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【119】意識マップで感情のエネルギーの強さがわかる! ー エネルギーレベル500~540
ご訪問頂き誠にありがとうございます。
本日も以下テキストから人間の意識レベルを見ていきます。
詳細は前回の記事を参照下さい。
再度意識マップを引用します。
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※ 意識マップのログ項に記載されたエネルギーレベルの数値は十進数ではなく対数表示です。つまり、エネルギーレベル100は10の100乗ということになります。
従って、エネルギーレベル75の「悲しみ」と100の「恐怖」の間には大きな差があるということです。
本著では、エネルギーレベル200未満のエネルギーを「フォース」、200以上を「パワー」と定義しています。
前回はエネルギーレベル250から400までを見ていきました。
本日は500から順に見ていきたいと思います。
エネルギーレベル 500: 愛
愛することとは、世界に対して許し、養う、サポート的な心の在り方であり、理性や頭から発せられるものではありません。
メディアなどで「愛」と呼ばれているものは、肉体的な魅力や所有欲などに基づく、感情的な状態を示しています。
依存的で感傷的な類のものであるため、ひとたび関係性に問題が生じると、「憎しみ」へと変わる可能性があります。
「プライド」が元になっているため、そのような関係性には真の「愛」は存在しません。
一方でレベル500の「愛」は、無条件かつ不変で永久的なものであり、外的要因に依存しないので、決して揺らぎません。
その純粋さゆえに他者のエネルギーをも引き上げる極めて大きなパワーがあります。
世間では「愛」というテーマに惹きつけられますが、実際にこのレベルに達する人間は全人口の4%しかいません。
そんな人々の特徴は以下の通りです。
◾️ 物事の本質を識別する能力に優れ、理性を使わずとも、問題の全体性を瞬時に認識する能力が生まれる
◾️ 時間とプロセスを直観でとらえるため、連続するイメージをミクロではなく、マクロで扱えるようになる
◾️ 立場にとらわれず、区別もしないので、「他と一つになる」ことができる。
◾️ 包括的で自己に対する理解が拡大する
◾️ 生きとし生けるものの全ての存在をありのままですばらしいと感じるようになる
◾️ ネガティブなものを攻撃するのではなく、リセットすることによって解消し、ポジティブさを増大させる
エネルギーレベル500を超えるともはや世界や物事を高い視座から俯瞰で見ていることが分かります。
アインシュタインは娘宛の手紙に「愛には限界がないため、愛こそが存在する最大のエネルギーである」と残していたという説があります。
真偽は定かではないようですが、こういったものが存在することは、何らかの意味を持っていると感じます。
エネルギーレベル540: 喜び
「愛」が高まるにつれて、内側から「喜び」が湧き出てきます。
全ての行動の一瞬一瞬の中で感じられることでしょう。
このレベルは、聖職者や精神世界のマスターやヒーラーなどの領域であり、他者に対してはっきりとした影響を与えます。
長引く逆境に直面しながらも、大きな忍耐力で積極的な態度を示します。それは「慈愛」ともいうべき状態です。
この状態では、長時間相手の目をじっと見つめることでだけでも、人々を愛と平和に導くことができます。
この他に以下のような特徴が挙げられます。
■ 他者に対する責任感について、低いレベルで示されるそれとは違い、特定の人々のためではなく、生命そのもののために意識を使いたいという願望を持つ
◾️多くの人々を同時に愛することができ、愛が深まれば深まるほど、その範囲は拡大していく
◾️世界が完全なる創造と絶妙たる美しさで輝いて見えるようになる。この世の全てが愛と神性さの表現であることを理解する
◾️自分たちよりももっと偉大な存在を身近に感じるようになり、通常の現実的感覚では受け止められないような意志、すなわち「奇跡」の力さえ感じられる現象が起こってくる
■ 臨死体験をしている。この経験により意識が変容することがある
ここまでのレベルになるといよいよ、物理世界から精神世界へ入ってきているようです。神様というべき力が働いてきているのでしょう。
ちなみに最後の「臨死体験」をしているというのは、たまたま経験したという人は少ないかもしれません。
一方で、厳しい修行の過程でも臨死体験か、それに近い状態になることで開眼するという荒業でも可能なようです。
一部の原始的な民族では、「擬死体験」と呼ばれる成人の通過儀礼としてやるところもあるそうです。
例えば、一週間座禅を組んだまま、飲まず食わず眠らずで過ごすであるとか、真っ暗な洞窟に閉じ込められてひたすら瞑想をするであったり、あるいは土の中に生き埋めにされて死の寸前で引き上げられるなどというとんでもないものがあるそうです。
そうまでして悟りの境地に至らんとする意思は、崇高なものを感じます。
絶対真似できませんが……
バンジージャンプも元々、成人の通過儀礼だったようですので、擬死体験という意味合いがあったのかもしれませんね。
残すところはあと二つとなりました。
明日はこの究極の状態について見ていきます。
ここまで読んで頂き誠にありがとうございました。
いつもご訪問下さり、スキやフォロー頂けることに感謝致します。
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向日葵畑の向こう側
「創作大賞2023」ファンタジー小説部門応募作品です。全編約50000字程度の短編小説となっております。
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