「みんなが言っている」という言葉の信憑性に疑問を抱いた
「あそこのカレー屋さんは本当に病みつきになるくらい美味しいって“みんな言ってる”よ」
なんて言われると、どうしようもなくそのカレー屋さんに行きたくなるんじゃないだろうか。
確かに、「美味しいカレー屋さんがあるよ」と言われると行きたくなる衝動は凄まじいものがあるが、ここで言いたいのはカレー屋さんの話ではなくってだ。
「みんなが言っている」というワードについてである。
困らせる事はしたかないのだが、身近な人間にこの「みんなが言っている」という言い方を”多用”するひとがいないだろうか?
質問にYESと答えたとすると、そのひとを「信用していいものかどうか」と、じっくりと考える機会を設けてもいいだろう。
僕が調べたところ、そう言って話を信用させようとしてくる人間はほとんどの場合、単刀直入に言って信用できるものではない。
そもそも、そんな風な軽い言葉で信用を得ようとするなんてガキっぽいと思っていいだろう。
いたじゃない、そうやって言ってひとを困らせてくる意地悪なやつ。それとなんら変わりはない。
僕もそのことについて疑っている気持ちがあったし、実際に自分もその言葉に振り回されているんじゃないかと思って調べてみることにしたのだ。
早速ググる。「み・ん・な・が・言って・い・る・か・ら」カチカチ検索。
するとどうだろうか、出てくる言葉は「嘘か大袈裟」「正しいとは限らない」「モラハラ」などという言葉で、実は“みんなも”「みんなが言っていた」と言って自分達を支配してくる人物に手を焼いているようである。
たいていこの言葉を使ってくるひとというのは、自分の意見をさも大勢のひとが言っていたと言って、“薄っぺらい信用”を得ようとしてそう言っているか、単に困らせようとして弱い、もしくは弱そうな人間を見つけては落とし込んでやろうとする手口なのだという。
だってそうだろう。
よくよく考えてみるとわかるんだが、相当な悪い人間か本当に間違っている意見でない限りは、自分の事だったり自分の考えに関して反対してくるような意見など”みんな”持たないのである。
たとえば自分を含めた5人のひとが集まって食事に行こう、となったとする。
みんなが意見を出し合って…「カレー、ラーメン、寿司、タイ料理、韓国料理」なんて具合にみんなが違う案をポンポンポンと言い出した。
自分が出した案は「ラーメン」だ。
そこにあとの4人が「何言ってやがるんだ」と言って反対するなんてことがあるだろうか?
いや、ない。
「今はラーメンの気分じゃない」なんて言うひとが2人かもしくは3人はいるかもしれないが、「ラーメンは考えていないが中華はいいな」なんて言うかもしれないじゃないか。
この場合みんなが違う案を出したから自分以外のみんなが反対した意見を言うというのは無きにしも非ずなのだが、ラーメンはたかだかひとつの案であって反対される必要などないだろ。
みんなが反対するという時は5人中3人ぐらいがラーメンアレルギーを持っている時ぐらいだ。
この例えで話しているとラーメンだから反対される事はないと言えるのだが、もしもこれが違う話で、仕事だったり何かのプロジェクトに関わっていたとするとしてみんなで案を出したとしても、良かれと思って出した案に全力でみんなが反対するなど、そうあることではない。
そう、「みんな言っているよ」なんて言えたもんじゃないのだ。
じゃあみんなってどれくらいなのか具体的に考える。
「みんなが言っている」と言うためにはどうしたら言えるんだろうか。
ひとりだったら「彼が言っていた」と言えばいい。ふたりだったら「ふたりもしくは彼らが言っていた」と言う。
「みんな」と言えるようになるためにはその上の3人以上の人間を集める必要があるそうだ。
それはつまり「みんなが言っているよ」なんて言い放った時には最低でも「3人には意見を聞いた」ということでもあると言える。
なるほどね。
先ほどの5人の意見を誰かがとりまとめたとして、「ラーメンを食べに行きたいと“みんな言っていた”」と言うためには、自分以外にも3人の人間が「ラーメン」という票があった事実を出さなくてはいけないということ。
この5人の中で考えるとちょっと難しいが、10人、20人と集まった場所だと3人同じ意見を持った人間を見つけるのはそう難しい事ではない。
しかし考えてみたらわかるだろう。10人、20人、30人と集まった時に、たった3人の意見で「みんなが言っていた」と断言できるのは難しい。仮に30人の人間がいたとして、3人の意見はシンプルに考えて「10分の1」なのである。とてもじゃないが、その場合に「みんなが…」と言えるのは簡単ではない気がする。
数の話は、まぁわかりにくいからどうでもいいとして。
「みんなが言っていた」と多用する人物には要注意だという事。
もし自分の意見が「皆の意見と同一だ」と考えているようであれば、それは思い上がりで低い価値観を持っているに過ぎない。
その人物の強い思い込みと自惚れ、視野の狭さがにじみ出ているに過ぎず、他人に自分の意見を通し、言うことを聞かせるために自分の都合のいい状況に持っていくために言葉巧みに話を盛っているだけなのだ。
RPGのゲームで言うなら、バグを利用してお金を稼いで、低レベルでありながらも強い武器を使えると喜んでいるようなものだろう。
なーんかしょーもな。
しょーもねー事を考えたが、元気は出そうぜ。
しょーもねー事は真似しなくていいの、これからの僕は。