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話し合おうと言うやつに限って

話し合おうと言ってきて話し合った試しがないのは僕だけなんだろうか。



よく母親がそんなふうに言ってきた記憶があるし、「何か問題を起こして」それを有耶無耶にしようとしてくるためか、もしくは僕の物事の決定力の無さを見限っての事かよくわからないけど。そんなふうに近づいてきて「話そう」と試みるのだ。

両者とも簡単な事。どうせ頭ごなしに上からものを言って丸め込んでやろうとか、自分の言う通りに指図して物事を自分の都合のいいように進めてやろうって魂胆だと思う。汚い手口だぜ。


母親は違うって?
いや、母親もそうだったに違いないよ。



その時は高校受験か何かの状況で日々を過ごしていたのだが、どうにも母親だけがピリピリとしていてイライラしていた。
僕は受験なんて重くは捉えられないくらいに頭の悪さを発揮していて、今考えるとどうにかしてあがいたところで何も変わることのない状況ではあったのだ。
今考えても「今更勉強したところでどうにかなるもんでもないだろ…」と思うし、勉強して目標にと選択していた高校に受かったところで、どうせ社会の犬にでもなって、のさのさと嫌な仕事でもしながら平凡よりもちょっと下くらいな日々を送っていたと思うのだ。(そりゃわかんないけど)だけど、満足してたかと思うと、満足してなかったと思う。


なんか、もしもそのまま予定していた高校に行っていたら…と考えると、非常につまらない気持ちになってきた。


もしもあの時、予定していた目標の高校に行っていたとすると、今持っている技術とか環境、友人は“全て失う”と思ってしまい、相当につまらないものに感じる。

じゃあ今はいいのか?って言うと、平凡に暮らしているよりはおもしろいんじゃないかな。わりといつもお金的に危機を持って生活してはいるが、それは楽しさを得るための代償だと思えばなんてことないし、貯金があるからっておもしろくなければ意味もないでしょ。



たとえば、今ハマっているものは「緑茶」なんだけど、これにハマった理由のひとつが、自分の周りに“コーヒー好き”が多いからはじめた趣味でもある。自分にとってコーヒーはよくわからない。友人の淹れるすこぶるうまいコーヒーの味はなんとなくわかるのだが、自分でやってみてうまいコーヒーを淹れてみようとは微塵も思わない。

しかし、自分も何かひとをほっとさせられるような趣味が欲しいし、多少なりハマって詳しくなって、ひとに対してできるような、そんな趣味が欲しいと思っていた。いろいろ考えて、「中国茶」という選択肢もあったのだが、そもそも中国茶そのものを飲んだ試しが無くて、美味しいかどうかまずいかどうかすら感じたことがない。
それはなんというか、ちょっととっつきにくいじゃないかと思って、じゃあ「緑茶はどうなんだ?」と思い買ってみた。中国茶はどこに行ったら売ってあるのか想像もつかないし、手に入れにくいところから“趣味としてははじめにくい”というのはあったと思う。
お茶にハマった今はおもしろそうだと思っているから、たぶんそのうち買ってみるだろうな。中国茶。

こうやって緑茶にハマった理由を文字にしているだけでもいくらか書けるくらいのエピソードや思ったこと考えたことがあるわけだが、元々を考えると周りにいる「友人」の存在が実に大きい。みんな何かにハマってて、ちょっとだけ羨ましいと思っていたんだろうな。


じゃあその友人はどこからどうやってきたのかと考えると遡れば、自分がひとり暮らしをしはじめたところが理由だ。
ひとり暮らしをする前もそう。引越しをする前に僕は実家に暮らしていて、飄々と生活していたのだが、自分(僕の)の現状に満足しない母親が、これからどうしていこうかとよくよく話をしようとしていたのだった。ここでようやく話が元の出発点に戻ってくる。話したところで現状は変わらないでしょ。



僕はその時、どうにかしてこの生活から抜け出せないものかと考えていた。
お金だとか生活だとかそんなことへの不安は、全くないとは言えないが、いちばんの大きな不安材料は、実を言うと母親だった。

めちゃくちゃめんどくさいし、自分のことに頭を突っ込んでくるし、心配性、何を買うのかどんな趣味をやろうかとかどんな友人と一緒にいるのか、どんな服を着てどんな音楽を聞いているのか、“いちいち干渉”してくるのだった。うざいでしょ。


当然、僕は病むことになる。



自分の心配よりも、「自分はずっとココ(実家)で腐っていくのを観察されるんだろうな」と思った。正直、それがいちばん不安なところで、そんなことなら自分なんて存在するだけ無駄じゃないか、生きていたって自分はこのひと(母親)の心配材料でしかないわけだ。

そんなことなら人形でも可愛がっている方がいいさね。

お金はかからないし、風呂も入れなくていい、うんちやおしっこも出さない、友達を作るようなマネはしないし、何より感情を持っていないからめんどくさくないだろ。ぴったしだよ。

僕なんて人形以下の“付加価値”しか持っていないじゃないか。





話がまたとんでもない方向に行きだした。

とにかく、「話をしよう」と言われて、いい思いをした事がない。

なぜ?

なぜかって、そういうひとって話をして解決する自信がどこかにあるんでしょうよ。
だいたい、そんなことを言うひとって、文句ばかり言って、事は自分で動かしはしない。話をして何をしてくるのかって言うと、どうにか考え方を引き出して、自分の思った方向に曲げようとしてくる。


だから、そんな人には黙って実力行使するとだいたい黙る。

「行動して物事を変えていこう」ってこと、知らないのよ。



焼き鳥屋さんにでも行って、これからどう行動しようかと深い話し合いがしたいよね。





わりと最近、考えがネガティブでどうしたもんかと思ってるが大丈夫だ、おやつでも食べて元気出そうぜ。





茶の時間が次を作るのだ、これからの僕は。

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二ノ宮金三郎
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