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無の境地
ここの線内は飛ばしてもいいコーナー★
本題を先に読みたい方は、線外を読んでね♡
さてさて、今日も今日とて禅のお話。
そもそもなんで、禅なんて言い出したか?
それはあまり心穏やかではなかったからですね。
ここ数年は仕事に私生活が忙しくて、慌ただしくすぎており、自分の時間も取れずに疲れていたんです。
疲れると怒りっぽくなって、暴力的になって、言葉も荒っぽくなって…
そんな時、私はいつも「徳をつもう」と思えば乗り切れていたんですが、今回はそれを頭が許してくれませんでした。
(全くいい人に思われなくてもいい!っていう逆ギレ。私がつらいんだからー!と周りに怒り倒していました。元々はそうゆう人ではありませんが、睡眠不足と疲労とは恐ろしいものです)
マインドフルネスやってみた。
心を落ちつけるために、マインドフルネス瞑想などしていたんです。
しかし、そうはいかない。
そう簡単には変わらない。
まあとにかく人は寝なきゃダメなんです。
(眠れないから瞑想をはじめた)
でもね、眠れない!!
そう、心や体や頭が疲れすぎると興奮で眠れなくなります。
もちろんホルモンバランスも崩れ放題です。
そこで、
自分を大切にしよう。
もう全て投げ出して、自分を大切にしたんです。趣味を見つけ体を動かし、寝る。
(まあそうは言ってもやらなきゃいけないことはやってくるのでやってました)
無理しないことにしました。
無理しないってわかりますか?
マジで何にもしないんです。
寝まくりました。
眠くなくても、エコノミー症候群になりそうなくらい横たわってました。好きなことだけやりました。
掃除もやめました。着替えるのも、お風呂に入るのも食事するのも作るのも。お金に執着するのも。
未来については考えません。
これも、私は禅だと思います。
自分と向き合ったといえます。
キャパオーバーだったんです。
今まで毎日やっていた掃除や毎日使っていた湯船、着替え、食事の準備、3食の食事、人付き合い。
私は器用じゃないと私を認めてあげました。
坐禅
瞑想
この時間がよかった。
私は無理になれたんですね。
私の心は少し元気になって、
それでまあ、こんなふうに記事を書けております。
はい、長くなりましたが本日のお題が始まりますよ〜!!!
無の境地
無の境地とは、心の中がとても静かで穏やかな状態のことです。
いろいろな考えや感情が一時的に消えてしまい、何もない感じです。
とはいえ、とはいえ?
何もない感じってなんぞや?
そう、そこが難しいんです。
例えば、
夜空を見上げると、星がたくさん輝いていますよね。
でも、その中には真っ暗な空間もあります。
無の境地は、心の中にその真っ暗な空間があるような感じです。
無の境地になると、自分自身や周りのことについて深く考えず、ただただその瞬間に集中することができます。
何も欲しくないし、何かを求める必要も感じません。
ただただ、その瞬間を感じることに集中するんです。
無の境地は、心をリセットするような効果もあります。
例えば、怒ったり悲しんだりする時、無の境地になることで心を穏やかに戻すことができるんです。
これは上級者向けです。
また機会があれば、お話しします。
無の境地を体験するには時間と練習が必要です。
少しずつ自分の気持ちに気づいたり、心を穏やかにする方法を学んでいくと、無の境地を感じることができるようになるかもしれません。
無の境地は禅の実践や瞑想を通じて探求される概念ですが、その本質は言葉や概念では完全に表現できないものです。
ゆっくりと心を育て、自分自身の内側を探求することで、無の境地を体験してみましょう。
素晴らしいあなただけの世界に出発することができますよ!