現代アート最果ての時代に生まれて/具体〜現代美術の動向・倉貫徹のはじまりと今
2023年9月の最終日30日、奈良・郡山にある美術作家のアトリエを訪ねた。その美術家が12月に海外で開催する個展の図録・カタログに文章を書かせてもらうことになったので、その取材のためだ。
特に関西のアート通は、美術家・倉貫徹さんを知っている人も多いだろうが、そのデビュー・芸術表現活動の始まりは、1960年代の後半に遡る。
その最初は「具体美術協会」新人賞の出展を皮切りに、1970年の「現代美術の動向」展を出発点とする。
2023年、京都国立近代美術館で開催された「Re:スタートライン1963-1970/2023現代美術の動向展シリーズの美術館と作家の共感関係」でも、再発掘された作品・作家群の最終章に名を連ねる作家・アーティストである。
戦後ニッポンの米との契約上の独立(いわばステイタスの上下を明確にした)サンフランシスコ講和条約(=日米地位協定)が結ばれる1951年前後から、それに呼応するようにニッポンの芸術表現運動は列島各地で乱発する。読売アンデパンダンや関西の「具体GUTAI」、九州派や、前衛陶芸家集団「走泥社」など・・・。
その究極のクライマックスが、ちょうど大阪万博が開催される1970年を頂点として、現代アートの最果てに到達する。
前衛・抽象表現、現代美術とは何か?
マルセル・デュシャンが提示した「表現は皆レディメイド」。
現代アートはその枠組みの中で、今なお「新しい表現」という、幻想の可能性を追い求めているが、実のところ、すべては1970年を頂上として、もはや芸術表現は世界の終わりの壁にタッチしている。
李禹煥も、蔡國強も、現在国際舞台のアートシーンで活躍する(高度芸術資本主義のマーケットで暗躍する)すべてのアーティストの、「新しい!」と感じるような表現のほとんどは、この1970年前後にすべて実験され、挑戦されている。
倉貫徹とは、そんな時代にデビューした美術家である。
1970年の「現代美術の動向」展で出品された倉貫作品の現物はほとんど残されていない。火で燃やし、化石・鉱物をそのものをレディメイドと化し、多くの芸術表現者が「前衛の先」へ挑戦し続けた表現の数々は、誰も保存し、価値付けすることはできなかった。
それが真の意味で「前衛」の証である。
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現代アートがその同時代を生きる人々に受け入れられてしまっては、それは直ちに「現代アート」ではなくなり、前衛という先端から、時代を後退することになる。
だから50年経って、その再生をした美術家が、売れた作家として、そのフラッグ(旗)を獲ることになる。
真の意味で芸術家・アーティストとは、世間の人々の感性を50年早く先駆け、やがて誰からも忘れ去られる。そして後進の誰かが、半世紀前の感覚を再生産することで、売れるマーケットで成功する。そして名を成し、そんな作者のみが美術史に功績を刻まれる。
例えば「茶の湯」の世界で言えば、足利義政の茶の師匠・村田珠光が源流を作り、大阪・堺の町で武野紹鴎が発展させた「わび茶」。しかしその歴史に残る立役者は、その紹鴎の弟子の「千利休」、ただ一人の功績であるかのように伝えられている。
すべては、最後の最後に「旗を獲った」作者が勝利なのだろうか?
そんな《現代アート最果ての時代に生まれて》、現代に生きる表現者・アーティストは一体何を描けばいいのだろうか?
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作家・倉貫徹はこれまで、さまざまな表現に挑戦し続けている。
今回2023年の個展の前の段階なので、すべてを公開するわけにはいかないが、この爆発的に描き続け、描き溜めている作品群は、まさに《現代アート最果ての時代に生まれて》の一つの解答となりうるだろうと確信する。
アートプロデューサー陰陽道日乗<2>2023.09.30日記
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