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好みが変わるのはどうしてなんだろうか?
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だんだんと落ち着きみたいなものが好きになってきたし、落ち着いたものが好きな人が好きになってきた。
元気でハツラツとしていて、いろんなことができるのがかっこいいとか、人前に出て何かができるのが素敵だなとか羨ましいなと思うこともあったけど、そういうのは本の瞬間的で一時的な事なんだなって思うのである。
もちろん、おじさんやおばさんになっても人前に出て一線で活躍している人もいるのだけど、人前に出るのって正直言うと疲れるなぁと感じるのである。
昔はトゲトゲしていて、強いのがカッコいい、キラキラしているのがカッコいいのだと感じることもあったし、実際そんな人前に出ていることがカッコいいと思っている人も多いからか、落ち着いた事や静かな趣味を持っていると、鼻で「ふっ」と笑われてしまうこともしばしばあったりする。
何でかな?と思ったりするし、実際何だろ「落ち着くこと」やそれこそ「癒し」みたいなことを求めることってそんなにカッコ悪いことなんだろうか?(誰もカッコ悪いとは言ってないけどさ)
なんとなく、どことなくダサい雰囲気があるのは確かである。
しかし、そこに一歩踏みこんでみると世界が大きく広く広がっていることがよくわかる。
それに培ってきた歴史みたいなものもひしひしと感じることがある。
キラキラしている部分とか彩豊かで激しく動いているように見えてカッコよく思っているのは、たかだか氷山の一角ほどしかないのだななんて思ったりするのだな。
物事が人に見えるようになるまでの道や、組み立てなきゃいけない根底の部分やそれを成り立たせていく過程の部分がおもしろいのだ。
みんなに見える部分というのは言葉でもよく言うところの「表舞台」というやつである。
表舞台に立つとか、主役とか脇役、本番なんて言ったりする。
そういう表立ったところはみんな好きなのは当たり前なのだ。
キレイだし、カッコいいし、迷惑なところはないし、汚くないし、めんどくさくない。
だけど、そればっかり楽しんでいたら、単なる「消費者」で終わってしまうのだな。
厳しい言葉で言うなら、そんなキラキラしたところだけが好きなのは、言うなれば知識の浅いガキなんだなぁと思った。
という話である。
このことについてはもうちょっと深く考えよう。
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