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デンファレ(花まくら より 028)

 私の生まれた愛知県岡崎市には、花にまつわる奇妙な風習がある。私がその風習は、一般的なものではなく、ごく限られた地域でしか行われない奇習だと知ったのは、中学生ごろだった。大人になってから、愛知県を出て、京都に来た後、確かに、それが事実で、京都ではそのようなことをする人がいないというのを見て、私は、やっぱりそうだったんだなぁ、と思ったものである。
 その風習とは、新しく開店した店に届けられた花を、通りすがりに持ち帰る、というものである。と、言ってもさすがに胡蝶蘭の鉢植えを持って帰る人はいない。持って行くことが黙認されているのは、店頭におかれる、大型のフラワーアレンジメントの花である。金属製のスタンドがあって、その上に、多種多様な花が生けてあって、かつ、ビニールの覆いがかぶさっていないもの。造花ではなく、生花であること。いくつか条件はあるのだが、第一には、開店当日に店に贈られた花であること、である。
 花は、開店時刻と同時に、近隣の住人たちが先を争うようにやってきて、むしり取られていく。バラやらかすみ草やら、トルコキキョウやら、綺麗なものから順に、持ち去られ、一時間もすれば見る影もなく、フラワーアレンジメントの跡形もなくなってしまう。後に残されるのは、ボリュームを出すために入れられていた、葉物の二、三本くらいのものである。
 街を車で走っていて、見るも無残なフラワーアレンジメントのスタンドがあると、あ、あそこは今日開店だったんだなぁ、と思う。祖母がそれを見て、あぁ、しまったなぁ、行けば良かった、などと言う。
 祖母より一世代若い伯母に言わせると、あんなみっともないことするのは、おばあさん世代だけ、ということらしい。私に、開店祝いの花を持って行ってしまうのは、この辺りの地域だけの風習だと言うのを教えてくれたのも、伯母だった。
「よそへ行って、花を持って行ったら、泥棒だと思われちゃうわよ」
 と伯母は苦笑いをした。
 この開店祝いの花を持ち去ると言う行為は、もちろん開店する店が無ければ始まらないので、滅多にあるものではない。近頃は、花を持って行かれないようにビニールで包んであったり、そもそも持って行くのがはばかられるような胡蝶蘭の鉢植えであったり、そういう風に自衛するやり方をするところもあるようだ。
 なぜ、花を持っていくようになったのか、これには諸説あるのだが、一番正解に近そうなのは、これは一種の店から近隣住民への「振る舞い」なのだ、という説である。新しく開店する店が、近隣住民に対して、よろしくお願いします、という意味で、開店祝いの花をおすそ分けとして振る舞う、ということである。
 これを裏付ける事実として、近所に大型のパチンコ店ができた時の話がある。パチンコ店など、建って嬉しい近隣住人はいないから、建設中から愚痴愚痴と祖母はパチンコ店について言っていた。ところが、そのパチンコ店が開店した時の花がすごかった。大通りに面した歩道にずらりと何十台もフラワースタンドが並び、まさに大盤振る舞い。近隣の住人たちがこぞってやってきて、花を持ち帰ったのである。
 もちろん、私の家にもドッサリと花が飾られていた…。あんなに愚痴っていたのに…と思いながら、祖母に話を聞くと、午前中に行って、午後になってもまだ残っていたので、また行った、とホクホクした顔で喜んでいた。これこそまさに、開店祝いの花を持ち帰る、という奇妙な風習の正体ではないだろうか。なお、他の説としては、贈られた花は、店に届いた時点で役目を終えているから、あとは処分するだけ。それならみんなが持って帰る方が合理的、という説もある。私はこれはやや強引な理屈だと思うのだが。
 ところで、振る舞い、という説について、関連する風習が、他にもある。愛知県岡崎市には、新しく家を建てる時、上棟式の一つとして、餅まきというのをすることがある。家主が家の骨組みの上に登って、上から、餅を撒く。餅と言っても、餅だけではなく、お菓子や、時には小銭を和紙で包んだものも入っている。それを、近隣住民が拾うのである。これも、これからよろしくお願いします、ご迷惑おかけしますが、なにとぞお願いします、という意味の振る舞いである。これも最近は廃れつつある風習なのだが、なんとなく、開店祝いの花を持っていく行為と、根っこのところで繋がっている気がしないだろうか?私の生まれた愛知県岡崎市には、振る舞いの精神、発想が根付いているのかもしれない。尾張名古屋は見栄っ張り、ケチだが出すときはドンと出す、県民性があると言われるが、三河岡崎も同じくなのであろう。
 話は変わって、あるとき、小学校帰りの私は、町内の公民館の前に、フラワースタンドが置いてあるのに気が付いた。あれ、こんなところに花がある、と私は気になって覗いて見た。フラワースタンドは五、六台置いてあって、どの台も花がいっぱいに飾ってあった。
 いつもなら、午前中のうちに、みんなが持って行ってしまうのになぁ、と私は思いながら、こんなこと滅多にないから、せっかくだから私も一つもらって行こう、と、紫色の花を一本、フラワースタンドから取って、家に持って帰った。私がもらった花は蘭の系統の花で、花の大きさは、こぶりのおまんじゅうくらい。外が濃い紫色で、内側に行くにつれて色は淡くなり、真ん中は白。一本が三十センチくらいで、四つ花が咲いて、三つ蕾がついていた。そして、根元のところに、プラスチック製の試験管のようなキャップがついていた。キャップの中には水が入っていて、花がしおれないようになっていた。
 私は花を振り振り、家に帰った。そして、母に花をもらってきたよ、まだたくさんあったよ、と伝えた。
「このデンファレ、どこにあったの」
 私はきょとんとして、母に、公民館にあった、と答えた。母は驚いた顔をして、顔をしかめると、それ、お葬式のお花よ。返して来なさい、と言った。お葬式の花は、持ってきちゃいけないのよ、と重ねて言われ、私はしょんぼりして、デンファレを持って、家を出た。この花は、デンファレというんだな、と私は思った。
 トボトボ、通学路を学校の方へ向かって歩いていくと、喪服を来た人がちらほらと歩いているのが見えた。あぁ、この花、本当にお葬式の花だったんだなぁ、と思いながら、私は公民館まで行って、デンファレを元あったところに差した。そして両手を合わせて一礼し、家に戻った。
 私は、難しいなぁ、と思った。持って帰って良い花と、持って帰ってはいけない花の区別が、小学生の私にはまだわからなかったのである。
 それ以来、私は開店祝いの花が置いてあっても、手を出そうという気を起こさなくなった。開店祝いの花を見ると、間違えて葬式の花を持って帰った苦い失敗経験が思い出され、花を持って帰ることに抵抗を感じるのである。
 時は過ぎ去り、先日、京都市内で、新規に開店したスーパーマーケットの前を通った。せっかくだから、入ってみようか、とふらりと立ち寄ったその店の前には、スタンドに置かれた大きなフラワーアレンジメントが飾ってあった。ビニールの覆いも無い。愛知県岡崎市にあれば、もうすでにハゲツルにむしられた後になっていしてもおかしくない、立派なフラワーアレンジメントである。
 それを見て、やっぱり、あの風習って、変だよな、と私は思った。新しく開店する店の、まさに花向けとして贈られるフラワーアレンジメントなのだから、開店時刻をすぎて早々に近隣住民に持ち去られてしまう、というのは乱暴にすぎるのでは無いだろうか。もし、私が今、ここでこの花を持って帰ろうとしたら、通報されるだろうな、と思った。花泥棒も、泥棒の内である。
 店頭を彩る、胡蝶蘭や、フラワーアレンジメントの花々を眺めながら、私は、今一度、なぜ、愛知県岡崎市では、開店祝いの花を持ち去るようになってしまったのだろう?と疑問を感じた。
 伯母は、そんなことをするのは祖母の世代だけ、と言っていたが、それならば、あの風習も、追っていずれは無くなるのだろうか?
 風習は風習で、もう仕方ないことなのかもしれないが、一度、京都という外の地に立ってしまうと、早いところ、あの花に関する奇妙な風習は無くなった方がいいなぁ、と思ってしまう。

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