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母と向き合う日
昨日は実家の母と叔父の看取りや墓じまいの件で
休暇をとり
母の実家や親戚周りや施設へ
ちなみに父は
母の意向で置いていかれました笑
あの夫婦のことは実親ながらよくわからない
またいろいろ揉めたんだろう
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田舎は量が多いんだよ…笑
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お腹いっぱいです
いらねって言ってるのに食べさせる
それが母という生き物
車の中で子どもの頃の話をたくさんした
父と母の今やこれから看取る母兄
(私の叔父)と母の確執も
ひたすら聞き役になる
ホースのような役回りで
とりあえず母の中に詰まってる泥を流す
同意や同調ではなく ただふんふんと聞いている
否定もしない
母は話を聞いてもらえてすこぶる楽しそうだった
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天気が良い
おじいちゃんおばあちゃん、うみが来たよ
お墓をきれいに洗って花をあげて
子どもの頃に蝉の抜け殻をたくさん見た
お寺さまを後にした
その後今は空き家になっている母の実家に行き
部屋に空気を通した
仏壇に向かってダリアの写真を見せた
「りん」を盛大に鳴らして祖母に最後の挨拶をした
母が清々しい顔をしていた 喜んでくれてよかった
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母はこれが気持ち悪いんだって
きれいだよね 私は秋の空すきだよ
人によって見え方はさまざまだよね
ていうか母、よくしゃべるね笑
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叔母は15年ほどぶりに訪ねる私に
とても喜んでくれた
うみちゃん、うみちゃんよくきたね
うみちゃんすっかり大人になって
いや大人にならんとダメな年でしょ普通に笑
叔母ちゃんのおかげで 私あの時代なんとか生きてたよ
手土産の他に母と叔母に
色違いのハーバリウムボールペンをプレゼントした
何か買うと叱られる(そういう遠慮の風習)のこの2人には負担にならないものがいいと思って
とてもとても喜んでくれた
母が喜んでいたのが意外だった
貴女私のプレゼント喜んで受け取ったの
今日が初めてだよ
少し丸くなったのね よかった
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ゴンちゃんも17歳
叔母ちゃんをよろしくね
ゴンも長生きしてね
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海が見渡せる場所にその施設はあった
母は実兄を看取るそのときであっても
強い言葉を叔父に浴びせていた
強いと言葉と態度 一言も発しない叔父
もう食事も摂らないという それをきつく叱る母
たまらず叔父にダリア園の写真をたくさん見せたら
「◯◯町 ダリア」と呟いていた
うん、おじちゃん覚えてるでしょ?きれいだね
おばあちゃんが生きていた頃みんなで行ったね
おじちゃんの手は細くて力がなくて
目は淀んでいて でも私を覚えていてくれた
母とはひどい確執があったみたいだけど
私にはいつもいいおじちゃんでいてくれたよ
たくさん海にも連れて行ってくれたよね
会えてよかった
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夜ご飯 バイキング
死ぬほど食べて
ハイボールの後にコーヒーも飲んだ 吐きそう
部屋に戻ってからは 幼少期のこと
これからの母の実家の墓じまいのこと
兄を交えてうちの実家の墓やらをすること
母の若い頃のこと
たくさん話した 主に話したのは母
こんなに母の話を聞いてあげたことはない
たくさん笑った
母は私や私の兄に対して
後悔してることがたくさんあると言った
私は母を責めることなく
ただただあの時抱きしめて欲しかった、
そうやってこれまで生きてきた、
ということを何度も伝えた
母は
本当に悪かったと思ってる、
そうすべきだった、と答えた
でもまあ、今みんなが生きているからこそ
こういう話をできたんだよね
と言って笑った 素直な気持ちだった
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小学校のとき父から鼻血が出るまで殴られていたこと
父が異常だったという母に
守ってくれなかった貴女も同罪だよと静かに言った
大学生の時に母が更年期で入院した
倒れた母を病院に連れて行き
ベッドで泣いていた母の手を握っていたのを今も覚えている
父にはその時「お前が親不孝だからだ」
と散々言われとても傷ついた
冷え切った夫婦関係に挟まれ
兄は早々に東京の大学に行き、ずっと辛かったのは私の方
その話をすると、それは今思えば更年期じゃなくて
熱中症だったと思うと呑気に話す母
え…私がずっと気に病んでいた時間を返して欲しいんだが
口の中にはいつの間にか口内炎ができてる
この数時間でどんだけ強いストレスやねん笑
◆
今回改めて分かったこと
母は正しい
昔から正しすぎるんだ
それは周りの人にとって苦しすぎる
母は父に対しても
実兄(今回会った私の叔父)に対しても
実弟に対しても
かなりいつもキツい物言いで
正論で退路を塞ぐやり方だったので
昔気質の父とは激しく対立し
兄と弟(私の叔父)は母には近づかず
母を毛嫌いし
母と会っても殆ど話すことがなかった
その分その家系で父母に似ず奔放だった私は
叔父たちから大層気に入られ
大人になっても会えば仲良く酒を飲んだ
私にとってはいい叔父たちだ
母は生涯独身で煙草を吸い酒を飲み
ギャンブルをする実兄を許せなかったそうだ
でも私はそうは思わない
好きなことをして生きた
でも別に誰かに借金の肩代わりをさせたわけでもない
自分の収入の範囲で好きなことをしただけだ
私は叔父が全ての寂しさから逃げてそれらに没頭したとしても
叔父の人生だと思う
誰かが正解不正解を判断することではないと思うと母に告げた
母は理解できなかったかもしれない
でも私は淡々と気持ちを伝えられてよかった
母が男に産まれればよかったのにと
みんなから言われたそうだ
母は得意げになり
さらに男たちを追い詰めた
母、母も未熟だったね
言わないけどね
◆
ただ母も
若い時に歳の近かった姉を自殺で亡くしている
服薬自殺をしたこと
気づいてやれなかったと今も自分を責めている
誰も皆みえている世界が全てではない
そういう世界でみんな生きている
◆
母は今回の旅行代やほとんどの代金を
私に払わせなかった
母、私は母のこと
いつもお金で解決する人だとずっと思っていた
私が欲しい温もりや言葉は
子どもの頃から一切くれなかった
でも母は
母の愛情表現は
私にお金をかけること
私にお金を払わせないことなんだね
私の欲しい愛情表現では全くないけど
母なりに私を愛してくれたんだなと理解するね
ありがとう
…でも、少々わかりにくいね笑
◆
一泊二日の小旅行
ひどく疲れた
でもその倍充実していた
私は私の今持てる力で母と向き合い
ともに時間を過ごした
母は今病気もなく健在だけど
いつか亡くなっても
私は今日の日を忘れず
向き合った自分に頑張ったねと言ってあげたい
実際はこの10倍量ほどの内容を話すことができました。
長文にお付き合いいただきありがとうございます。
背中を押してくださったみなさん
いつもありがとう😊