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深く切りすぎちゃったな

たまに残り何年生きられるか教えてくれる機械でもあればいいなと思うことがある。
それがあれば残り少ない命を無駄にすることもないし、まだまだ続く命を満身創痍で生きなくてよくなる。
でもだからこそなんだろうな、だからこそ命は儚くて脆くて、その脆さから成る愛情や友情に救われたりするから輝いているんだろうな。

その輝きの一つがついこないだ地球を20周させたらしくて、嫌々廻ってくれてるであろう彼(あるいは彼女)に尊敬の意を示すために文字を綴ることにした。

それっぽい書き始め方をしてみたが(言葉に嘘偽りはない)ここからはただ思ったことをつらつら書き起こしていくだけなのでやめ時はここだよと伝えておく。

いろんなことを諦めてしまったな。
その度に後悔していつからか後悔するのが人生の醍醐味でしょとおかしなことを考えるようになってしまったな。
でかい大便一発で済ませられないめんどくさい男になってしまった気がする。なあオナニーマスター?そう思うでしょ。

俺誰とでも分かり合えると思ってたな。普段本読まない人でも読みたくなる本書けると思ってたし、普段音楽聴かない人でも聴きたくなる曲作れると思ってたし、普段映画観ない人でも観たくなるような映画撮れると思ってた。
まあ流石に冗談だけどさ、それくらい自分に期待してた。
でもどうしても分かり合えない人がいた。それを分かってしまったことが辛かった。こうして書き出してしまうということはまだ諦めてないのかもしれない。
往生際の悪い男は気持ち悪いと思う。

誰かを信じるとか誰かに優しくするっていうのは結局自己満足でしかないのだろうけど、その自己満足の成り立ち方って誰かに貰ったものだと思うんだよな。詳しく話そうとしちゃうとさ、きっとボロが出て違うじゃんってなるからやめとくけど俺はそう思う。僕は貰い物。貰ったものがいっぱいいっぱいになると育てられないから溢れちゃうから手放したり受け取らなかったりするんだろうな。年を重ねると共にもらえる機会が増えていくから目まぐるしくて疲れちゃって休憩するんだ。
それを信じれなかったとか優しくできなかったに変換してしまうのかもね。

うまく言葉にできているだろうか。

そうなるのが怖いからできるだけ自分の半径3メートルのパーソナルスペースには入れたくないし入ってきた際には全力で追い出す努力をする。
それも承知で根っこのところグッて握ってくれる人がたまにいてたまらなく嬉しくなる。
でもその人たちも自分が疲れたら俺の根っこ簡単に手放してどこかにいってしまう。俺のは抜かれた根だから地を這うのにものすごく時間がかかる。それと同時に俺は相手の根を掴めてなかったことに気付く。触れていただけだったらしい。ダサいのう。

うん、僕にはそんな才能がある気がする。このダサさは極めるに値すると思う。

よし、終わり方が分からないのでこの辺にしておく。


爪切ろーっと。



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