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花まくら

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四季折々の花を”まくら”においた、日々つれづれのエッセイ集です。 毎週火曜、金曜更新。
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記事一覧

オリヅルラン(花まくら より 030)

 私が就職と共に京都に来て、三年が経つ頃のことである。私は引越しを考えていた。京都に来る…

鬼藤凛
3年前

ケシ(花まくら より 029)

 雨傘が、色とりどりの物から、透明なビニール傘に取って代わられたのは、いつごろからだろう…

鬼藤凛
3年前

デンファレ(花まくら より 028)

 私の生まれた愛知県岡崎市には、花にまつわる奇妙な風習がある。私がその風習は、一般的なも…

鬼藤凛
3年前
1

ソメイヨシノ(花まくら より 027)

 桜、と聞いて、日本人が真っ先にイメージする、枝先まで満開に咲く、ごく淡い桃色の花、それ…

鬼藤凛
3年前
7

紫陽花(花まくら より 026)

 花というのは普通、雨に弱いものである。桜の花などが、その典型で、雨粒が当たった勢いで、…

鬼藤凛
3年前
5

牡丹(花まくら より 025)

「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」  とは、美しい女性の姿を花に例えた言葉であ…

鬼藤凛
3年前
2

芍薬(花まくら より 024)

 「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」  とは、最高の美人を形容した言葉である。ここに出てくる芍薬は、多年草で、手のひらを思い切り広げたよりも一回り大きい花を咲かせる、大変豪華な花である。花は普通八重で、花びらのふちは波打っており、白と桃色がぼかしになっている。花の大きさ、華麗さと比較して茎が細いのが印象的で、遠目にみると、スラリとした柳腰の美女が、匂うような美貌で佇んでいるのを思わせる。  私の忘れられない芍薬の思い出は、二〇〇八年の五月である。場所は京都の洛南にあ

ミモザ(花まくら より 023)

 中学校の頃、学校の給食の献立表に「ミモザサラダ」という見慣れないメニューが登場した。国…

鬼藤凛
3年前
5

カメリア(花まくら より 022)

 カメリア、とは椿のことである。椿ではなく、特にカメリア、としたのには訳があって、今回の…

鬼藤凛
3年前
3

菜の花(花まくら より 021)

 寒さもゆるみ、ダウンコートの前を開けるころ、スーパーマーケットの店頭に、菜の花は並ぶ。…

鬼藤凛
3年前
7

アザミ(花まくら より 020)

 明るい紫色のポンポンが、背の高い草に咲いている。花は可愛らしく、大きさはピンポン球程度…

鬼藤凛
3年前
1

水仙(花まくら より 019)

 水仙、と聞いて、私が一番最初に思い起こすのは、ギリシャ神話にある、ナルキッソスの伝承だ…

鬼藤凛
3年前
6

朝顔(花まくら より 018)

 日本の夏を彩る花と言えば、朝顔である。青、赤紫の花に、星のように五条の白い筋が入った物…

鬼藤凛
3年前
3

パンジー(花まくら より 017)

 私の祖母は、毎年、毎シーズン、年がら年中と言っていいほど、パンジーを育てている。中にはビオラ、と呼ばれる小型の品種も混ざっていが、ここではまとめてパンジー、と書くことにする。私から見ると、祖母はパンジーが大好きなように見えるのだが、祖母からするとそうではなく、やっぱり春はパンジー、夏はパンジー、秋はパンジー、冬はパンジーと、なんとなくパンジーを植えてしまう、のだそうである。別に特別好きなわけでもないんだけどさ、と祖母は言う。祖母が育てているパンジーは、オーソドックスな黄色の