エッセイ「大みそかの小さな奇跡」
年を越す金が無かった。
家賃、水光熱費、電話代、食費、カネを追いカネに追われる、
それから逃げ延びるだけで精一杯の日々を送っていた時期がある。
今から十年ほど前の大みそか、十二月三十一日の夜、
私は埼玉のある田舎町の工場で、日雇いのアルバイトをしていた。
駅からバスで三十分ほど行った所にある、人気の無い場所。
日給八千円くらい、荷物の運搬作業である。
軍手をしていても手の皮膚がザラザラになるほど、冬の寒さが通り抜ける薄暗く大きな倉庫の中で、私を含めた従業員たちはベルトコンベアーに列を作り、黙々と品物を段ボール箱に詰めてはトラックに積む、その作業を繰り返していた。
私がトラックに積むのは、新年のご馳走や日用雑貨品だった。
お客に届ける料理が美味そうでたまらない。空腹の身には見るのも辛い。
配達用の段ボールに詰める高級伊勢海老等を見ながら、
自分はこんな状況でも、同じ世の中には年明けの贅沢を楽しむ人もいるのだ、不平等だ、と卑屈になって手を動かしていた。
日雇いの仕事は、意外と出会いが少ない。
私も含め、働きに来ているほとんどの人が、その日の日当を目当てに来ていたので、そこで友達を作ろうなんて、ハナから考えないのかもしれない。
皆、無駄話もせず最低限の会話で仕事をしていた。
世間話でもしたいじれったさを抑えながら、ただひたすら手を動かし、
時が過ぎるのを待った。
二十時になると仕事終わりの放送が倉庫に響いた。
皆、競い合うようにしてタイムカードを切り、帰り支度を始めた。
着替えをする六畳に満たない小部屋が人でぎゅうぎゅうだったので、私は差し入れの缶コーヒーを飲んでいた。わずかに舌の上に広がる甘みが、一日の肉体の疲れをほぐしてくれた。
寒い中よく働いた、私は自分を労った。
そうして小さな達成感に浸っていると、着替えを済ませた皆が、
颯爽と列をなして工場の前にあるバス乗り場へ向かっていくのが見えた。
間もなくバスが到着し、皆を乗せて走り去っていった。
その瞬間、工場が一気に静かになったのを今でも覚えている。
もしや、と思った時には遅かった。
先ほどのバスは最終バスだったのだ。
大晦日だから、普段より余計に本数が少ない。
どうしよう。工場から家まで歩くにはどう優しく見積もっても二時間以上はかかる。かといって、タクシーを呼べるようなら、こうして日雇いの仕事などしていない。財布事情は苦しい。
二時間の徒歩、私は覚悟した。肉体はすでに悲鳴を上げていた。
誰もいない小部屋の中で作業着を着替え、帰路の長さを想像した。あきらめにも似た重たい心で帰りの身支度をし、だだっ広い駐車場を歩いていると、一人の青年が私に声を掛けてきた。同じように帰りのバスを逃した仲間だろうか。
私は、帰りのバスを逃してしまったので、これから二時間ほどかけて歩いて帰るという旨を、自暴自棄になって説明した。
青年はそれを聞き、私事のように顔を曇らせた。
「それは大変だ。折角の大晦日なのに。今ならまだ除夜の鐘に間に合うかもしれません。さ、どうぞ乗ってください」
彼は当然の事であるかのように微笑み、車で私を家まで送ってくれると言った。面倒をお掛けしてしまうが、この状況、正直助かる、私は最大限の感謝を伝えた。
帰りの車中で彼の名前を聞き、そのお名前は二度と忘れまいと思っていたが、失念してしまった。私が日雇いで行った会社の社員だった。
大晦日の日、遅くまで職場に残っていたところ、私が駐車場でオロオロしているのを見かけ、声を掛けてくれたらしい。
人生、捨てたものではない。そう思いながら助手席に座り、彼との短い会話を楽しんだ。車の中は暖房がよく効いていた。そして何より彼の人柄が温かかった。
自分の会社の事だとはいえ、困っている私を見て状況を察し、助けるまでの、彼の判断力とその素早さと言ったらなかった。
こういう人の心を見習おうと思った。
自宅まで送ってもらい、私たちは別れた。
洋服を洗濯機に放り込み、シャワーを浴びた。
熱い湯に打たれ体をほぐしながら、私は感謝し手を合わせた。
彼の人生に幸せが多く訪れますようにと、切に祈った。
そして妻と二人、アパートのベランダで除夜の鐘を聴いた。
彼はあの時、除夜の鐘を聴いていただろうか。
あの方のお名前は忘れてしまったが、彼から受けた親切と、
そしてあの日聴いた除夜の鐘はいまだ忘れられずにいる。
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