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「当たり前」ができず何度も挫折した会社員時代ーー食の仕事を目指し続けた山本咲さんが、フードコーディネーターになるまで
30代が近づくなかで人生の岐路に立ち、新たな道を切り拓こうとする人たちにインタビューしていく連載「それでも夢を追う理由」。1人目はフードコーディネーター兼菓子作家の山本咲さんに話を聞いた。
会社員時代は挫折ばかりだったという山本さん。食の仕事に携わりたかったという彼女だが、組織のなかでは自分の強みをなかなか発揮できず、苦しい時期が続いた。夢はすぐそばなのに、目の前に立ちはだかる壁を乗り越えられない。そんなことが繰り返される日々。しかし、どれだけ挫折しても食の仕事がしたいという気持ちを捨てられない。彼女は時々立ち止まりながらも、自分の居場所を探し続けた。
3年近く働けた会社は3社中1社だけだった
まさか自分がフードコーディネーターになるなんて考えてもいませんでした。ただ、どうしても食に直接携われる仕事がしたいという気持ちはあったんです。それができないとどんどん元気がなくなって、誰でもできて当たり前のことすらできなくなるほどで(笑)。いろんな会社で働いてみて、自分がそういう人間だということに気づきました。
山本咲さんのInstagram
会社員として働いていたのは7年ほどで、3年近く働けた会社は1社だけでした。大学時代も色々上手くいかなくて挫折することはあったんですけど、企画アイデアやプレゼンに関しては先生から「意外と得意だよね」って言われたりして、少しだけ自信を持てていたんです。だから企業で働くようになったら、自分ができることで会社に貢献できるんじゃないかと少し期待していたところがあったんですよね。でもいざ会社員になってみると、思った以上に評価されづらい環境だということがわかって。大学時代よりもさらに高い壁が現れたような気持ちでした。
飲食チェーンを運営するA社で働いていたときは、まず誰もが配属される店舗勤務で挫折しました。地方の店舗に配属されたのですが、近くに気軽に会える友人や家族もいなくてかなりハードで。出社して、販売して、皿洗いして、レジ締めして、帰宅して……そんな毎日をこなしていくことに必死になっていたら、あっという間に目標を見失ってしまいました。
皿洗いで手荒れがひどくなって自宅で料理をすることすら難しくなったときに「自分がしたかったことってなんだったんだっけ?」と考えるようになって。結局1年ほどで退職してしまいました。今思えば入社できたことに満足してその先どうやって働こうか考えてなかったんですよね。
目の前にあったはずが、どんどん遠ざかる夢
そのあと料理雑誌を刊行するB社に転職しました。自分がやっていて楽しいと思えるアイデア出しやプレゼンができそうな会社に就こうと思ったんです。編集未経験だったのでアルバイトでなんとか入り込みました。編集に関われる機会はなかなかありませんでしたけど、すぐ横で雑誌ができていく過程が見れたのは勉強になりましたね。雑誌の隅にある小さなコーナーを任せてもらえたこともあって、あれは嬉しかったです。
編集者になるんだと張り切っていました。横で見ていたら、アイデアがどんどん湧いてきて、私だったらこうするなとか思ったりして。早く編集者になりたいとそればかり考えていましたね。会社はそんな私のやる気を買ってくれて、バイトの枠ではやれないようなクワイアントワークもやらせてくれました。
ただ、認めてもらえてると実感する反面、任せてもらえる業務が編集ではなく営業補佐の事務仕事ばかりだったことに不安が募っていきました。確実に自分のやりたいことから離れているという感覚があったんです。これから自分は編集ではなく営業の仕事が増えていくのだろうと予感しました。
やっぱり私は自分のやりたい仕事じゃないとダメなんですよね。それに当時26歳で周りと比較して焦っていた時期でもあったので、「このまま編集者になれなかったらどうしよう」とか「自分は何のために頑張ってきたんだろう」とかそんな思いが渦巻いて気持ちが少しずつ切れていくのがわかりました。
「当たり前」ができないという劣等感
はじめに「誰でもできて当たり前のことすらできなくなる」という話をしましたが、私、昔から朝の登校や出社がすごく苦手なんです。大学でも遅れてくる生徒は私ぐらいだったので先生からはよく不良だと言われていて。
気持ちが保てている間は何とか頑張れるんですけど、メンタルの調子が悪くなるとまず出社ができなくなる。出社時間を守れなければ、指摘はされるし、評価も下がるかもしれない。それでもどうしてもできない。B社でも次第に自分の欠点が露呈してくるようになって、どんどん自分を責めるようになっていきました。
社会に出るまで自分はクリエイティブな職に向いてるんだと思ってました。でもいざ組織で働いてみると、当たり前のことができなければ自分の強みを活かせるチャンスはこないし、評価として認められない。会社員になってから、自分にとってその「当たり前」がいかに難しいことかを痛感する日々でした。
食の仕事に携わる方法はあるはずだと思わずにいられなかった
それでもやっぱり食の仕事をしたいという気持ちを諦めることができなくて。もっと自分の特性を活かした形で食の仕事に携わる方法はあるはずだと思わずにいられなかった。
それで自分が培ってきた技術をもっとアピールできる場を作る必要があるんじゃないかと、仕事とは別にお菓子づくりの活動を始めてみることにしたんです。
山本咲さんによるお菓子ブランド「小田原フルーツベイク」
展示を開いたり、SNSで発信したり、フリーランスの人たちが集まるイベントに足を運んだりして、とにかく繋がりを増やすチャンスを探しました。その都度、自分にはどういうことができてこれから何をしたいかをよく周囲に話していました。
そうやって繋がりを増やしていたら、ある日とある飲食開発会社の社員に出会って「今、人足りてないからうちくる?」と誘ってもらえたんです。
ようやく出会えた「これだ!」と思える仕事
そこは少数精鋭の会社だったこともあっていろんな仕事にチャレンジできる職場で。ここなら自分の能力を活かせるかもしれないと入社を決めました。
入社早々に料理開発や新店舗の器のセレクトを担当させてもらえて嬉しかったですね。初めてのことばかりで戸惑いましたけど、自分がやりたいことに近づいてるという実感がありました。ようやく思い描いていたことが手に届いた気がして、いろんなことを経験させてもらえて本当にありがたかったです。
その会社でコーディネーターの仕事を任されるようになって、もっとこの仕事に専念したいという思いが大きくなっていきました。これまでは「食の仕事がしたい」と手探りで自分に合う職種を探していたのですが、ようやくこれだ!と思うものを見つけた感覚でしたね。フリーランスのことが頭によぎるようになったのも、そのあたりからです。
そんな時期に、昔お世話になったフードコーディネーターの師匠に再会したんです。その時は特に何もなく、今後のこととか色々話しただけだったんですけど。後日その師匠がアシスタントを募集してると聞いて連絡してみたんです。そしたら採用してもらえることになって。そこでフリーランスになれる道が拓けました。
会社に残るかフリーになるか迷いました。でもあの会社でいろいろ教えてもらえたことで、自分は料理開発やスタイリングをすることが好きなんだって改めて気づいたので。思い切って師匠についていくことにしたんです。
挫折を繰り返して、ようやく実を結んだ現在
今は師匠のもとでアシスタントをやりながら、個人の仕事も増やしているところです。不思議なもので、やりたい仕事であれば早朝からの仕事も苦ではないんですよね。出社が苦手というより、組織のルールに縛られることが私にはあまり合わなかったのかもしれません。合う/合わないというのは誰しもありますよね。
私自身フリーランスになるために何か戦略的なことを考えていたわけではないんですけど、縁が繋いでくれたことはたくさんあったなと思います。ただ、その縁というのも、やりたいことや好きなことが自分の中でずっと決まっていたからこそ繋がっていたようにも感じるんです。
自分がどんな状況であっても、周りにはやりたいことや好きなことを素直に話していたんですよね。それはやっぱり「自分はこれがやりたい」という気持ちがはっきりしていたからだと思います。それがやっとやっと実を結んだんだなと実感しています。
山本 咲さん
フードコーディネーター兼菓子作家。女子栄養大学で栄養の基礎的な知識と食領域における企画やデザインを実践し、食の幅広い知見を得る。2018年頃より「小田原フルーツベイク」という屋号で、地元産の果物を使用したお菓子のブランドをローンチ。店舗を持たない形態で、週末にイベント出店やカフェ等でのポップアップ、ケータリング等で主にお菓子(たまに料理)を提供している。
Instagram:@bake_yamamoto_bake /@odawara_fruits_bake
note:https://note.com/bake_ymmt_bake/