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私はAIから教育してもらいたい。

最近、FC24というサッカーゲーム(昔のFIFAシリーズです)とSwitchを衝動買いしたのですが、AIの進化がイマイチというか、何年か前のやつと中身もさほど変わっていなかったので、同じようにゲームを進めていくと、全く同じところでツマってしまった私です。つまり、どういうことかというと、CPU戦(いわゆるAI対戦)をしていたのですが、前と同じ難易度のところを越えられないんですね。そこで、飽きてしまったのですが、それだと全く進歩がないなーと思いつつ、ふと思ったことをブログにまとめることにしました。もし、何かございましたら、コメントくださいませ。

Switchホワイト買ってみました。画面も綺麗で、楽しいです。

1,AIは人間をアシストすることが最も得意

1,AIによる個別指導学習

表題の話ですが、昨今のAIって、元々、人間が作成したデータの統計から割り出したデータを確率に基づいて出力しているというツールなので、結局、一番得意なことは「傾向分析」と、それに伴う「予測」なんですね。特に「分析」は様々な統計データを元に解析を行うので、教育のように、ある程度パターンが決まっているものは、基本的にAIは得意だと思います。なので、個別指導を行う際にその生徒が苦手な項目を詳細に分析し、それに対して補修を行ったりするのですが、それはとっっっっても手間がかかる訳でして。できればAIにやってほしいなーと思う訳です。

FC24のハーランドさん。なかなかの良キャラです。

ちなみに何でこんなことを思ったかというと、冒頭でチラッと話した通り、シリーズもののサッカーゲームをしていて、以前と全く同じ難易度でつまずく訳ですね。だったら、AIに自分の癖や課題を徹底的に研究してもらい、その難易度を克服するための練習法を細かく提示してほしい訳です。そうしないと、結局、同じところでつまずく訳で。そしてこれは、教育現場で行われている全ての学習指導にも同じことが言えます。要は、

AIに徹底的に各個人の学習状況を分析させて、苦手なところを洗い出し、その中で一番効率の良い克服の仕方を提示させる。

これにより、苦手分野の徹底的なテコ入れが図れます。何故、間違えたのか。それを理解するための効果的な方法はどのようなものがあるか?(例えば、とある苦手分野の学習に関し、わかりやすいという評判のYouTube動画を提示する 等)そして、それを克服するためには、一般にどのくらいの時間がかかるのか。それらを徹底的に洗い出す訳です。そうすれば、現在、闇雲に行われている宿題なども不要になり、「内容を理解する」という唯一の目的に対し、完全にコミットした学習が可能となります。

2,先生は不要は時代になる?

こういった話をすると、特に、堀江貴文氏辺りが主張している、「AIがあれば先生は要らない」という話に繋がりそうですが、私は、全く逆だと思っています。つまり、

AIによる教育が行われる時代こそ、教員が必要

だと思います。何故かというと、「AIが提示した教育に対し、適切な判断と責任を取る人が必要」だからです。つまり、コンピュータでは責任が取れないということなんですね。AIは仕事はやってくれますが、その先の揉め事に対し、何ら責任は取らないので、結局は、人間が判断するしかありません。また、AIは限りなく正解に近い解答を提示しますが、コミュニケーションのように、正解がないものを学ぶ場所も学校であり、社会人になる上では重要なスキルであると言えます。つまり、

生活力を向上させるための教育がこれからの時代に重要となってくる

という訳です。生活力は経験値に直結する訳ですが、それらの経験は学校のような場所でないと学べない訳ですね。特に周囲に対しての気遣いを学べないと、いくら頭が良くても、反発を招き、自分の能力を発揮できないまま終わってしまうかもしれません。なので、いわゆる、

①自分の「理解者、支援者、協力者」をどのようにして作るか?
②自分の「敵」とどう立ち向かい、どのように対処するか?
③自分の「長所、短所」はどのようなものであり、どのように表現するか?

という3点の問いに対し、どうアプローチするかは、社会で生きていく上でとても重要な訳です。これらはAIと向き合っているだけでは解決されません。なぜならば文字通り答えがない訳で、例えば②に関しては、「敵からひたすら逃げ続ける」が一番良い選択かもしれません。あくまで、AIは一般的な統計データに基づく、一般解しか提示してくれないので、結局のところ、事の本質は自分自身で見極めていくしかないのです。ただ、アドバイスはくれるかもしれません。例えば、chatGPTに「〇〇から〜って言われたんだけど、相手はどう思っているか教えてほしい」という問いを投げかけると、ある程度、的を得た答えが返ってくると思います。ただし、100%正しい答えではない訳なので、その回答に対し、周囲の人間の意見も組み合わせることでより深みのある回答になっていくと推測されます。

3,AIによる「アシスティブ・テクノロジー」

アシスティブ・テクノロジー(通称AT)というのは、本来の意味は障がいをもった方に対し、何らかの機械でサポートを行うことで、障がいの克服を目指していくという意味なのですが、これからの時代は、健常者もAIによるサポートにより、その人が本来備わっている能力を最大限に引き出していくことが可能となっていきます。
つまり、極端に言えば、

AIが、その人の個性を育てる

ということに他なりません。こう言うと「AIに個性が分かるのか?」という問いが来そうですが、AIには人間の個性は本質的には理解できないと思います。ただし、膨大な統計データによる「向き・不向き」の傾向、その人の個性が形作られていく流れ(変遷)を解析することができます。そのため、どのような分野でその人の個性が「出やすい」かどうかは予測ができる訳です。そのため、より個性を発揮できる様な教育もAIなら簡単にできると言う訳ですね。ただし、閃きや自分の人生を変える出会い、学習に対するモチベーションなど、いわゆる「環境変数(要は、「個別の事情」のことです)」も数多くあるため、結論、個性はAIによる教育だけでは作られることは無いでしょう。

これは断言できますが、鳥山明さんや尾田栄一郎さんはAIから生まれては来ません。何故ならば、「AIは面白さの本質がわからない」からです。これは別に心揺さぶる音楽や絵がAIに描けないというわけではありません。今のAIの技術は凄まじく、AIが作成した創作物でも構わないという人もいるでしょう。ただし、それはどこかで見たような作品の延長線であり、一言で言えば、「膨大なコピペの寄せ集め」な訳です。まあ、大半のクリエイティブ作品もそうなってしまう傾向があるので、AI批判には繋がりませんが、人間が作る場合、「誰も理解できないこだわり」が作品に含まれていたりするので、それが「個性」と呼ばれるようになっていく気がします。それが評価されるかどうかは別として、「自分が作った証を残したい」というのがクリエイターなので、それはAIには理解できない感情な訳です。

AIが個性を育てるというのは、あくまで「個性を彩る材料を提供する手伝い」をするだけであり、個性はAIには作れません。これはハッキリと言えます。なぜなら、個性というものはそもそも本人が選んだものではなく、基本的には先天的なものなので、本人も気づいてないことも多いです。その中、客観的な尺度(大会で優勝したり、賞を取るなど)で結果をだした人を「天才」と呼ぶ訳ですが、天才もAIによって支援されることはあっても、AIが天才を作る訳ではない訳です。なぜならば、

AIは人の才能を引き出すことはできても、才能そのものは作れない

からです。ただ、ひっくり返すと、AIが人間の才能を引き出すことは可能だと言えます。一番の好例として、藤井聡太氏が挙げられますが、彼はコンピュータにも精通しており、自分の将棋力を高めるために、最高レベルのマシンを自分で設計した上でAIと将棋を行っている訳です。つまり、コンピュータを活用できる才能(コンピュータリテラシーが高い)があったからこそ、ここまでの棋士に成長した訳ですね。逆に、これはハッキリとは断言ができませんが、

もし、20年前に藤井聡太が生まれていたら、大した棋士にはなっていない

とも考えられます。なぜなら、その時代には高性能なAIが存在していないからです。彼は生まれた時代にも愛された好例であると言えるでしょう。

藤井聡太氏

4,天才は、天才として生まれてきたくて生まれた訳ではない

藤井聡太氏を例に取り上げましたが、AIができることはその人ができそうなことを予想し、今までの経験に照らし合わせた上での指導法を提示するだけです。それ以上のことはできません。データがない訳ですから。つまり、一部の天才のように、全く新しいことを始める場合、それがどういう結果を生むかはAIにも分からない訳です。したがって、天才はAIでは作れない訳であり、もっと言えば、

天才は、いつだって結果論

です。要はイチロー氏や大谷翔平も、偶然の産物な訳です。この世に生まれてみた結果、肉体や頭脳に恵まれ、出会いがあり、色々なことが積み重なって、試してみたら上手くいって、結果、天才と呼ばれるようになっていったという訳ですね。誰かや一部の機関が立案、計画した結果、誕生した訳でもなく、むしろ、ベンチャー起業家のように、何となくできそうだから、やってみたらできたという面が強いでしょう。これを運というのか、運命というのかは分かりませんが、一般人の感情的には、「天才はこの世に生まれるべくして生まれてきた」というドラマを信じたい、ですから「運命」と答える人が多いでしょう。まあ、運って答えると、僻み(ひがみ)にも聞こえますし、私も「運命」と答えます(笑)そのくらい、天才の人生って、まるで一つの物語のように出来過ぎているかな、と思うんですよねー。
アインシュタイン、メッシ、スティーブ・ジョブズなど、天才って色々いますが、天才の人生はいつだって面白いです。

5,教育現場はAIとどのように付き合っていけば良い?

さてと、これがある種、一番言いたかったことかもしれませんが、大見出しにも書いたように、

AIは人間をアシストすることが最も得意

です。というのも、AIは人間っぽく見せているツールであるのは間違いないので、「道具と言えば、道具」なのです。ただし、刃物や銃器のようにリスクがあり、自分で考えることができる(ように見える)ため、使い方にはルールが必要で、安全に使用して行かなければなりません。そんな頭の良い便利道具を使いこなすことがこれからの教育では重要となってくることでしょう。

個人的には、「座学は全てAI中心で行う」ことが重要だと思っています。そう言い切ってしまうと、現場の先生方にお叱りを受けそうですが、時代の変化とともに教育も変化して行かなければならないので、いっそのこと、とことんデジタル化していくことが重要だと思います。そして、教員はAIのサポートをしながら、体験的学習や体育などの手足や身体を使う教育に特化していくことが求められていくでしょう。また、手書きや習字など、アナログな文化もある一定水準で残していく必要があると思われるため、それらをサポートしていく必要もあるでしょう。

デジタルな時代こそ、アナログな体験が残る

と私は考えていますので、別にアナログが嫌いだからアナログを消したい訳ではなく、むしろ、アナログを綺麗に残すためにデジタルを上手く活用しましょう。と言いたい訳です。音楽で生演奏を聴きたい人が減らないように、結局はアナログなんです。最後は。

2、最後に一言

今回も長々と書いてしまいました。ご拝読頂きありがとうございました。

また、今後ともよろしくお願いいたしますー🙂✨


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