雨上がりの森とセンブリと_高尾
センブリに会いたくて、高尾に向かった。
写真で見た、可憐ながらも凛とした雰囲気のあるその小さい花に、なぜか惹かれていた。
センブリの名を聞いたのは昨年だった。
その直前に見頃だったようだが、知らなかったこともあり見逃して一年が経った。
いま、一丁平の近くに咲いている、という山行記録を見つけた。
連休の高尾山は混雑必至。先に高尾山に登ってからその奥へ歩くことにした。
昨日は午後から夜にかけてしっかりと雨が降ったと思うが、雨上がりの朝は予報通りスッキリと晴れた。
この時期の6号路は登り一方通行。
朝7時台の6号路は朝日が差し込まない方角なので薄暗い。夏の同じ時刻よりも、まだ登山道は空いている。
視力の関係で薄暗い足元が見えづらい。しっとりとした沢沿いの道。本来なら雨上がりのくっきりとした緑も楽しめるはずだが、ぼやけて見える。
次第に朝日が葉を照らすようになってきた。
私の目にとっては、いきなり景色が鮮明になったような感覚があった。
陽の光の恵み…
そこにあるものは同じ状態なのに、
✨光が当たって周囲が明るくなるだけで、くっきりはっきり見えるようになる
✨光が当たって輝く場所に目がいく反面、日陰の場所はより見えづらくなり、そもそも見る者の意識が向きづらくなる
そんなことを思った。
何を照らすのか。何に焦点を当てるのか。何に意識を向けるのか…
山頂はやはり賑やかだった。富士山も雲の中なので、ここでは時間を取らずに奥高尾へ向かう。
立ち止まると汗冷えしそうな気温。衣類の調整が難しい季節になったことを実感しながら、秋の柔らかい朝日の中を歩いていく。
早足だと花を見逃してしまいそうな気がして、少しペースを落とし気味に進む。
昨日の雨はどんな感じだったのだろう。自宅周囲は結構しっかりと降った印象があった。
登山道には濡れた落ち葉がたくさんあって、草もところどころ折れたりして、少し荒れた空気感があった。
嵐の後というような。
今日の雨上がりの植物は…みずみずしい、だけではないと感じた。
秋だから、かもしれないが。
なんだろう…たくさん泣いた後、という感じ。かな。
風雨の中、いらなくなったものを削ぎ落として、ところどころ枝も折ったりしながら…
でも、嵐の後、光を浴びて健気な姿を見せている。
ちょっと哀しげでもある美しさ。
多分、自分と重ねている。
誰にだって嵐の中を彷徨うような時期はあるだろう。
日陰で周囲がぼやけてしか見えなくて、足元ばかりを見ながら進まなければならない時もあるだろう。
でもそんな嵐の時は、いらないものを削ぎ落とすタイミングなのだろう。
削ぎ落とした後、手元に残ったものを大切にしながら生きていく。
そこに光が当たっていく。
また、光が当たらないものがあったとしても、それも嵐の中で残ったものなのだ。
そんなことを感じながら、ちょっと水でも飲もうか、と立ち止まった時に、すぐそばにセンブリの姿があった。
周囲に目を向けると、たくさんのセンブリがそこにあった。
ゆっくりと、一丁平へ登っていく。
センブリの花や葉はみずみずしく、昨日の風雨?を感じさせない姿だった。
センブリに会いにきて、ちゃんと会わせてくれた。
山に感謝。この幸運に感謝。
自分の行動に感謝。
すっかり元気になった(つもり)ので、休憩を取らずに城山まで一気に行ってしまうことにする。
行動食とカフェオレをいただいて、小仏に向かう。
雨上がりのぬかるんだ道を下っていく。
木漏れ日も柔らかく、10時過ぎなのに夕方のような雰囲気もある。
小仏峠に到着。
山歩きを始めた頃も秋だった。そして、小仏バス停からここに登ってきた時、色づく葉と優しい木漏れ日、そして空の青さが作りだすここの雰囲気にシャッターを押したことを思い出した。
もう少し葉が色づいた時期にここでお茶したこともあった。
今日はベンチが埋まっているので、休憩せずに先へ進む。
途中の沢の水で、ゲイターやシューズについた泥を流させていただき、登山口へ。
下山時には、昨日の雨が嘘のように、爽やかな秋の森になっていた。
今日も【感じる山歩き】をさせてくれてありがとう。