絹ごし豆腐
解離性障害の記事をマガジンにしました。
全3巻完結のエッセイです。当方の実話です。 解離性障害で今記憶を失くした少女、千春が在学していた高校の数学教師、乾との出来事を当時の文字や音声ツールを使いながら思い出し、今の千春が乾へメッセージを書く。そのメッセージとは??
私は数年前まで支援者を目指した高校生でした数年前。私は精神障害者になりました。それは突然の発症でした。 発症前、私は夢を追いかけているごく一般的な高校生でした。 障害を持った子供たちを支援したいと、一生懸命勉強した日々です。 でも、精神障害を発症し、その夢は閉ざされてしまいました。 しかし、それでも支援者になろうと夢を諦めませんでした。 視点を変え、精神障害の方を支援したいと作業療法士を目指しました。 待っていたのはあまりにも過酷な日々でした。大学生になり、私は勉強に励み
このnoteは苦しかったあの頃を離れていながらもそばに居てくれたあなたへ贈る最後の手紙です。 「休む選択を出来た絹は偉い!はなまる!」 そう言い続けてくれたあなた。 自分が大嫌いで、味方なんてどこにも居なくてさまよってた時、大勢の味方がいることを教えてくれたあなた。 「絹はひとりじゃない。仮にひとりやとしても僕がいるけん。大丈夫。」 顔も会ったこともないのにあなたに安心感を常に貰って生きていました。 ある日突然あなたがいなくなった時。 私は不安でした。 あなたがいないとい
4月が始まって最初の週末がやってきました。 4月から私も新生活が始まり、少しそわそわしています。 絵を描く工房がある作業所に通い始め、週2回工房で絵を描いています。 そんな私が感じたことを今回は文章で皆さんに感じてもらえたらと思います。 絵を描き始めたきっかけ。それは褒められたい。元々絵を描くことが好きだった私。でも特別に上手なわけではありませんでした。 中学や高校の美術の授業評価もそれほど良くありません。 でも、どこかで「上手だね」と褒められたい。そう思いながら絵を描いて
そろそろ自立訓練の期限が1年を切ったので、スタッフが焦り始めた。 職の話しかしない。 そんなことわかってる。 こちらも金がないのだから、働きたいと思っているが、そうあまくはないようだ。 結局、一般雇用も障害者雇用も無理そうなので、就労継続支援B型の新たな事業所を体験中である。 その体験初日。私は予定が分からずなおかつ予定に書かれたことが何を示しているかも分からず泣いてしまった。 昼食も人が去ってからスタッフさんと食べた。 この状況だけを見ると「合っていない」が答えのよ
I know. I'm strong to myself. And, I wish happy for myself. Sometimes, I think why was I born. But my answer was one. "Being happy for the all people.'' I was born for myself,and around the world people. So, I have to be happy. I have to b
私は自分の思いを話すことが苦手です。 本当に信頼した人とネットの人にしか思いは話したことがありません そんな私を高校3年間見守り、私の「話しづらさ」に気づいてくれた先生のお話です。 私は先生にさえ本当のことを言えなかったその先生は私の学年の先生でもなければ、担任でもありませんでした。 ただ、1年生の時の数学の先生で後に生徒会の先生としてお世話になりました。 そんな先生はいつも私が話すのを待ってくれました。 話せない時はずっと私を見て私が考えていることはほとんどお見
今日はいつも君と話す時みたいに「僕」で話そう。 僕にとって君がこんなにも大切な存在になるとは思っていなかった。 でも、僕は君に出会った時に思ったことがある。 「君のことをもっと知りたい」と。 僕は人に興味が無い。ましてや自分にも興味がない。 そんな僕が君について知りたいと思ったのはきっと偶然ではなかった。 僕がいなかった時期、正直君のことが心配だった。 なぜか。 君もいなくなるかもしれないと思ったから。 きっと君は感受性が強い。だから僕がいなくなった理由が何と
今日も気づいた自分の苦手なこと。 投稿はお久しぶりでしょうか。 こんばんは! この度復職する予定が立ちました! 待ってくださった会社様には感謝です。 その中で私ってどんな人?と自問自答している最近ですが、その中で今日気づいたことを書きたいなーと思います。 今日私は「目の動きが悪い」という個性?苦手?に気づきました。 とりあえず目が動かない💦 よく言われている首と同時に目線も動くというものです。 そんな気づきを元にちょっと支援について考えることが出来ました。 元々苦
小さいころから離れることが苦手だった。ある意味感受性が強いのか、別れが怖いのかわわからないが、 私は「離れるということ」に対してとてつもない恐怖と不安を感じる。 幼稚園に行きたくないと母の方を噛んだこともあるし、 林間学習などお泊りに行くとなると死ぬほど泣いていた。 今でも親しみを持った場所や人、物から離れると不安でいっぱいになる。 極度に不安を感じ、勘づいてしまうことも。「この人離れていかないだろうか」 そんな不安から派生して勘づいてしまうことも。 「もしかしてお別
出会いは最悪。「これから数Aの授業を担当します。よろしくお願いします。」 生徒だった私にとって、教師には拒絶感があった。 でもこの先生は… 目が…死んでる…。 そう特に教師と呼ばれる中でも目がめちゃくちゃ死んでいた。 「この先生か…。きっと赤点とるな…。」 元々の拒絶感より、増して拒絶感があった。 徐々に埋まる距離。いつしか信頼に。「あのー、ここ教えてもらえますか?」 赤点をとることだけは勘弁!! この先生に怒られるの絶対怖いし。 いや、聞きに行くのもハードル高い…
作業療法士を手放した今年の春私は今年作業療法士の資格を取得して3年になります。 周りはバイザーや指導者と呼ばれる立ち位置にいる中、私は今年ある決意をしていました。 それが「もう作業療法士には戻らない」という決意です。 資格を取ったにもかかわらずもう合わないなと感じていたのです。 諦めた作業療法士。でも心に残った違和感。でも何か心の奥でうずくもの、そして今まで出会った人の言葉。 「今度は絹が人を助ける番だよ」 「夢に向かって少しずつ前に進めることを祈っています」 「やりた
絹ごし豆腐が代表を務めるピアサポートの会「心の輪」のオンライン座談会を開催することになりました! テーマは「最近困っていることや最近の出来事」 日時:9月27日(水)18:00から 参加費無料 詳しくはこくちーずプロで「オンライン座談会」と検索して無料チケットを買うか、 kokoronowa.23@gmail.comまで氏名(ニックネーム可)をお知らせください! お待ちしております!
薬の副作用で震えが止まらない。 止まってくれ
こんばんは。 皆さん突然ですが絹ごし代表の心の輪のホームページ見たことありますか? ぜひ渾身のホームページを(そんなすごくはないですが)見てほしい!! なのでリンクを貼り付けます(笑) ぜひ覗いてくださいね♪
今回のテーマはピアサポートについて思うこと。 語るもよし、聞くだけもよし、質問を持ってくるもよし。 なんでもよしな会です笑 (誹謗中傷以外は。) 良ければご参加ください🙇♀️
やりたかったピアサポート。いつしか義務に。私はずっとピアサポートをしたいと思ってやってきました。 でもいつしか「SNS毎日投稿しなくちゃ」とか「何か行動しなくちゃ」とか 「しなくちゃ」という考えに束縛されていました。 いつしかピアサポートが義務になっていました。 尊敬する先生に言われた一言に共感。そんな義務を背負いながらある尊敬する先生に相談しました。 「それは…作業療法の出番ですね。」 でも自分で作業療法なんて無理では? 「いやいや、作業を見出して自分で処方して施