「僕はキャプテン」不法移民を描く映画ー【イタリア映画祭】を機内で観て思ったこと
こんにちは、セレナです。
ドイツ滞在を終えて、NY経由でフロリダに戻ってきました♡
ドイツからNYまでの飛行時間は7時間と楽だったのですが、NYからフロリダへのちょうどいい乗り継ぎ便がなくて、なんとその場で7時間の待ち時間。
マンハッタンまで行って時間を潰す気力もなく、ラウンジも使えなかったし、NYの空港の店やレストランはまったく魅力がないうえに、全体的に混んでいたので、軽食を楽しんだり読書したりして、ボーと時間を潰してました。
ただでさえも疲れてるのに、7時間も、どうやって時間を潰そう!?
と思ったものの、
イライラやガッカリ感が大きかったわけでもなく、すべてがスムースにいってることや、横にいる夫への感謝の気持ちや、終わったばかりの旅に対する満足感に浸ってました。
この気持ちをより深く感じていたのは、機内で観た映画の余韻も大きかったからでもありました。
日本語訳は「僕はキャプテン」
監督:マッテオ・ガッローネ
出演:セイドゥ・サール、 ムスタファ・ファル
ヴェネチア国際映画祭で監督賞や若手俳優賞などを受賞、アカデミー賞国際長編映画賞にもノミネートされたということで素晴らしい作品だったのですが、ストーリーに共感!賞賛!というよりは、これが事実に基づいているのであれば、世界に警告を鳴らすという意味でも衝撃的。
登場人物の青年2人が、セネガルでの貧しい生活にうんざりして、家族のためにもヨーロッパで豊かになることを夢みてアフリカから旅立つ。というストーリー。
冒険モノにも聞こえますが、それが違法であること、危険であること、ヨーロッパでの生活に何の保証もないということの重大さを甘く見ているために、死と隣り合わせの展開になる部分は、どこまでがリアルなのか。
セネガルという国について私はよく知らないのですが、首都ダカールの名前が脳裏にこびりついているのは、若い頃に【パリ・ダカール・ラリー】がとても有名だったことを覚えているから。
サハラ砂漠のレースがとても有名で、CMとかありましたよね、昔??
とはいえ、その美しさとはうらはらに、ビザとパスポートを持たない不法入国を試みるアフリカ人たちは、この砂漠を日中日夜歩き続けるという過酷なルートを辿るわけですが、どんなに辛くても誰も助けてはくれません。
これが事実であるならば、この映画が広まることで安易な冒険にもブレーキがかかるかもしれませんが、あるいは、そんなことはとっくに承知の上なのでしょうか。
ヨーロッパだけではなく、アメリカでも移民問題は非常に大きな課題ですが、知人たちとこれについて話すとき、大きく意見が分かれることが多く、答えを出すことの難しさを感じ続けています。
ということで、この映画のラストシーンもまた、見る人が日ごろから感じていることがダイレクトに反映される終わり方になっています。
あなたの中に沸き上がる感情が、自分が信じていることであるなら、自分の意見とはうらはらだった、なんてサプライズを自分の中に発見するかもしれません。
私の場合は、青年たちの母親の心境を想像するだけで、もう心がヒリヒリでした。生きた心地なんかしないだろうなぁ。私達が子供を留学や旅行に送り出すのとは違うわけです。
危険すぎる冒険の途中で助けてくれ~!という連絡が来たとしても、迎えに行くことができない。。。
あるいは群衆の中にいた、過酷な状況の中で子供の手を引く母親の気持ち。
なぜそこまでしてヨーロッパを目指すのか知りようもないけれど。。。
難民問題に熱心に取り組み、国連難民高等弁務官事務所の特使を務めるアメリカ人女優といえばアンジェリーナ・ジョリーですが、彼女のスピーチで心に残ってる、私の大大大好きな言葉を最後に紹介しますね。
NYの空港の、国際フライトのターミナルは混みあっていました。
私はグローバルエントリーを持ってるのですんなり入国できたけど、その他は長蛇の列でした。
でも、国境が閉ざされてガラガラになってしまった数年前のコロナ禍の空港のことを思えば、多くの人たちが自由に世界を飛べまわれる時代に戻れたなんて、本当に素晴らしいことです。
いろんな言語を喋りながら通り過ぎていく多くの人たちのエネルギーに、なんだか元気づけられたし、この映画とのコントラストが大きすぎて胸がいっぱいになりました。
セレナの個人セッション、再開しました♡
今年こそしっかりと愛と喜びの波動に生きると決めた方へ。
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