並べて見れば、種にも、多様性がちゃんとある
世間では最近、SDGsとさかんに
言われています。
ビジネス関連の場面では、特に。
それは、自然に則った健全な経済活動に
向かうには悪いことではないと思います。
内心は商売しか眼中にないけど、
で言っているのでなければ。
ですが、ここでは、
「生物多様性」ということば、
ちょっと違う使い方をしてみたいです。
柑橘好きは、みなさんそうでは?
と思いますが、
めずらしい種類を見つけると
心が躍ります。
だからブラッドオレンジや黄金柑など、
スーパーに並んでいると
ついつい、カゴに入れずにはいられない。
こういう柑橘が身近にいてくれると、
知らず知らず顔がほころびます。
食べるのが惜しくて、しわしわにしてしまったり。
数年前に、和歌山の物産館で、
ずっとあこがれだった仏手柑(ぶっしゅかん)
に出会えたときは、
踊り出しそうなレベルのうれしさでした。
もちろん、何個も買って
しばらく眺めて暮らしました。
ありがとう、仏手柑、と今思い出しても
お礼が言いたくなります。
で、最近、「ふくれみかん」を食べ、
果汁たっぷりの「へべす」の果汁をしぼって
味わってみました。
どちらとも、野生種に近いので、
種がたくさんありますが、
なんだか捨てられず…
で、試しにまいてみようと、
小皿に。
並べて見ると、同じ柑橘類の種なのに、
色の感じがだいぶ違う。
もちろん、一つ一つも違ってます。
こういうのを目にすると、
思います。
自然界にあるものは、
なんでもすべて、違うんですよね。
もともと、多様性に富んでいる、
人間が邪魔さえしなければ。
だから、「生物多様性」と
しきりに、ことさらに、
言わなければいけない状態は
かなり、ずれているのだ、
と気づいた方がよいのでしょう。
ちがうものをむりやり規格化して
均質化しようとする、
効率的に扱いやすくしようとする。
それは一体誰のため?
それで幸せになるのは誰?
本当に、そのルールや規格の中に
自分たちも、入る必要あり?
「生物多様性」という用語、考え方は、
自然から遠ざからないように
生きるためには?と考え直すのに、
とても使える、ことば、考え方な気がします。
まずは、いろいろなものを楽しみたい!
その先に、何かが待っている?