
カフカ自身にあるセルフ・ハンディキャッピングを『山月記』へと昇華したこと。
詩人として自分を磨くことをせず、ただ自尊心だけを太らせたが故、虎になってしまった男。
ぼくも一歩間違えばそうなってた。
書く
ことが自分の強みとわかってた。
強くなったのは広島勤務時代。
ただ、当時はパソコンもない。
会社にはあったが富士通のエポカルク、エポワードで、到底シャカシャカ打てるものではない。
紙に書くしかなかった。
紙に書いて、それで、どうする? どこに発表する?
1994年末、同僚にワープロでオリジナル年賀状出したら驚くだろうなあ、程度のノリで、Mac買った。パフォーマ575。
そして翌年、パソコン通信ニフティ・サーブ始めた。
ネットが、ぼくに「書く場所」をくれた。
メルマガ。
パソコン通信会議室でのやりとり。
これが「書く出口」になった。
以来、書いてる。
おかげさまで、書くことが、仕事になってる。
今日も「書く」仕事がこれ含めて3本待ってる。
note
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コラム連載原稿
幸せなことだ。
いろんな仕事がある。
皆さんも、仕事やっておられる。
己(おのれ)の珠(たま)
つまり
自分の強み
がそのまま仕事になってる人は幸せだ。
そうではない人も多いかもしれない。
こういう時によく出てくる「ストレングス・ファインダー」を、ぼくは信じてない。
そもそもstrengthって、発音ストレンクスであり、グスじゃないし。
そういう、「アタマ」で考えて
己(おのれ)の珠(たま)
が見えてくるわけない。
どうしようもない衝動だ。
書いて
書いて
書いて
書いて
書いて
それでも
書きたくなる
この衝動は、アタマでは説明できない。
カフカは悩んでも仕方ないことを悩むのが好きだった。
ただ、書けば良かったのだ。
そのおかげで、ぼくたち人類は文学的感動をもらっているのだから。
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