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自分が醜いと思うのなら

たまに無限に食べられる日があります。
そりゃあ無限と言ってもいくらか食べればお腹がパンパンになるんですが、それでもなぜか、まだまだ食べられるんですよね。

だからそんな日は「無限食べれる曜日」と名付けて食べたりしています。日本語がおかしいですが。

そういう日って一体何なのでしょうか?満腹中枢はなぜ刺激されないのでしょうかねぇ。


たぶん。

あ、これはかなり失礼な話なんですが、太っているひとであれば経験があるかと思います。カレーとか生姜焼きとか照り焼きとか、刺激があったり甘辛い味でご飯のすすむようなおかずを食べていると、どんどんおかわりできるなぁと感じることもあるし、なんなら食後なんかにアイスクリームとか食べられちゃう。そんな事を経験すると思います。…それがわからないってひとは、お酒を呑んだ時なんかにたくさん食べる時のことを想像すればわかるかと思います。アレです。お酒を呑んで、おつまみもたくさん食べたにも関わらずラーメンとか食べちゃう、あんな感じです。


一体自分という生き物はどんなに食べ物に関して貪欲なのかと考えてしまうのです。
もしかするとそんなこと考えもしないし、考えたこともないよってひとだっていると思うんですが、少なからず僕は思いました。

なんなんだよ、この食欲は!…気持ち悪いなぁ。


そう。
食べ物を貪欲に食べる姿とか、求めるのって案外可愛く見られがちですが、ある日突然自分自身の食べ物に関しての執着が意地汚く、気持ち悪く感じてしまいました。

いや、食べ物は汚いとは思っていないのでスーパーに買い物に行ったり、何かを食べに行ったりなんかはできますが、「食べ物に関しての執着心」はどうにもいただけないなぁと感じたのです。

以前はそういうのがあって当然と思っていたので、何にも思っていなかったんですが、自分の体がぶくぶくと太って、不健康な身体になっていくのにもかかわらず、そういうことを何にも考えていないっていう状況が気持ち悪いなぁと感じたんですね。

ぶくぶくと太ってしまうのって言ってみればマイナス点です。成長しているとか得点が加算されているわけではないのです。生活をとあるスポーツだと思って考えてみると、太ってしまうというのは明らかにどんどんと負けていっているような姿なのですよね。



相手に得点を入れられると、焦る気持ちが出てきます。
「どこかで巻き返さないと!追い抜かないと!」
なんて言ったりします。
作戦を変更したり、奇襲攻撃を仕掛けたり、良い流れに持っていこうと必死になって考えますよね。

そういう、自分に関して勝負する気持ちや感覚が「無い」という事なんじゃないかなぁと考えたんですよね。
いや、そんな毎日の生活を勝負みたいにしているとストレスでガタガタになるような気がしますが、ある程度シビアに考えている面やパリッと襟を正す場面を持って生活していないと、絶対にだらしなさがどこかの部分で何かに影響してくるはずです。


単純に考えて、“太っているひとを好むひと”ってそんなにはいないと思うんですよ。
太っている事で誰かしらから好まれない事があるという事で、マイナスな一面や損をしたり、もしかすると危害を加えられる可能性だって無きにしも非ずです。


自分がいい人間に、いい友達やいい恋人になろうとする事って、ダラダラとしていちゃあなれないもんなのかな?なんて思ったりして。

いつまでもつまらない自分を演じていないで、うるさいくらいに楽しくてクレイジーである事だな。


プラスを演じよう、これからの僕は。

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