【小説】耳を傾ける 第4話
※一話完結ですので、お気軽にご覧ください。
雪深い地方都市にある喫茶店『中継点CAFE』に、話を聞くことが得意な人がいるらしい。みんな自分が悪いんだと泣いてる人や誰も私を分かってくれないと怒り狂っている人を見つけたら、『中継点CAFE』を知る人たちは通りすがりに言います。「百坂さんのところに行ってみたら?」ーー。
CAFEって言うくらいだから、たまにみんなと奮発して、模試の打ち上げみたいな時に行く、オシャレな新しい、明るい感じのところだと思ってた。その『中継点CAFE』は、わたし達が慣れているオシャレな感じとは全く違っていた。浮つくようなキラキラした雰囲気じゃなくて、シンとして、ぐらぐらした不安定な、目眩のような違和感を鎮めてくれる。分かりやすく可愛くて清潔でカラフルな雑貨や観葉植物ではなく、調度品って感じの入り組んだ美しさや愛らしさを持ったインテリアだった。席も、硬い椅子や立ち上がるのが大変になるくらい柔らかい居心地が悪くなるくらいビビットな色のソファーじゃなくて、すべすべした感じが気持ちいい、ちょうどいいクッションのものだった。
上品なおばあちゃんの家って感じ。ついさっき、ここのことを教えてくれたおばあちゃんみたいな、と思い出した。
席について、店員さんがお水とメニューを置いて行ってくれてから、ふと、緊張からか苦い気持ちが蘇ってきた。耳にまだ、さっきまでいたファミレスの喧騒がついている。みんなの笑い声、フライドポテトやピザの湯気と油の匂いが鬱陶しかった。だから、途中でみんなに謝って具合悪くなったって嘘ついて先に帰って、少し離れたコンビニのトイレで吐いた。
まだ喉に酸が残っているように、じわじわと痺れていたので、水を飲んだ。私はメニューを見ず、さっきおばあちゃんから「おすすめ」って教えてもらったパフェを頼んだ。
百坂さんって人は何処だろう? わたしはキョロキョロと辺りを見た。店員さんに聞いておけば良かった、とソファーの背にもたれた。
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百坂さんが厨房でお皿を洗っていると、成田さんがパフェの注文を告げ、山田さんがグラスを取って調理台に置いた。成田さんは去り際に、
「女の子ひとりです」
と、百坂さんに届くように声をかけた。それを受けて洗い終えた食器を拭いていた夏坂さんが、
「百坂さん、これ終わったら向こう戻ってください」
と、指示した。
パフェを一人で食べる人には話したいことがある、という定説が『中継点CAFE』の中で出来上がりつつあるようなのだ。
「あたし、フツーに一人でパフェ食べますけどね」
と、山田さんは釘を刺すように言い、グラスの底にチョコレートソースを垂らした。その上にフルーツカクテルを重ね、次にソフトクリームを絞る。バニラアイスを丸くくり抜いて乗せ、その周りに立て掛けるように、くし形に切ったオレンジ、パイナップル、半月切りのキウイ、斜め切りのバナナ、自家製プリン、ショートブレットを盛り付ける。アイスのてっぺんに生クリームを絞り、桜桃とミントの葉を飾って、「できましたよー」と、成田さんを呼んだ。
百坂さんも手を洗って準備をした。
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パフェが来た時、ちょっと不安になった。
添えられている食器は柄の長いスプーンは当然ながら、見慣れない柄の長いフォークもついていた。飾られている果物は大きく切ってあって、確かにスプーンじゃ食べるのが難しそうだった。背の高いグラスの胴部分を触るとすごく冷たいので、ソフトクリームが入っているだと分かって、こんなにたくさんどうしようとも思った。上にたくさん乗っている果物やクッキー、プリン、生クリームと上手く一緒に食べたほうがいいのかな? 下のソースとも混ぜていけばいいのかな?
とりあえずスプーンを取った。
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彼女は、百坂さんが横を通ったことに気が付かなかったのか、ずっとパフェを眺めていた。百坂さんがいつもの席に座るころに、やっとスプーンを取った。百坂さんは本を読みながら、彼女が食べ進めていくのに慣れるまで待つことにした。
彼女は、まずプリンをすくった。まったりした固めのプリンで、スプーンを持ち上げるとき重たげにぐらついた。口を小さくもぐもぐとさせて、味わっているようだった。次に、すくおうとしたアイスが固くて、ソフトクリームの土台に沈んで果物がこぼれそうになり、ちょっと怯んでいた。添えられているフォークを使って、オレンジをグラスから抜き取り、ソフトクリームがついたところを齧った。オレンジを引き抜いて開いたところにスプーンを突っ込んで底のチョコレートソースをすくうように引き抜いて、チョコレートソースをグラスの下の皿へ垂らしてしまい、「あ」と小さく叫んでいた。
百坂さんはつい吹き出した。あの人とおんなじミスをした、と思い出したのだ。自分の、耳を傾ける仕事の、初めてのお客さんである照美さんのことだ。最初のうちの何度かは苗字で呼んでいたが、ある日パフェを食べに来た日に、苗字が変わったからせっかくだから名前で呼んでくれない、と言い、あの彼女のようにパフェを食べた。
彼女はコツをつかんだのか、集中して食べていた。それを見て百坂さんは一息ついた。パフェを食べ終えたお客さんの話に耳を傾けるのは、少し楽なのだ。パフェを食べるときは余計なことを考えていられなくなるからだと、百坂さんは思っている。
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「いっっつもね、みんなで分けられるものしか食べないんです。料理も値段も。ポテトとかピザとか。誰が決めたわけでもないのに、自然とそうなちゃって。別にばらばらのものそれぞれ食べて話しててもいいはずなのに。なんか、頼むもので、キャラが出ちゃうのかな? 値段とか料理のイメージとかで? え? それ好きなの? とか それ頼めるの? とか。みんながそう考えてるのかは分かんないけど、わたしは、もしみんなにそう見られたら怖いなって思って、考えすぎなのは分かってるんだけど、そう考えたら気持ち悪くなちゃって、逃げてきちゃったんです」
わたしは百坂さんにたくさん喋っていた。さっきまでの頭が痛くなるような混乱した気持ちがすっかり鎮まっていて、気持ちがよかった。
百坂さんはうなずきながら、じっと話を聞いてくれていた。みんなに話しているときと全然違って、なんだか泣きそうになるくらいに安心した。
みんなに話すときは、みんなの反応を確認するのも忙しくて、焦るし、話を聞く番に私がなった時は相槌を一生懸命に打つので頭がくらくらする。わたしもみんなも、真面目に聞いているっていうより、ちゃんと聞いてますよってみんなに一生懸命に伝えているって感じ。
お店のドアが開く音が聞こえてきた。パフェを運んできてくれた店員さんが、入ってきた人と話しているらしい会話が聞こえた。
「あれっ? どしたの?」
「すみません。忘れ物しちゃって」
入ってきたのは男の子らしい。振り向くと、わたしは「あ」と小さく叫んでしまった。水球部の甲斐くんだ。甲斐くんは私に気づかず、奥のほうへ小走りに向かった。すると、甲斐くんの後ろについていた女の人の姿が見えて、わたしはびっくりした。
ここのことを教えてくれたおばあちゃんだったーー。
おばあちゃんは、わたしに気が付いてにこっとしてくれた。そして、店員さんとおしゃべりしながら、席に向かった。
「照美さん、公演の稽古、順調ですか?」
「ええ。今日は甲斐くんが台本忘れちゃって、代表に叱られちゃってたんだけど」
「あ、もしかして、」
「そう。ここの」
と、おばあちゃんは「staff only」と書かれた奥のドアを指さして、くすくす笑った。
ほぼ同時に甲斐くんが部屋から出てきて、照美さんと呼ばれたおばあちゃんに謝った。どうやらおばあちゃんの車に乗せてもらってここに忘れ物を取りに来たらしい。
甲斐くんがわたしに気がついて、「水泳部の」と確認をして、わたしが頷くと会釈をした。
わたしは彼が手に握りしめている忘れ物を確認した。コピー用紙をステイプラーで閉じた束で、劇団雪のまち第60回公演と印字されていた。
「俺。演劇やってて、客演、出るの」
彼が演劇をやっているというのが意外過ぎて戸惑ったのと、きゃくえん、がわからなくて、わたしは首を傾げた。
「甲斐くん、フリーで、いろんな劇団とか街に行政が企画してる市民劇とかに出てて、今回、私たちの劇団でお願いしたの」
と、おばあちゃんは説明してくれた。
「へえ、俳優さんなんだ」
わたしはびっくりして、そうとしか返事できなかった。甲斐くんは照れたのか、すこしニヤけてた。
「兄ちゃんが多摩美で演劇勉強してて、俺もそこ行きたいんだ」
「あ、もしかして、バイトも」
「そ、学費をね」
「友達も、観に来るの? 演劇」
「うん。すっげぇダメ出ししてくる」
と、甲斐くんは嫌そうな表情を作っておどけた。
わたしはとてもすっきりとした気分になっていた。同じ学校で過ごしている人が、学校の外でこんな風に暮らしてるんだ、って出会うことができたからかもしれなかった。
成田さんと呼ばれた店員さんが、グラスを下げてくれた。
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彼女が帰った後、百坂さんは照美さんの話を少し聞いた。照美さんはすっかりパフェを食べるのが手馴れていた。
照美さんは熟年離婚をして、一人暮らしを始め、地元の社会人劇団に入って、稽古終わりによく『中継点CAFE』に寄ってくれる。今のアパートに引っ越した夕方に、夕ご飯代わりにここへパフェを食べに来たのだ。
「もう、チョコレートソースはこぼさないから」
と、照美さんは楽しそうに答えた。
「わたしも、もうあまり泣いてません」
と、百坂さんも答えた。この、耳を傾ける仕事を始めた頃は、百坂さんがプロのカウンセラーじゃないと知ると、百坂さんの労働条件や給料、雇用形態をしつこく訊いてきて、ねちねち絡んでくる人が多くて、百坂さんは毎日泣いていたのだ。
閉店後、成田さんが山田さんと夏坂さんと百坂さんを「パフェ食べに行こ」と誘った。
「この時間だと、ファミレスですか?」
と、夏坂さんが渋るような声を出した。
「実はね、いいとこあんの。鍛冶町のレビアン! あそこね、夜二時まで開いてて、飲んだ後に甘いもの食べに来る人に人気なの」
「あ、じゃあまずはご飯ですか?」
山田さんが歓声を上げた。
百坂さんは、みんながパフェを食べた後、何か話したくなるのだろうか、と一瞬だけ怯んだものの、誘われてとても嬉しかったので、テーブルを拭く手を急がせた。
了
第1話はこちら
https://note.mu/kise1995/n/ne0b35174aa7f