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僕は狼煙を見て、ただ眠る

ヒエラルキーの最下層で泥水啜る少年は、今も満天の星空を眺めている。置かれた状況も知らずに開くかもあやふやな蕾を大事に育ててる。


それに比べて僕はどうした。生熟れのまま二十七歳の終わりに差し掛かり、永遠のようにも感じられる日々を換気扇を回して紛らわすので精一杯ではないか。
たくさんの愛に囲まれ、幸せとは何なのか考えた時に自分は幸せだから考える必要もないと思い屈託のない日々を過ごしてきたではないか。誰かの死に真面目に向き合うこともせずのうのうと生きてきたではないか。
後悔といえば、十五歳までに『リリイシュシュのすべて』を観なかったことと十九歳の時に麻美ゆまに出会ってしまったことくらいだろう。そんな深みのない人生を送ってきた僕が何を今更、夢や希望を抱く人々に羨みや妬みを覚えているのだ。
少し早く起きて築三十七年のボロアパートの屋上から朝日が昇るのをみて白湯を一杯飲み、前の日冷凍したご飯と味噌汁があれば十分ではないか。与えられた仕事があり、それを適度にこなせれば立派ではないか。たまに好きだった子のこと思い出して哀しくなっても、棚の引き出しにあるオナホールに助けてもらえばそれはとても幸せなことではないだろうか。孤独から成る負のエネルギーに飲まれ朽ちていくことこそ僕が僕を証明できる唯一の方法なのだ。

『「皆さんが静かになるまで三分かかりました。」と言葉にため息がついてくるようなあの頃の先生と同じ顔をしてるような気がする。
ねえ先生、先生は自分が生徒を静かにさせるのに百八十秒かけたという愚かさを忘れて偽りの”正しさ”を振り翳して自分のコピーを作ってくのが役目だったんだね。そうやっていつの時代も何かを教える側が高飛車な態度で、この偉大な日出る国を騙し騙しで繋いできたんだね。』とお国ごと批判してみれば少しは気が晴れるかと思ったがそんなことはなかった。
また換気扇が回る。ヤニ臭い日々の蟠りは寿命を縮める一方だ。
どうせ灰と化して死する僕が描いた未来は今どこにある。きっと母の胎の中の忘れてきたのだろう。だからこんなにも膣の温もりを思い出して生き急ぐのだろう。帰りたいは還りたい、か。
寝る前というのはしょうもないことを考えてしまうもので
こんな投げやりな命に儚さや脆さを纏い、憂いたりするなんて見苦しい。

エアコンの暖房もつけたまま寝てしまったせいで、まだ日の出前だというのに皮肉にも部屋が暖かい。これを喜べるくらいには生活に余裕がある。
ただ、休日だというのにこの時間に目を覚ましてしまう自分には嫌気がさす。
仕方なく屋上へ行き、朝日を待つ。
この生活を始めたのは、この家に住み始めた頃からになるのでもう五年ほど経つだろうか。北海道の旭川から就職のためにこの東京に上京してきた。
ただ東京という街に憧れただけで、やりたいことをするためにここに来たわけじゃないので上京して三ヶ月ほどで精神的追い込まれてしまい、精神科医で診断書をもらって当分の休みを取った。
眠れない夜が続き、こんな豆粒にも満たない薬に生かされてると思うと自分自身に嫌気がさし四階建てアパートの屋上へ向かった。打ちどころが悪ければ簡単に死ねると思った。
が、そこまでに至るための勇気を持ち合わせていないのが僕という奴で、ただ夜明けを待つことしか出来なかった。
しかし、その夜明けは僕にとってはどんな励ましの言葉よりもハウツー本よりも僕のことを抱きしめてくれた気がしていまだにそれに縋ってるというわけだ。
それまでは心のどこかでロックスターや映画スターとして活躍することを思い描いてたかもしれない。だからこのカオスな街にわざわざやってきたのだとも思う。
この気持ちが必要なくなると思うと荷が降りたというか、やっと身の程にあった生活を受け入れられる気がして安堵した。

こんな適当に生きてる僕にもいつだったか恋人がいた。語るほどの思い出もないが、街路樹が色づき始める季節にレンタカーを借りて草津まで走らせたことはよく覚えている。慣れない運転で助手席に乗る彼女はさぞ不安だっただろうが片道五時間ほどの長旅を笑顔絶やさずにいてくれた。秋の紅葉に目を輝かせる彼女の瞳が綺麗で見惚れてしまった。二泊三日の旅は一瞬あっという間に終わってしまった。
僕らの秋も割と早かった気がする。別れの理由はもう覚えていないが普段から喧嘩の大抵は僕が悪かったから多分そういうことなのだろう。貰ったパーカーよりも当時流行っていたコンデジでのハメ撮りよりも、あの旅のために入ったもう使うこともないであろうタイムズカーシェアの会員カードが愛おしくなる日が来るとは思わなかった。
僕はこんな風に輝いていた日々を振り返り続けることしか脳がないらしく、憂いの代わりに安い命の価値を少しでも上げられるように一日を二十五時間にも二十六時間にもしてから眠るのだ。
きっと彼女が知ったら少し引き攣った笑みを溢してから「思い出補正かけるのはよしてよー笑」と軽くあしらってくれるだろう。
笑える。

やはり休日というのは本当にやることがない。こんなにくだらない思い出を振り返ってもまだ正午にも満たない。全然、二十五時間にも二十六時間にもすることなく朝を迎えられそうだ笑

かれこれ四時間ほど部屋の奥にしまってあったrockin' on数冊を取り出し読み返していた。大学生の頃に古本屋で買い集めたものなので雑誌自体はずいぶん昔のものになる。
当時はバイトで貯めた金でギターなんか買ってみたりして「俺もロックバンドで食えるようになるんだ!」と周りに言い散らしていた。
彼らが今の僕の生活を見たら「全然ロックじゃねえな」と叱るだろう。
そりゃそうだ、結局当時もボーカルが見つからなくてバンドになることもなかった。元々ロックのロの字もない人間だ。
その癖ロックミュージシャンのバックボーンやファッションには少し詳しくて、ロックを知ったつもりになっていた。シドヴィシャスやイアンカーティス、カートコバーンに憧れ、僕にも秘めた才能があるかもしれないと淡い期待を抱いていたが明後日で二十八歳を迎える。天才を夢見た凡人の履き違えた解釈に惑わされることなくこれからを過ごせると思うと良かったのかもしれない。が、その若さがあったからこそいろんなものが鮮やかに見えて僕の感性を刺激していたのだなとも思う。なあ同志よ、そうは思わないか?
誰にも届くはずのない問いかけに恥ずかしくなり、頭の後ろで手を組み寝転がり、低い天井を見上げる。
なぜか尾崎放哉の句が書かれた紙が無作為に貼られていて、部屋評論家が見たら酷評するだろうなと思った。いつ貼ったのかも覚えてないが流石のセンスのなさに呆れた。相場好きなロックバンドのポスターだろ。せめてロックスターの言葉だろ。言いたいことが山ほど出てくるし、”咳をしても一人”を認めるのは嫌なので夕飯の買い出しにスーパーへ向かう。

学校帰りの高校生はいつだってだらしない。シャツを出し第二ボタンまで外し、大きな声を出して走っている。自分達が中心に回る世界が確かに僕らにもあった。角が取れていく自分をただ受け入れるしかなかった。拘泥し続ける未来を描いてほしいと彼らを横目で見て通り過ぎていく。夕陽が僕を照らしているように感じ胸を張って歩いてみたが、通り過ぎてもなかなか消えない少年たちの声に自然と肩が丸まった。
外を歩くとやはり少し惨めに感じる。前を向けば道ゆく人が僕を笑ってるような気がするし、下を向けば内股でちびちび歩く僕がいる。
今日は明日が楽しみになるカレーにしよう。ほら、一晩寝かせたカレーは美味いというだろう?
誰でも作れるものを最高に作るのが僕の役目だと思う。

買い出しを終え、音楽を聴きながら支度をする。カレーにおける最高というのは特別なスパイスを入れるとか隠し味にコーヒーを入れるとかそんな複雑なものじゃなくて、結局は安いカレールーを使うことだと思う。「背伸びをすると足元掬われて痛い思いをする」と散々祖父に言われてきた。祖父が言うならそうなのだろう。身の丈にあった生活こそ至高だ。
それにしてもスピーカーで音楽を流してるというのに、隣の207号室から喘ぎ声が聞こえる。壁が薄いのか声がでかいのか、はたまたその両方なのか、、、。
確か隣に住んでるのは彼氏の方で服飾学生だった気がする。ゴミ出しの際に会うくらいでほとんど面識はないが、ひょろい身体でアイアンメイデンのバンドTシャツを寝巻きに使う様を見てこいつとは仲良くなれないと思った。
夜中、隣人が寝静まってからまぐわらないための配慮なら、まあ見逃してやろう。

彼らもいつか終わってしまうのだろうか。賢者タイムの一服に彼女を寄せ付けないオーラを纏い、静寂に耐え切れなくなった彼女が愛想尽かしてアボカドを投げつけて出て行ってしまうのだろうか。無気力になった彼氏は、一人じゃ盛り上がりに欠けるスマブラを日の出までやってカーテンを開けずにそのまま眠るのだろうか。酒の力を借りて震える声を騙しながら電話をかけるも、ホストに初めて行った話を延々と聞かされ、付き合い始めた頃との違いに頭が追いつかなくて左耳が疼くのだろうか。その理由は自分も身に覚えがあるからだろう。
他人のことを考えるほど余裕はないのだがついついやってしまう。未完のふたりというのはいつだって魅力的だ。と同時に少しばかり死んでくれとも思う。
くだらないことで頭を働かせているうちにカレーが完成した。
この味の物足りなさを一人暮らしのせいにして最高だと言い聞かせる。それも含めて僕の思い描いた最高だということだ。


身体にまとわりつく、高校生たちの人生への希望や道ゆく人から感じられた僕を蔑む視線、僕が僕に対して抱く不甲斐なさを洗い落とし一日を終える。誰にも愛されぬことを不憫に思うかもしれないが問題ない。僕も僕を愛してない。ハナから決まってる負け戦に挑む人々は、いずれ廃れた街に縋り泣きつくしかないのだと笑うどうしようもない奴を愛せる者などいないだろう。
こんなだからこそせめて真っ当に死にたいと思う。
換気扇のあるキッチンまでの足が重く、天井の尾崎放哉の詩に隠れる火災警報器を気にしながら肺に入れた煙の許容先を探して咳き込んでしまう。当たり前に心配してくれる人もいなく、虚しさを抱えて布団に入る。


曇天から始まる月曜日の朝は目覚めが悪く憂鬱で仕方ないが、カーテンを開けてベランダを覗くとまだ蕾だったローズマリーが花を咲かせていた。












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