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佐々季節
2022年11月14日 06:17
今日は、友人に「いつか書いてくれ」と言われて、ずっとずっと先延ばしにしていたことを書いてみようと思う。いや、書き出してみようと思う。というのもこのことについて書くことは非常にためらわれるのだ。そのためらいは何から来るものなのか、わからない。どうやって言葉に表せばいいのかわからないのか、言葉にしたくないのか。いや、もっと別の理由があるのか。以前、ここにもほかの映画を見に行った感想について書いた
2022年10月24日 04:54
ある日、いつものようにお昼過ぎに妻と散歩に出た。アパートから出たすぐの通りをそのまま右へ行けば、海まで真っすぐのびる道だ。散歩に出るときは必ずと言っていいほど、右だ。右に行けばとにかく海に出ることができる。アパートから10分くらい歩いた一つ目の大きい交差点を渡ったあたりで、大声で泣いている子ども(4歳くらいかの女児)がいた。周りをみても保護者はいなそうだ。というか住宅地にもかかわらず周りに私たち
2022年10月10日 03:33
随分とここから離れてしまっていたように感じる。それは前回本編を執筆した8月21日からおよそ2ヶ月の休載を経たからではない、と感じる。おそらくフランスに来てしまったからだ。随分と遠くに離れてしまった。赤穂の日々はあまりに眩しい思い出となってしまった。あのアパートから見える水平線はもうここにはない。代わりに今この窓から見えるのはフランスの街並み。これからの人生でおおよそ転地療養中の赤穂ほどのゆった
2022年9月12日 04:13
フランスに到着しましたが、その前後が激動すぎて2週間お休みしました。今週もあまり落ち着かず連載を書く気にまったくなれないので、最近の激動を少し書いておこうと思います。コロナになりましたこの数年間、コロナ流行してましたね。その間、まったくなりませんでした。それにも関わらず、フランスに行く直前でコロナになりました。体温は38度程度だったので症状は大したことなかったです。しかし10日の隔離期
2022年4月1日 21:55
この日も平日の仕事をなんとかこなし(もちろん安宿→職場→安宿の往復運動が中心の悪夢のような日々、以後、この往復運動を–100%〈マイナス100パーセント〉と呼ぶことにする)、週末に海沿いのホーム探しという気の遠くなるような毎日を送っていた。次に、私たち四国ではなく京都から見ると少し手前に位置する兵庫県須磨周辺を見てみることにした。須磨には高校時代の友人のスマ君も住んでいたし、久しぶりに彼と
2022年3月22日 21:59
結局、愛媛は単なる旅行に終わった。夏目漱石の小説で読んだ街とは違って随分栄えた都会だ。特に宿泊したホテルの周辺は夜の繁華街で柄の悪そうなムチムチストレッチパンツをはいた居丈高そうな人たちで溢れている。それもそのはずで漱石が英語教師として松山に赴任したのは明治28年らしく、1895年、今からはるか昔のことだ。まぁ漱石は1年しか滞在していないらしいが。ともかく、私は日本のエーゲ海と呼ばれる牛窓
2022年3月14日 14:20
私たちはまず旅行がてら愛媛県へ向かった.愛媛出身のおおらかな知人もいたし、温暖な気候と何より海があった.宇和島にある海沿いの民宿を予約した.もう随分前のことに感じるが、そう、その時はコロナウィルスの感染拡大が徐々に広がっていた頃だった.ただでさへ人が少なそうな所へ来て、当時まだまだ詳細不明のウィルスが流行し出したとあって人はかなり少なかった.予定していた韓国旅行をキャンセルしたことも手伝い