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桜区一家無惨帳

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一体何をどうしようというのか。
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#小説

この世の形をさぐる

この世の形をさぐる

 長きにわたって世界は巨大な亀の背中に乗っているとされてきた。だが近頃はにわかにゾウ派がその勢力を増している。

 なぜ今象なのか? 理由はある日海岸に流れ着いた一本の毛にある。大量の魚を巻き込んで座礁した繊維を科学者たちが分析にかけたところ、正体は途方もない大きさをした動物の体毛だった。さらにはそれが推定二億三千六百五十万歳を超える象の毛だと突き止められるに至って、ゾウ派はにわかに活気づいたのだ

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アルフォンス・ミュシャ:死季

アルフォンス・ミュシャ:死季

 これがミュシャか――暗殺者はそう思った。ひび割れたような肌の深い皺に、柳の枝を思わせる長い髭。藤椅子に浅く腰掛け、現世を忘れたかのごとく微睡んでいた。初代ボヘミア皇帝にして最強の魔術師、アルフォンス・ミュシャは当年とって79歳になる。

 燭台が照らす暗い広間の隅で、殺し屋は肩透かしを食ったような気分で短刀を手に取った。そしてその瞬間、自分が死地の只中にあることを知った。

「解れよ」呆けたよう

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方舟と根絶やしザメ

方舟と根絶やしザメ

 ギルガメシュとエンキドゥはそれはそれは広い船の甲板を歩いていた。周りには陸地さながらに石造りの小屋が並んでいるが、これは神命を受けて作られた方舟がひとりでに増築を続けているためである。出航した始めの日には大通りが、二日目には上水路が、三日目には下水道が整えられた。事態が変化を見せたのはそれからだ。

「それで」ギルガメシュが言った。「アンフィスバエナはどうなった」

「殺られタ」エンキドゥが答え

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地上で最後の

地上で最後の

 火星人の地球侵略は失敗に終わった。アカグサレ病が奴らの命脈を絶った。アカグサレ病は地球の海苔がかかる病気だが、免疫のない火星人にとって死病と化した。ざまあみやがれってんだ。

 見上げた空を燃え盛る飛行空母が墜落していく。大方乗員が死に絶えて制御を失ったのだろう。 機体は黒煙のシュプールを描いて荒野の上を横切り、遥か遠くで地面にぶつかって物凄い土煙を上げた。俺はそちらに向けて拳を振り上げてやった

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死の翼ふれるべし

死の翼ふれるべし

 立ち並ぶ煙突が薄暗い煙を吐いていた。

 煙は一団となって宙を流れる。その一部は空に薄く広がって月を隠し、一部は寝静まった家並みの屋根の上に垂れ落ちる。工場地帯の西には名だたる探偵たちが葬られたピラミッド群の天を衝く威容があり、煙はその中腹に当たって二筋に分かれる。煙から突き出た先端部だけが月光を浴びて輝いている。

 ピラミッドのふもとは、一帯が背の高い生け垣で仕切られた迷路じみた庭園になって

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地龍VS事故物件

地龍VS事故物件

 結局のところ、誰も地龍には敵わない。歴史がそれを証明している。

 ある日突如として現れた怪物を前に現代兵器は軒並み歯が立たず、ついにこの国は巨獣に首都を明け渡すに至った。今日では地龍と呼ばれるこの個体は、ビルをなぎ倒して作ったねぐらに悠々と身をうずめている。吠え声は大地を揺るがし、戯れに尾で撒き上げた土くれが砂塵となって人々の疎開先に降り注ぐ。地龍はまさにこの世の王だった。

 今廃墟と化した

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ギロチナイゼーション 1582 パート2

ギロチナイゼーション 1582 パート2

 男は空間から隔絶された部屋の中で、牢獄の様子をじっと窺っていた。白亜の部屋には時の流れもなければ距離もなく、ただ意思だけ、男の意思だけが横溢していた。ゆえに部屋は時空間の制限を受けず、主の望む方へ舵を切ることができた。部屋は男をギヨタンの幽閉された牢へと運んだ。彼がそこへ向かったのは煮えたぎるような憎悪のためだった。

「聞けギヨタンよ」男の無貌の顔に開いた口は、それ以上開きもしなければ閉じもし

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ギロチナイゼーション 1582 パート1

ギロチナイゼーション 1582 パート1

 焼け落ちんとする本能寺は炎の中で光り輝いていた。

 信長はじっと畳の上に座するがまま。目前には一本の小刀が横たえられている。手勢が謀反人の軍勢に勝てぬと見るや殿中に引き返し、ここを終焉の地と決めた。その戦の音も今は遠い。彼の耳に届いてくるのは周囲を焼き焦がす火の音と、今にも押しつぶされようとする梁の軋む音だけだ。

 彼が割腹した後は、燃え盛る火が介錯人の代わりとなろう。言うなれば自らの野望に

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SF泥の雨

SF泥の雨

 月が失禁して8惑星年が経とうとしていた。

 東南東の方角から、夜空を背に伸びあがるようにして姿を現すのが惑星イズモH3の月だ。表面にこごった薄い雲の層が、橙色と灰白色のちょうど中間を示していた。周囲に射す七色のかさが毒々しい。

 数少ないイズモの入植者たちの目には、月は異様に大きく見えた。悠々と空を横切る姿はまるで膨れきった金魚だ。月が通った後の夜空には、なすりつけたような雲の跡が残った。

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ザ・ウィッシュボーン

ザ・ウィッシュボーン

この世界で語られる言葉は、自らに込められた意図やその目的を、自らの意志で語り始める。
――第1の願い

 第2願望期。夏。フランツの駆るバイクは打ち捨てられた廃墟の街を走っていた。辺りには霧のように濃い砂煙が舞っている。並び立つビルは水底の海藻に似て、輪郭だけがおぼろに揺れていた。

 フランツは分厚いゴーグル越しに前方を睨んだ。昼間だというのに辺りは暗い。空にわだかまるねがいの分厚い層に阻まれて

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ウィキ・ザ・デスペディア

ウィキ・ザ・デスペディア

1. ナジャドは追われる身だ。走り去る列車に飛び乗って追っ手を撒いたこともあれば、神父に化けて検問を突破したこともある。百戦錬磨とは言わないまでも窮地を脱するだけの才覚はいつでも持ち合わせていたし、何より彼には集合知が味方についていた。集合知とはつまり、ウィキペディアのことだ。彼は脳幹に搭載したHDDをウィキペディアと同期していて、そこから尽きせぬ泉のように情報を汲み出すことができる。

 ナジャ

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われ思うゆえに猫である

われ思うゆえに猫である

5. なんでも屋が郊外の廃工場へ足を運んだのは、その翌日のことだ。彼は保倉から聞いた話の裏を取りに来たのだった。町の西側はかつての工業団地だ。ひと気のない虚ろな建物の群れは、浜辺に打ち上げられたクラゲを思わせる。彼はそのうちの一棟に用心深く近づいた。今回彼が持ってきた獲物は手斧一本。前回の仕事のあとで、まだ十分な補充が住んでいなかった。

「せーの……ニャーン」振りかぶった手斧の一撃で手近な窓ガラ

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われ思うゆえに猫である

われ思うゆえに猫である

 昔はよく町に猫売りが来ていた。道端にござを広げて、電子基板やICチップだのを商っていたのがそうだ。興味を惹かれてそばに寄ってくる者があれば、猫売りはまず行李から四つ折りにした図面を出して見せてやる。そこには三色のランプを誇らしげに輝かせ、ダイヤルを上品に黒光りさせた猫が描かれていた。それは猫の設計図だった。

 ――どうです。一家に一台、かわいい猫ちゃんは。癒しになりますし、機械ですから死にませ

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われ思うゆえに猫である

われ思うゆえに猫である

1. 猫と人との関わりは古い。アメリカのさる大学が猫の開発に成功したのが今からちょうど70年前のこと。当時はICチップはおろか磁気テープすら存在していなかったので、エンジニアたちは彼女を置いておくのに倉庫まるまる一棟分のスペースを必要とした。

 部屋の壁際を埋め尽くすように整然と並んだ彼女の体は、見た感じ更衣室に備え付けのロッカーに似ていた。もちろん中は真空管(彼女に気まぐれな情緒のひらめきをも

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