お疲れ様。俺です。 いやあどんどん将来が見えなくなってきますなあ。 みんなより一年早く社会人になってしまったわけだけど、半年も経てばお前らもこちら側の住人です。 なんか物足りないけど多分意外とその生活にも慣れてなんとなくも幸せがあると思う。 これからどんどん会わなくなるだろうし、年一で開催される忘年会的になっちゃう飲みでは少しの今と沢山の昔を嗜んで楽しむと思う。 それが嫌で学生のうちに何か成し遂げなければとやってきたけど、それだけが楽しみになっちゃうのかね。俺は。
もうダメかもって時にあなたの音楽が好きと言われる。顔も見たこともない人に救われる。俺は誰かにとっての音楽家。あなたは誰かにとっての救世主。これで良かったと思う後悔をしたい。
俺さ、マジでヒーローになれると思ってた
やっぱりたまに、俺なんかが生きてていいのかね なんてくだらないことを考える。 罪滅ぼしのために生きているのかも分からないが結局は罪が増えていく一方で存在意義のかけらもねえなと思う。 それすら創作にしてしまうのも贖罪を求めてるようでなんだか嫌んなる。 もっと分かりやすくうんこ食えとか謝る時は土下座しろとか言われた方が日々を受け入れられる。 受け入れなれないと涙が出てくる。こういう涙は望んじゃいなかった。それも許しを乞うてる様で恥ずかしい。 ああ、多分きっとこの恥ずかしさだ。こ
この曲はみんなにとってどんなものになるのだろうか。 というかそもそも僕にとってこのナポリタンという曲はどんなものなのだろうか。 分からないから前に進めずにいる。多くの人に聴いてもらって、触れてもらってどうにかなる気持ちなのだろうか。分からないまま今日が昨日になる。聞き覚えのある言葉とともに誰かの言葉が嫌味に聞こえて、前に進もうとする誰かが眩しく見えてその光はずっとずっと苦しい。 この曲は自主短編映画の主題歌として今年の二月頃から作り始めた。初めて完成した楽曲に近しい音を鳴
また会いたいと思う心は、もう会えないから抱く気持ちなのかもしれない。 大切なことを教えてくれる人は大切だって気づけた時にはもうそばに居ないし、僕に大切だって教えたつもりもない。 罵倒して返ってくるのが喜びだったらそれは罵倒じゃないんだろうな。傷つけた分だけ傷つくんだから上手いことできてるなと思う。 それを知ってか知らずか僕たちの悪口は減らない。 そうしないと保てない精神を正当化して今日まで繋いできた命の綱を、まだ愛おしいと思える。 刹那を生きる僕たちがこれからも刹那の中
つい最近、地元の友人が就職のため、上京するとのことで引越しの手伝いに行った。 駅に着くと友人は彼女さんと一緒に待っていてくれていた。 彼女さんは地元での就職なのだが、研修の為三週間ほど東京にいるらしい。 軽く挨拶をして家へ招かれると、部屋が段ボールで埋まっていた。いつかの僕を見てるみたいでなんだか嬉しくてわくわくした。 お使いで頼まれていたカーテンを渡し、段ボールで誤魔化していた窓を覆った。 一緒に夕飯を食べた。カーテン買ってきてくれたお礼だからと言って奢ってくれた。美
危なかった。 自分らしかった。 よかった。 好きじゃない人の身体は、なんでこうも大切に思えないのか不思議だ。 適当に揃えていたのが四暗刻単騎という役で褒められた。 脱衣の先にある恥毛に僕の赤面を分けてやろうかと思ったが、なんだか違う匂いがしてやめた。 あの曲のAメロが流れる。
ヒエラルキーの最下層で泥水啜る少年は、今も満天の星空を眺めている。置かれた状況も知らずに開くかもあやふやな蕾を大事に育ててる。 それに比べて僕はどうした。生熟れのまま二十七歳の終わりに差し掛かり、永遠のようにも感じられる日々を換気扇を回して紛らわすので精一杯ではないか。 たくさんの愛に囲まれ、幸せとは何なのか考えた時に自分は幸せだから考える必要もないと思い屈託のない日々を過ごしてきたではないか。誰かの死に真面目に向き合うこともせずのうのうと生きてきたではないか。 後悔といえ
多分きっと、変わってしまったのは僕の方だ。 振り返れば分かる。振り返らなくとも分かる。先を見れば分かる。少し前は輝いていただろう。これから歩む道が。その輝きが曖昧になってる。ごめんよ。 でも仕方ないじゃないかとも思う。僕と同じように世の中だって変わってるじゃないか。そうやって僕の願いを拒もうとするじゃないか。 また会えたら嬉しい
俺、もうダメかもなあ が 最近いっぱいある それでもやめたら負けなのだ 何と戦ってるかと聞かれても答えられるわけないのだがやめたら負けなのだ 負けたくないのだ あー、靴擦れが痛い
ふぉいふぉいふぉいだしずんちゃずんちゃだしさかーなさかーなすきだってことーだよ おはようにいってらっしゃいにただいまでおかえりでいただきますごちそうさまでしたの机の上はみりんだし上手いことできてる世の中にファイティングポーズ取るの諦めてそろそろ手助けした方がかっこいいのかもねー かんぱーい、おめでとうありがとうのダンシングダンシングだね ただただだらだらするのもいいじゃないいちゃいちゃらぶらぶするのもいいじゃない 変わる変わらないの借り物競走よりも今の愛し愛されをできる
たまに残り何年生きられるか教えてくれる機械でもあればいいなと思うことがある。 それがあれば残り少ない命を無駄にすることもないし、まだまだ続く命を満身創痍で生きなくてよくなる。 でもだからこそなんだろうな、だからこそ命は儚くて脆くて、その脆さから成る愛情や友情に救われたりするから輝いているんだろうな。 その輝きの一つがついこないだ地球を20周させたらしくて、嫌々廻ってくれてるであろう彼(あるいは彼女)に尊敬の意を示すために文字を綴ることにした。 それっぽい書き始め方をしてみ
数年に一度、ふと『クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』を観たいという衝動に駆られる。 初めて観たのはいつだっただろうか。父親がレンタルビデオ屋で借りてきてくれたんだっけな。あの頃は分からなかった。戻りたい過去などなかった。未来が常に輝いてた。タワーを登るしんちゃんの気持ちになって前のめりになって観てたな笑 いつから戻りたい過去ができただろうか。この映画を観たくなるということは戻りたい気持ちが溢れる寸前ということなのだろう。僕もオトナ帝国の住人になってしまっ