アザミ(花まくら より 020)
明るい紫色のポンポンが、背の高い草に咲いている。花は可愛らしく、大きさはピンポン球程度である。ちょっと近づいて見る。そして驚く。葉も、茎も、鋭いトゲで覆われて、一歩も近く事ができない。指一本触れさせるものか、という強い拒絶が、感じられる。バラのトゲなど、目では無い。長さも、鋭さも、そしてその数も、比較にならないほどの苛烈さである。特に茎にびっしりと生えたトゲは、もはや針である。地獄の剣山もかくやといった様相だ。
この植物の名前は、アメリカオニアザミ。セイヨウオニアザミとも呼ばれる。トゲのないのは花びらくらい、というほど全体がトゲに覆われている。これが、びっくりするくらい大きく育つ。一株が高さ一.五メートル、縦横に枝葉を伸ばし、障害物がなければ、モンスターかな?と思うような姿に成長する。真ん中の主軸から、旺盛な勢いで枝を伸ばし、さらに枝分かれを繰り返す。小さい内に刈り取ってしまえば、そんな大ごとにならないのだが、トゲが鋭く、容易に軍手を貫通してしまうので、サッと摘んで取ってしまうということができない。カマかノコギリか、何か刃物がいるな、と後回しにしている内に、大きくなってしまう、という寸法である。また、多年草であるため、本格的に駆除しようと思ったなら、スコップで根ごと掘り返してしまわなければならない、というしつこい一面もある。
だが、このアメリカオニアザミの花は、素敵な綿毛を作る。花が大きいので、綿毛もとびきり大きいのだ。色はタンポポと比べるとややベージュがかっている。あのとんでもないトゲからは想像できないほど柔らかく、軽やかである。アメリカオニアザミの枝の先に、綿毛がついているのを、そっと指で摘んで取る。ごっそりとした量の綿毛が取れ、タンポポの小さな綿毛では満たされなかった綿毛欲が満たされる。二、三箇所から綿毛を取れば、手のひらいっぱいになる。吹き飛ばせば、あたり一面に舞い散って壮観である。綿毛を取らずに放っておいて、こぼれるに任せれば、株全体がベージュ色のふわふわで覆われてしまう。綿毛に包まれたアメリカオニアザミの株は、雲をまとったようで、どことなくメルヘンチックである。
何年か前、私の家の向かいに空き地があった。今は買い手がついて、アパートが建っているのだが、縦横十メートルほどのこじんまりした土地で、一年ほど、更地の状態で放置してあった。私はそこを、雑草ガーデンと呼んで、庭いじり代わりに、暇を見つけては手入れしていた。庭いじりとは言うものの、他人の土地、何ができるわけではなく、やることと言えば、雑草を選り分けて草むしりするくらいである。京都の街中に住んでいると、無性に庭やちょっとした緑に飢えてくる。雑草であったとしても、すくすくと育つ姿を見ていると、癒されてしまうのである。タンポポは残す、笹系統の草は抜く、ここはハルジオン、ここはクローバー、と勝手に決めて、それ以外の草は抜く。そうすると、残った雑草が勢いをつけて、繁殖する。そうすることで、庭らしくなっていく、という塩梅である。北側のブロック塀に沿った日当たりの悪いところには、苔が生えていて、ここは苔ゾーン、などとして遊んでいた。
そこにアメリカオニアザミが根を張り、芽吹いたのである。最初に気が付いた時には、もうそれは手が出せないほどの大きさになっていた。猛烈なトゲが葉を茎を覆い、私の雑草ガーデンの中にあって、まったく不可侵の領域を形成していたのであった。アザミだという事はすぐわかった。トゲがある菊っぽい葉の雑草といえばアザミである。特徴があるので、それはわかった。仕方なく、私はアメリカオニアザミを育てることにした。育てると言っても、周りの草を刈ってやるだけのことであるが、その甲斐があってか、なくてもか、アメリカオニアザミは目を見張るようなスピードで成長し、紫色の花を付けた。その頃には、近所の子供が触って怪我をするかも、という風になっていて、私は雑草ガーデンの管理人、もとい単なる近所の住人として、この草を駆除したいという気持ちが増してきていた。
とはいえ、手で取り除くことはとても不可能なので、私は除草剤を撒いてみた。除草剤と言っても、他人の土地に薬剤を撒いてはトラブルになるかと思い、ほうれん草の茹で汁を撒く、というささやかな抵抗をした。ほうれん草に含まれる、シュウ酸には、植物を枯らす効果があるのである。結果としては、茹で汁がかかったところは灰色になり、枯れた。が、鍋一つ分の茹で汁では、アメリカオニアザミ全体にかけるには足りなかったので、根絶するには至らなかった。できるだけ、根元にかかるようには試みたのだが、私のささやかな攻撃は、無駄な抵抗に終わったのであった。アメリカオニアザミは、私をあざ笑うように、もりもりと勢力を拡大し、比例するように、私の雑草ガーデンは荒れていった。夏の雑草の成長は、私のちまちました手入れでは全然追いつかず、一生懸命雑草を抜いて作った素敵な小道も、ぺんぺん草に埋もれて行った。
その頃になると、ご近所さんの間で、空き地の管理会社に苦情を入れようか、という声が上がり始めた。あまりに草が茂って、虫が湧いて困る、という声である。どう思う、と聞かれ、私もそれが良いと思います、と答えた。誰も、私が秘密裏に雑草ガーデンを管理していることなど、気づいてもいなかった。ご苦労に、空き地の草むしりをしている奇特な人、と思われていた。私も、雑草ガーデンを持て余して、飽きてきたところだった。私の雑草ガーデンは、ある夏の日の午後、電動草刈機で一掃された。あれだけの勢いを誇っていたアメリカオニアザミも、電動草刈機の威力の前にはイチコロで、夕暮れごろには、跡形もなく、片付けられていた。さっぱりとしてしまった空き地は、それから間をおかず、建設が始まり、アパートになってしまった。私の雑草ガーデンは、跡形もなく消えた。
私の生まれ育った愛知県岡崎市には、三十年前、一九九〇年代の私が子供の頃は、アメリカオニアザミは生えていなかった。アザミと言えば、ノアザミで、こちらはトゲはほどほど、ご愛嬌程度のもので、花はアメリカオニアザミと同じ、明るい紫色であった。アザミにはトゲがあるから、触ってはいけないよ、と言われ、私はアザミを見つけると、あ、トゲ、と思っていた。アザミの花は、よく土手に咲いていた。生い茂る草むらの中にあって、ポンポンと、ところどころに咲いたアザミの紫色は、ひときわ鮮やかだったのを、はっきりと覚えている。アザミの花の紫色は、陽気な色である。紫の花と言えば、落ち着いた、品のあるものが多い中で、アザミの紫色は、見ようによってはピンクにも見える、明るい色である。それが緑色の草むらに生えていると、そこだけ浮き上がって見える。トゲがあるなんて思えないほど、朗らかで、楽しげなのである。
二〇二〇年現在は、愛知県岡崎市にもアメリカオニアザミが侵略し、繁殖していると思われる。ノザアミとは全く違う、暴力的な植物である。環境省の要注意外来生物にも指定されている。北海道で、輸入された牧草と共に入ってきてしまった外来種ということなので、徐々に南下してきているのだと思う。私の住んでいる京都にまできているということは、愛知県はすでに通過済みということだろう。アメリカオニアザミの花は大きく、美しいし、綿毛はタンポポの何倍もあって、楽しい。トゲさえなければ、特筆して嫌がられる植物でもないはずなのだが、残念なことである。
しかし、私は知っている。アメリカオニアザミの花が、あんなにも美しく、また、綿毛があんなに面白く見えるのは、実はトゲがあって、簡単には触れられないからなのだ。君は触られたら死んでしまうのかい?と思うほどに、防御して防御して、トゲを身にまとって、攻撃するぞ、と身構えているから、アメリカオニアザミはひときわ面白いのである。
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