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生意気なねこの重さ。


生意気なねこを抱くとその重さは私の体と和合した。しんしんと、ごく自然に、最初から私の体の一部だったような居心地で。しかし、生意気なねこは1分後に「ううう。」と唸った。私の一部になったはずなのに「いますぐ解放すれば咬まずにゆるしてやる。」と言わんばかりに不服そうな声音だ。

私は仕方なく生意気なねこをそっと床へ置いた。すると、生意気なねこは一目散に部屋の出口へ走ったあと、こちらを振り返り「にゃあああん!」と大きな声を出した。私はそれが「ばかやろう!」に聞こえて、生意気なねこらしくてとてもいいなあ、とうれしくなった。太腿に残ったねこの毛と円い体温は生意気であたたかい。

母が拾ってきたねこはとても生意気だった。小さな体へいっぱいの生意気を詰め込んだ風貌をしていた。

私はそこが気に入った。

地球は人間だけのもの、と勘違いしている人間に「それちゃうで。」と反論するような眼差しは深く強く勇ましく私の目に映った。過度に山を削り木を切り川の形を変え海に汚物を垂れ流す、そんな人間の「足るを知る」を無視する傲慢さと、なにかと主人公になりたがる人間という生き物を心底軽蔑しながら、自身が人間であることに対して私は私をゆるせないでいた。そんな安っぽい戯論にまみれた矛盾を抱えて生きていたときに生意気なねこはうちへやって来た。

食事し排泄し寝て遊んで窓から見える景色と風を楽しみ群れることに価値を置かず小さな変化を面白がる、ありのままの生意気なねこがそばにいるだけで私の中に巣食っていたドロっとしたものは薄くなった。それは消えることはないけれど、私は生意気なねこに救われたのだ。生意気なねこは別に私を救うために生まれたわけではないけれど、その存在が私のそばに在るだけでふわりと飛んでいきそうな私のいのちの重石となっている。

これから先のことはわからない。けれど、その先にあるものが真冬に飲む白湯くらいホッとやさしいもので包まれていますように、といまを頑張ってみようと思う。

私は生意気なねこに「そばにいてくれてありがと。だいすき。」と伝えてなでると手の甲を甘噛みされた。それが「そんなんあたりまえやんか。」と言ってくれたようでとてもとてもうれしくて、やさしさがポロポロとこぼれおちた。





生意気なねこ



#未来のためにできること



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