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『 SCI-FIRE2023 野生のSF 特集・テーマ/人間以外』の感想

 文学フリマ東京38同人小説感想4作目になるのがゲンロン大森望SF創作講座修了生の方々による作品。毎年発行され今作は第7号。創作テーマは「人間以外」。集録作品の多さに驚きます。しかし意外とページ数は多くありません。多彩な作品がぎっしり収まっていました。私の目に狂いはなかった。本書にしたってこの感想ごときで作品の良さが減ることは断じてないと言い切れます。ゲンロン大森望SF創作講座といえばこの同人小説感想に作品を推薦してくれている文学フリマエージェント架旗透氏は本講座の2期修了生でもあります。本書購入を依頼したのも、紹介したい理由もそこにあります。修了生の方々は現在作家として第一線で活躍されているないしコンテスト受賞経験もあるなどの実力派揃い。学び得ることも多いでしょう。また本書収益は2024年能登半島沖地震災害義援金および台湾東部沖地震救援金へあてられています。その志へ尊敬の念を抱きます。編集者および作家の方々の本書作品制作へ感謝しつつ今後の活動へも期待を寄せるところです。

 【付箋タイトル】
架旗氏より作品のタイトルへ付箋を頂戴しています。ある学びの指標として私が「タイトルだけ見て興味をもった作品に付箋を付けてください」と頼みました。学び得る指標、それは「タイトルの大切さ」です。かの有名な創元SF短編賞でもタイトルは選考中に改題が行われる。おそらく重要なのでしょう。ならばこのSF作品集、実力派作家揃いの本書では、まずどのタイトルへ私は魅かれるだろう。そう思った次第です。架旗氏からは3作品付箋を頂戴しました(氏、多忙ゆえか少ない……)、私は9作品付箋を付けました。これはあくまで「どのタイトルに魅かれたか」です。作品全体内容や出来を評価するものではありません。私個人の学びだとご理解ください。ただここで共有することで「タイトルの持つ力」が伝わるのも事実ですので読者ごころにタイトルが与えた影響と捉えて下さるのはよいかと思います。
《架旗付箋番号、タイトルの第一印象興味を直観で順に番号付箋をお願いしました。》
《キノコ付箋番号、テーマ『人間以外』を強く感じ魅かれた順に番号付箋しました。》


※以降、サークル、作家の方々へ敬称略すことを予め御免申し上げます。
誤字も許してください。もし見つけたそこのあなた、教えてください。
※■文は作品の内容紹介です。


書籍案内

『SCI-FIRE2023野生のSF特集・テーマ/人間以外』
発行年月日:2023/11/11
サイズ、ページ数:A5判、160ページ
小説執筆作家(敬称略)「作品名」:坂永雄一 「色彩の街」、 名倉編  「小説について(風船男の場合)」、 溝渕久美子「鴨川のヌートリア」、 高木ケイ 「愛は群島」、 榛見あきる「冬は虫になり夏は永遠になる」、 揚羽はな 「蛙化現象」、 人間六度 「もえさかるスパム女子」、 吉羽善  「怪物権の人びと」、 仁科星  「消えゆく羽のひとひらに」、 鵜川龍史 「唸れ、マン=ゴーシュ」、 中野伶理 「冬虫夏草の言祝ぎ」、 谷田貝和男「詩を読む少年」、 河野咲子 「骨と生活」、 常森裕介 「テセウスの人」、 甘木零  「胸の鼓動は星のまたたき」
エッセイ: 櫻木みわ 「夜の訪問者」
コミック: 藍銅ツバメ「推しの声の怪」
表紙イラスト:せい
本文イラスト:じゅりあ、名倉編、鵜川龍史
表紙デザイン:太田知也
本文及び目次デザイン:鵜川龍史
責任編集者:甘木零
ゲンロン大森望SF創作講座修了生作品集第7号 1500円

『SCI-FRIEとは/ゲンロン大森望SF創作講座について』

■本書と創作講座の紹介。
 SCI-FIRE既知の読者ではない者(私)にはこの紹介ページがあるのは嬉しいです。ゲンロン大森望SF創作講座は先の感想「留年百合アンソロジー ダブリナーズ」、「野球SFアンソロジー ベストナイン2024」、「テーマアンソロジーSTATEMENT FOR GAZA」でも触れた作品、作家の方々も受講しておられました。近年その人気もうなぎ上りではないでしょうか。
 本講座について私が思うことは、二つ。一つはSFに留まらず作家発掘と育成に多大な貢献があること。もう一つは新規排斥の懸念です。前者は、小説作品執筆においてズブの素人では知り得ない技術的知識と実践、豪華作家講師陣と衆目に置かれる経験を得る機会があり、梗概と実作、講評の段階までを通じ専門大学に劣らない育成力ある講座といえ、決して授業料は無駄ではないといえます。後者はその反面、SF講座は修了あれど再受講も可能。卒業はありません。つまり既に経験と技術、知識のある受賞者や現役作家までもが何度も受講できる現状。これではプロ/セミプロ受講生の停滞を招き、新規受講者(アマ)への門戸(デビュー)は狭まるのではないでしょうか。あくまで部外者の私が傍らからみた講座へのイメージです。

『色彩の街』 坂永雄一 

■巡礼の旅をする先達(師)と私(弟子)。
《キノコ付箋6番目》
 火星には現在液体ではありませんが水が少しありましたっけ?かつて地表に在った液体の水は多くが気体となり宇宙へ散り、ほか地質に混ざったとか。液体の水を留めるなら手法を創らないといけません。水が逃げないよう圧を作り出す気体の層が地表には最低限必要でしょうし重力も現在の火星から変わるだろうと思います。本作舞台の星(火星の確信は微妙)の生態系の始まりはとても謎めいているように思えました。しかもその発端に手を施した可能性のある「ヒト」はすでに存在していないという。ヒトがこの世界を創ったのなら、水を地表へ留める仕組みも創ったでしょう。けれど痕跡はないと言われています。作中では地球で既存の芸術的産物が登場します。このことからヒトがそこにいたのは確実。ではなにが起因すれば自然発生的に先達と弟子の存在する世界にまで環境が変化していったのか長い時の流れを想像させられる心地よさがありました。壮大な時間をかけてヒトは生命体を改良したのかしなかったのかで生態系を創ったのかと思うと夢(ロマン)があると思いました。
 一見、坊主と弟子の小難しい宗教的な旅かと思わされましたがそうではなく、美術史でお馴染みの有名絵画を語っているところに美術から考古学的側面を帯びる面白さも感じました。水棲生物の世界、人間ではない生態系の一端にあるイキモノの旅から人間を気配を思い起こさせる良い不思議さのある作品だと思いました。
 ここは彼らの世界ではない……からっぽになる心もちでした。

『小説について(風船男の場合)』 名倉編

■小説の翻訳家ぼく、わたしがしていること……。
 「オス/メイル」ではなく「男」という言葉からタイトルだけの初見では人間を強く感じていました。
 興味深く思えたのが広く宇宙の星ごとに存在する生命体(○○人)によって小説の「読み」の幅が多様であるところです。翻訳家の仕事というのもそのためにあって腕を試されるのが面白いと思います。現実の言語認識では英語、スペイン語、日本語といったオリジナル言語で意味だけの差異なのですが、本作の宇宙規模ではさらに時空の幅がありました。時空の幅を翻訳に絡められ「言葉」という普遍なモチーフでも意外性を感じる世界観となっていた気がします。イメージとしては、例えば録音音声の再生速度が早かったり遅かったりする状態。あの音声をきいても種族によって正しく言語認識できたりできなかったり、みたいな印象なのかと想像させられました。現代の情報を超音速言語で大量に記録圧縮しておけば将来のために(何のためだろう?)情報量をたくさん集積できるのではないかと欲張りな発想を私は浮かべてしまいます。そう思うとあれこれ楽しめました。
小説の「処方」という使い方も面白いと感じたところです。短い作品の中で様々な種の生命体の名が登場し、それらの言語形態も特殊で多様な表現をされていたおかげか、広い世界観を感じて読み浸ることができた作品ではないでしょうか。翻訳家の仕事ぶりをシリーズ化して異なる言語ごとの物語を見てみたくなるような気持ちにもしてくれました。言葉を解するのは人間。だから翻訳/言語と人間の結びつきが密なのでともすれば人間を強く感じる緊張感もはらんでいるはずなのに人間(人類)とはかけ離れたところで進行する世界が面白い。小説翻訳の目あたらしさに心うばわれた。
 P14タイトル絵:作家自身の作画によるもの。読んでいるときはこの絵が結びつきませんでしたが、読後に鑑賞すると奇妙で面白い風船男をイメージして二度楽しめました。

『鴨川のヌートリア』 溝渕久美子

■鴨川にすむヌートリアのおはなし。
《キノコ付箋2番目》
 本作タイトルは明確に人間以外とわかりました。それでいて魅かれたので手前番号の付箋がつきました。
 溝渕久美子作品は既に「野球SF傑作選ベストナイン2024」で『サクリファイス』を楽しませてもらっています。本書本作で感想を書くのは2作目になりました。モチーフにどこか掘り出し物感のある面白さ。独特の着眼点を今作でも楽しみました。日常どこかで目にする馴染みある光景なのだけれど意外な発想でのフィクション展開。それでいて心温められます。
 本作では短い物語の中で学び得るところも多かったです。同時に微笑ましく浸った作品でした。まず良さの一つ目に動物というモチーフがあげられます。これは対象とする世代層の広さに繋げていけると思いました。読み聞かせや朗読にも良いでしょうし、小学校2~3年生以上の学級文庫にもおける作品だとも思いました。二つ目はヌートリアの心象へ読み手を誘う巧みさ。本作はたしかに作家が書いています。しかしヌートリアがすべてを語っている生々しさがあったのではないでしょうか。作家がヌートリアになりきることを熟知している、そう感じる描写が随所にあった気がします。生態表現とヌートリアの心の結びつきが丁寧であることから、私が読んでいる文はヌートリアに書かれたものだと思い込ませてくれるのです。三つ目は我々の社会で起こる動物を庇護することについて考えさせられる描写があり、この問題にも重要性を感じました。四つ目は面白み。ヌーちゃんの言葉が通じない面白さはふたばの豆餅登場シーンで最高潮に達しました。オチもとてもきれいで読後に現地へ想いを馳せる勢いが止まりません。地元に帰ったらふたばの豆餅とコーヒーを引っさげて鴨川へいっぷくしに行きたい気持ちになりました。まだ良さはあるのですが長くなるので割愛します。卓越したヌートリア表現から一人称を強烈に動物と固定されて人間以外を強く感じさせられた一作です。
豆餅買ってヌーちゃんに出会いたい心もち。
挿絵:ちゃんと二匹分の豆餅がてんてんと置かれているのがとてもかわいいですね。

『愛は群島』 高木ケイ

■私は愛を手紙で伝えようとする。
《架旗付箋1番目/キノコ付箋5番目》
 「群島」から魚のお話かと勝手な想像をしていたら全く違いました。
 初回読了、第一印象では八千字弱でしょうか、これだけの字数で「私」の手紙をこんこんと綴られておきながら表情を感じさせない無味を思わせるのっぺりとした文体。明らかに「人間み」を全力ではり倒す作家のぶれない創作への軸が伝わってきて素晴らしいとこころ動かされました。「人間以外」を強く実感させられます。しばしば段落ごとの書き出し文が文章生成AIの応答文形をしているように思え、心がこもらず言葉に温度がない様を感じさせてくれるのも良いところでした。生きた人間と同じ行為、ケーキやコーヒーを口にしても消化吸収しない挙動場面では親切さも感じました。人間が生きる本質である「食」と「私」は無縁、けれども「私」は人間の満足ためにつくられた存在だから「食べる行為の真似事をする」というとても分かりやすい例の説明だったと思います。懇切丁寧で本作の世界は人間主体の世界であることがわかります。人間ではない、生命や情念をもたないモノが人間のためにつくられ、人間を見ている視点のリアルさが本作にはあるといえるのではないでしょうか。
 生身のヒトではない「私」が手紙でいろいろ伝えようとする様で、情のこもらない言葉運びにも意気のないAI頭脳らしさを感じます。言葉をつくして心を籠めない表現のすごさを考えさせられます。美しさすら感じさせてくれました。また、「私」が語る、刺殺の描写での命の切断から人間の死生を感じさせる表現を「私」が知っていたり、オーナーからの逃走や自壊を試みたり、「愛」に気づいたりと知性(Intelligence)から生じる人間みの解釈をAI視点から語れているところにも理を感じます。難しくないと説明しつつボルトを落っことす様にもロボットなりのドジなところも愛着が湧きましたし、じっと腰掛けてひたすら手紙を書き捨てて黙考する姿を想像するのも味わい深い光景にも思えて楽しめました。
読み込むほど私の心は「私」というモノを見ていた。

『冬は虫になり夏は永遠になる』 榛見あきる

■作業筐体のお勤めのおはなし。
《キノコ付箋8番目》
 どなたの作品を読むときでも書かれている文、言葉から情景を思い起こします。それは脳が勝手に判断して私にそう思い浮かばせて見せます。同時にその世界の中へ感情移入させようと私の脳は働きます。これも意図しているのではなく勝手にです。読書という作業はおそらく文字・文章に「心」を被せ共に作品(世界)を感じとる行為なのだと思っています。本作で思い描いた世界は盗掘現場で働く作業筐体の客観的なドキュメンタリー映像でした。その世界はたしかに人間以外を描画された世界観でとりたてて心の揺れはあまり自覚することなく読んでいました。喜怒哀楽は言ってみればない。人間はのちに登場しますが作業筐体と比べるとわき役で本作舞台では材料くらいでしかありません。作業筐体にも心はなく無機質にあくまで作業をこなしていくだけなのです。ところが、「め」の存在が加わると一転し作品は温もりを帯びはじめましたように感じました。「め」を反則並みに良い素材だと思いました。作業筐体と「め」のふれあう光景からそれを読んでいる私の心に「かわいい」、「なかよし」、「さびしさ」、「たのしそう」などの心の動きが熱を帯びて作品の情景とともに伝わってくるようになりました。不思議な気持ちにさせられます。作業筐体はプログラムされたとおりに役目をはたして作業をしているだけ、「め」はただの動物です。それらの行動を表情なく描画されていく世界を読み、私は自分に最も人間らしい感情が湧きおこる様を自覚、体験するのです。情緒が私の内部(心)に生まれるのです。なんと奥が深いのか、そう感じさせられた作品です。
読むほどにしだいに心(人間)をみつけた。
挿絵:実物を見たことがないのですがこういう形状をしているのでしょうか。興味深い図に見えました。

『蛙化現象』 揚羽はな

■カエルになった父。
《架旗付箋3番目》
 蛙化現象という言葉は日本で近年はやっている言葉だと認識しています。言葉をつくったのは人間。はやらせているのも人間。つまり人間たち(社会)の中で生きている価値観、という理由から本作を読むまえ、タイトルだけの初見では「人間」をかなり強く感じていました。実際本作を読んでみたところでは、人間のお父さんの悲しみと希望に満ち溢れていた作品だと思わされます。「蛙化現象」の言葉の使い方は、巷のそれとは意味勝手が異なっていました。お父さんがカエルになってしまうという純粋な変身現象が作中で展開され、お父さんの生き残りを賭けた緊迫感こもるサバイバル劇に触れるところもあり笑えるものがありました。いざ世の中のおっさんたちがカエルになってしまうと、こうも人間たちは在りし日の人権をわすれ、功労への感謝をわすれて残酷になれるものなのかと思わせるシーンもあり泣けてきそうな気持ちになりました。一家の長に対する家族の愛は何なのだろうと思うシーンもあり平等な人権とは何であろうかと改めて思ってしまいます。私は猫を自宅で室内飼いしているのですが、もし自分がカエルになったら真っ先にこいつの餌食になるのかと思うと、主人公の胸中を察するに余りある感情も湧いてきて恐怖を感じました。こんな現実絶対嫌だな、カエルじゃコーヒー飲めなくなりますから。外に出れば食物連鎖の底辺から数えたほうがはやいですよ……。フィクションだけでじゅうぶんだ。素直に面白おかしく、ときに恐ろしく楽しめた作品です。
人だったと思うからこそカエルに心寄せられた。
挿絵:もっとイボだらけのカエルを想像していたけど意外にツルッとした可愛いカエル絵になっていたのですね。

『もえさかるスパム女子Puppy』 人間六度

■新太はスパム女子Puppyと出会い別れるも思い続け……。
「女子」という言葉から人間をそこそこ強く感じていました。美少女のニックネームかな?と。
 動物愛護は人間への愛と方向性の異なる愛のかたちでしょう。そしてまた二次元への恋や推し活。それらは現代社会において切っても切りはなせない愛のかたちの一つとして定着しつつある心理現象だと受け止めています。ただ、実生活において私はメディアから伝わってくるほど強いそういった愛の心理現象を誰かが持っているのを拝見したことがありません。アレクサやテスラモデル3などの身代わりとなって死ぬ事例をまだ知りません。本作では人間がつくったモノへの人間の慈愛や恋愛感情がモチーフとなっている、本書のようなSF作品集であればありそうだと思っていたけれど無かった作品が、やっとここ7作品目にきて登場したと思ったのがこの作品でした。
 主人公の新太は、私が個人的に感じた印象ではいろいろ笑わせてくれる面白い主人公でした。作家の意図なのか新太はいたって性根が真剣クソ真面目なのは伝わってきます。スパムへ几帳面に返信する行為をみると、殺伐とした世界の中にあってどうして彼のように純な男に成長することができたのか疑問に思います。ご両親の真面目な家庭教育が良かったのでしょうか、そんなふうに考えてしまいます。そして几帳面な性格でありながら世間に大混乱の種を招きかねない殺害計画を過去に目論んでいたり、Puppyのために爆破で人を死傷させたりなどサラリと語られます。ギャグですか。新太の独自ルールにおける無茶っぷり真っ直ぐな方向性がとても面白かったです。漫画のようでした。そして本作がもっと長い作品であればキモイ新太のシーンが見れたのだろうかと想像するとさらに笑いが止まりません。
 キモイ真面目の果てにみえてくるラブコメ心地だった。
P56タイトル絵:燃え盛る炎のなか玉座にすわるブロンド女子のうろんな目がお高くとまってる人物っぽく見えますね……。新太がカモにされちゃったのもわかる気がします。
 本書の特集テーマ人間以外。人間み溢れまくる本作作家名にもダジャレっぽさを感じてクスッとさせてもらいました。

『推しの声の怪』 藍銅ツバメ

■漫画。声がかわいい何かとくらす小説家。
 まさかの漫画収録で驚きました。同人小説感想と銘うっておりましたが、手が滑ってつい感想を書いてしまいました。作家さんご本人から感想を公開されるのは本意ではないとの苦情が寄せられましたら本感想は取り下げます。
ストーリーについてひとつ思うことがありました。本作の小説家の気持ちは、偽物が消えて本物にふれるとなぜか消えた偽物のほうへ気持ちを引きずられるというエモーションを描き出したもの。で、よいのでしょうか。なんだかどこか身近でおこっているような現象に思えます。本物ではない偽物、しかし自分にとって事足りている、高価な本物でなくても満足できているなら偽物でもいいじゃないか。愛着が湧いてしまった偽物への執着とその良さみたいなものを感じさせてくれたのが黒いゲジゲジでした。本物は知っていた方が良いにこしたことはないでしょうけれど、なんとなく、ね。
作画については、何で描かれているんでしょうか。初めての作品ということで、タッチが粗くてまるでアナログのペン画、のように思えて温かみを感じました。パースも構図もめちゃくちゃなのですが紙芝居的な素朴さがありますので見ていると和むので素晴らしいと思います。小さい黒いゲジゲジがちょっと怖いようなカワイイようなジブリっぽさを感じさせる不思議妖怪的な印象をうけました。声優の後ろで突然バッと大きくなるシーンで驚かされた気持ちで良い勢いを感じられました。面白かったです。

『怪物権の人びと』 吉羽 善

■怪物圏で数年ぶりに友人と会うユキハル。
 タイトルのみ初見では怪物の食材にされる人間と勝手な想像を巡らせていたのが本作です。おかげで「人間」を強く感じました。
 世の中の価値観と己の気持ちの齟齬、登場する者の悲しみや葛藤が心にささってくるかと身構えていたのですが、思いのほかネガティブな問題は解決された人物像と世界観(あくまで人間社会に配慮され怪物が人間へ変身する方向ではあったけど。)が出来上がっていたように思えました。わりと平和な気持ちで読了した気がします。学生時代の友人と会うユキハルも今では社会人で人として価値観が出来上がってしまい自分の立ち位置に迷走するところもなく安定した人物に思えました。過去を一緒に振り返れる友達が卒業後も会える距離にいることへもフィクションと知りつつ羨ましさを覚えます。本作からは何かメッセージ性を拾うというよりは怪物圏と人間の生活圏、これら二つの世界での往来が可能な奇妙な世界観を私は楽しませてもらいました。個々に悩みはあるでしょうが、居住環境はそれなりに区分され、多種多様な生きものが存在して成り立っていることから、多様性を若干以上に受け入れられた社会のフィクション。なんだか優しそうです。
 本作にもコーヒーが登場していたので少し書かせてください。私はコーヒーが好きなので。作中コーヒーが登場したのは怪物圏の喫茶店でした。もうその描写だけで飛べる喜びがありました。ありがとうございます。ユキハルが友人と待ち合わせた怪物圏の喫茶店へ思いをはせるだけで普通に作品を読む人の何倍も楽しめた自信があります。奇妙な姿、格好、大きさ、音を出す人間ではない客や店員が席巻する喫茶店内。そんな空間でコーヒータイムを過ごしてみたいと俄然考えてしまいます。そこは夢のテーマパーク感覚ではないでしょうか。喫茶店でくつろぐときはスマホも見るでしょうが、自分以外の客の観察へも自然と目がいってしまいませんか。好奇の眼差し、いきますよね、なんせ怪物たちがいるんだもの。大人げなくて恥ずかしいですけどこの世界の喫茶店、絶対楽しそうだと思いました。 怪物圏の喫茶店とコーヒーに心魅かれた。
P78タイトル絵:昨今女装男子のほうがむしろ女性より「可愛さ」の追及に余念がないように思うときがあります。ふと、そう感じるような絵だと思いました。

『消えゆく羽のひとひらに』 仁科星

■ある日見た大量の羽の正体、小学4年生の頃を思い出す二人。
《キノコ付箋7番目》
 あまりに文の流れが滑らかだったのでスルスルと素麺を啜るようないきおいで読めてしまいました。どうしてこんなに滑らかに読める文が書けるのだろうと思います。「羽」というモチーフからどうしても連想するのが「美しさ」や「綺麗さ」なのですが、その表現において本作はまったく期待を裏切ってはくれません。みごとに美しさを描写してくれたと思います。作中の情景からは白い羽の降り注いだ町や、それらをかき集める光景、ほかにもたくさんいろんなシーンを柔らかく鮮やかに思い浮かばせてくれました。
 ヒロインと楢崎くんが過去への回想で幼かった小学生の頃ある秘密を共有していたことを思い出す。羽は何の仕業であるのか、ヒロインの目線で作中に引き込まれ、当初私はファンタジーの天使とか異世界人(SFだから架空の何かなのですが)などを想像させられていました。そしていつかどうにかして元の世界へ帰っていくのだろうと。たしかに元の世界へは帰りましたが異世界ではなかったようで……。二人にだけは羽の主が一般人と異なる生き物に見えていてそれが魅力的でした。しかもその現象は特別であったのに所々でお互いが内容を忘れてしまっていたことへも年月の経過を感じさせる説得力がありますね。子供の頃の記憶のいい加減さや遡るむず痒さのリアリティを思わせてくれます。二人が大人であるからこそ、長い年月がたった末だからこそ、所かまわず電車で男泣きしはじめた楢崎くんをなぜか格好悪く思えず、うんうんと見守り頷く気持ちになれました。人間ではないモチーフを描画されながらも人の心の機微や情念を優しく映し出された温かい作品に思えました。
 足かけ何年たったのだろう、ふたりの記憶に心ぬくもった。
挿絵:しろい羽、ふんわりそのままでしたね。

『唸れ、マン=ゴーシュ』 鵜川 龍史

■女子中学生夏見の左手に住み着いた人星人ひとせいじん
《架旗付箋2番目/キノコ付箋1番目》
 もっとも人間以外を強く感じたタイトルです。マン=ゴーシュってなんぞや、語の音がやたらかっこいいぞ、と興味が湧きました。知らない言葉だったので調べました。短剣の一種であるとわかったのですが、それがどう作品に絡むのだろうという好奇心も本書を手にする前からあり……。つまり私は本書全作のタイトルだけを本を手にする前から着目していた。その時点から気になっていた作品です。タイトルで掴みが抜群だと思ったのは確かです。読了第一印象では私の発想が貧相なのでしょうか、過去にどっかの漫画で手に何かモンスター的なものが住み着いた作品とイメージが被ってしまいつらくなりました。いけませんね……(自戒)。
 それ以外のところでは、中学生のとき私は美術部だったのでヒロイン夏見と共感できた箇所がありました。でも本作のように立派に洋画の画材を使った記憶はありません。部活も週に1~2回しかなかったので入り浸ることもできませんでした。そう思うと夏見の環境が羨ましく思えます。日本の中学生のスマホやiPhone普及率がどのくらいなのかわかりませんが、衝撃の瞬間、その場の光景を電子系デバイスで画像や動画として残さずスケッチブックを開き手動で描写して残そうとする夏見の気持ちが絵描き人だなあとしっくりきます。今でこそやらなくなったのですが、ひたすら描く量こなしていた時期は彼女と同じような発想でいたのを思い出します。とはいえスマホはない時代でしたので自然とそうなった感はありました。
 情報を糧とする人星人という設定がとても興味深くて夏見がいう「ズレ」とはどういうところなのかと気になりました。絵からにじみ出るフォースみたいなものでしょうか?絵画の完成形の意外さに心躍った。
P100タイトル絵:作家自らの描画で力が入ってるように見うけられます。絵筆と額縁などは作画ではなく加工貼り付け効果が施されイラストのなかでアクセントになって良いのではないでしょうか。

『冬虫夏草の言祝ぎ』 中野伶理

■DV父親を菌床とする偽父(菌類ですよね)と暮らしはじめるぼく。
《キノコ付箋8番目》
 中野伶理作品、『那由多の面』は本書到着前に読ませてもらっていました。
 今でこそDV(ドメスティックバイオレンス)について日本社会でも頻繁に取り上げられるようになりましたが、そういう暴力にまだまだ無頓着な国であると私は思っています。日本に蔓延はびこる躾と称した暴力、やめてくれ。雑な躾に意味はない。本作でもそんなDVの苦しみから主人公(ぼく)を救っていた存在が偽父でした。作品を読んでいると過去の自分が救われるような気持ちになります。真面目で優しい偽父、主人公(ぼく)に対して甲斐がいしく面倒をみて家事から娯楽まで、人間の大人へのなりきりには余念がありません。偽父とぼく、描写される彼らの日常は本来正当な親子関係でこそ当たりまえ。彼らは偽父子。しかしその光景はとても理想的で眩く美しいのでこのまま永遠に続いてくれるように願いたくなります。二人には近い将来別れは必ず訪れる、作中で絶対それは起こることだとわかっていながらも、主人公(ぼく)が結婚して子供ができて孫を偽父へ見せるくらいまでは想像させてくれました。だいたいね、1ページ字数とかわかりだすと、ああ、たぶんここら辺りのページでお別れがきそうだな、とかダメなこと考えながら読んでしまうんですよ。自分を酷い読者だと思いました。ですが本作からは偽の父子関係を見ながら、片方は人間でもないのですが、人間の在りかたを模倣させることによって、決して主人公(ぼく)が得ることはないだろうけれど、きれいな未来までも感情移入させられる良さがある作品だと思いました。人間以外をモチーフに出会いと共存と別れから綴られる人間の情念を第三者目線で見つめて味わう深さがあったのではないでしょうか。
 菌類にも心があるとみていいのだろうか。
挿絵:偽父からにょろにょろ後ろに生えている薄笑いのおじさんに見えていて本作を読むまで一番怖いと思っていた挿し絵でした。読了後ガラッとその先入観は変わりました。

『詩を読む少年』 谷田貝和男

■人間かをはかる指標は詩への感応。その世界で生きるサトル少年。
 タイトルだけ初見印象から「少年」という言葉に人間を強く感じていた作品です。
 詩を読む。その詩に浸る。感応は測定され人と判断される。独特の世界観が創られていました。私は詩をどうこう扱うのが苦手な性分です。好きな詩集もなければ詩家もいません。食わず嫌いでしょうか、なぜなんだろう。こんな自分ならヤンキー牧場へ送られるのではないだろうか、人ではないモノとして扱われるのではと思えてきて困りました。作中の世界であれば、おそらく詩文化が盛大に花開き有名な詩家も多く生まれたことでしょう。勝手にあれこれと妄想してしまいます。そこで詩における人間のコミュニティーや序列も発生しただろうなと考えてしまいます。まことしやかなビジネスモデルも浮上する余地もありそうです。そうなると詩に馴染めない私のような者は、ヤンキー牧場にどんどん送られる。牧場へ行ったらどんな待遇が待ち受けているのだろう。タキのシーンから想像します。社会へ反目する人間以外とされた者によるレジスタンスからなるアンダーグラウンドでしょうか。それとも虐げられ搾取され続ける者たちの監獄になる?ああ怖い。などと二次的側面を想像させてくれる面白さが備わっていて作中世界に奥行きを感じました。他にも、詩へ感応できるものだけが受ける高等教育なんて、どのような教育内容であるのか俄然興味が湧いてきます。文学的感性だけでは計り知れないものごとは高等教育から外されることになるのだろうか。そんな自分の憶測へ、まってくれ!とあれこれ自問自答してしまいます。序盤サトルの父は息子へ熱心に投資を惜しまず、詩の朗読で英才を施していました。父が居なくなると本棚へサッサと詩集を返すサトルの無邪気さに笑ってしまいましたが、読了後の虚無感が見事にその光景を反芻させてこってりとした文芸を感じさせてくれた気がします。理系を殺しにきている心もちだった。

『骨との生活』 河野咲子

■わたしは、そう遠くない未来のあなたの白骨。
《キノコ付箋4番目》
 私がもう一人いたら私の用事をそいつがするので私はサボれるか。普段そう思います。けれど、そいつも私なら十中八九考えは同じで結局サボる私が増えるだけというオチに気づき残念になります。本作ではそれに近い現象をフィクション世界で見ていた気がしました。なんとまあけったい(奇妙な:関西弁です)な暮らしでしょうね。笑いました。けれど、たしかに骸骨が外見的にヒロイン(わたし)と共通点がある以外にも、ヒロイン(わたし)以上に生活IQが高い描写から、間違いなく将来のヒロインの姿である認識がうまれます。人生スキルが卓越したのちに死んだという説得力があったのではないでしょうか。ハナちゃんを思いやるのも、事前にハナちゃんを知っているのも納得できた感があり整然とした作品の完成度の高さに納得させられました。現在のヒロインには骸骨を見るふしぎさや奇妙な感情があり、読み手としてはその気持ちにのっかれる面白さがありました。対する骸骨が未来のわたしという証を実感させてくれる理屈でも楽しめる作品だったのではないでしょうか。先があれば骨のその後が知りたくなりました。タイトルだけの初見印象で「骨=死」を連想し、生と対極にある現象と認識していました。加えて「骨」だけだと動物にも当てはまるので人間以外を割と強い印象をもっていました。だから付箋が早い番号になっています。人間の骸骨だったのには意表をつかれて良い気分でした。死の表現についても、清々しいまでに「ふしぎさ」の感情が心のなかで大半を占め、闇や悲、猟奇じみた恐怖といったホラー感とは無縁だったのが気に入りました。あと、骸骨がコーヒーを美味しく淹れていた描写が嬉しかったです。私はコーヒーが好きなので。ホットケーキとコーヒーの朝、最高ですね。

『テセウスの人』 常森祐介

■変化していく友達のカジ。
 テセウスの船からくる同一性がカギになる作品でした。「人」という字から人間を強く感じた作品です。着想が面白いとも感じました。序盤、秀才の友達カジが夏休みデビューを思わせる外見の目まぐるしい変貌ぶり。それだけでも大人としては、やんちゃ沼へはまっていく十代若者を俯瞰した構図で観察できる面白さがあったように思います。髪やピアスの変化は日本の十代若者らしい執着だと見てしまいます。不思議なくらい。校則をウザがる学生ではあるある系のカジの変化。そこに可愛げすら感じていたところ、空を飛んできたところで笑わせてもらいました。この段階でグッと作品に引き込まれたと思います。SFのにおいを強く感じ、期待値が高まった覚えがありました。カジを見守る、というか目の当たりにする僕の心境を察しても、読者目線で喜劇を見せられているような気持ちでした。関西人としては友達がそんなのだったら露骨なツッコミを入れているところ。本作の主人公(僕)の目線では深くカジを追求せず観察し続け、変化しない者としての序破急ある心の動きを感じさせてくれました。言葉にならない、できない唖然とした驚きの表情までもが伝わってくるようで楽しめました。名前の改変とかそこまでしなくてもと笑ってしまいました。本作の良いところとして、コミカルな物語の中にも考えさせられるところがあり、「変化」の前の自分を思うことで自分だったと認識する心境、何かを持たなくては自分を見出せない心境。そんな気持ちの連鎖に陥る人間が生むごみ屋敷。私はそれを思うと病的に捉えてしまいどうしても憐れみをおぼえます。自分が極めたミニマリストではないですが、何かしら物を所有したがる人を見ていると、彼らの持ち物から彼らの心の闇を見ている気持ちになって不気味になるときがあるのは私だけでしょうか。本作を読むことで改めて思わされました。

『胸の鼓動は星のまたたき』 甘木零

■五年一組の私は私のロボット。
《キノコ付箋3番目》
 タイトルが個人的に最も美しいと思った作品です。本書のテーマは人間以外。そこから人間の心拍では絶対ない。ならば何の鼓動か。動物あるいは機械仕掛け人形の二択であろうなと推測していました。読みたかったのは後者。そんな感じで付箋は3番目にしていました。
 ひとくちに切ないと言ってしまうと、本当にそれだけで感想が書き終わってしまうので良くない。私に表現できる伝え方、どういう言い回しが良いか悩ましい作品です。無力さ、鬱さ、冷たさ、儚さ、救われなさ、痛み、そういった言葉がはまる作品でした。明るく華やいだ気持ちとは縁のない感情で読了……。人の心が独立していれば、本体と別の器を行き来できる。こういった可能性はSFの世界ではしばしば見られます。けれどそんな社会には必ず光と影が生じる。影の部分はなるべく周知されたくないと思うヒロインのヒナ。危ない橋を渡っていますからね……。だからヒロイン(ヒナ)がいかに慎重に生きていこうとする人物であるか、理想への思いが強い人物かがその生活、暮らしぶりを通じて描写されていたと思います。本作の社会でいってみれば彼女のいる場所は影。社会的弱者にあたります。そんな彼女が小学五年生ながら失敗を悔い、うまくやることばかりを考えるさまへ、一種の気の毒な感情が湧いてきて……、これは読み手の同情を誘おうという作戦なのでしょうか、なんてことを考えてしまいました。小学生女子が無邪気でいられない光景は大人ながら複雑な心境になりますね。……これはフィクション、これはフィクション。念仏のように。真実を知る良い友達を気づかい、お母さんを思い、不遇の身にあるヒロインがいつか自由になれる日は来るのだろうかと思わずにはいられません。回想によって綴られる本作、特殊な彼女の過去の経験はどこか妖艶で神々しくさえ感じる美しさを秘めているようにも感じられました。

『夜の訪問者』 櫻木みわ

■エッセイ。
 ふたばの豆大福が登場するのは本書で二回目です。ほんとうに美味しいので京都へきたら出町柳商店街へ赴きでぜひ召し上がっていただきたい。商店街にはうどんそば屋さんもあって……あ、初見で厨三を中三の誤字かと思いそうでないと数行先で知る羽目なった人物がここにいます。ほんわりとした、どことなく可愛げのある一作で気持ちをほころばせてくれる優しさすら感じられました。動物かとも思ったのですがそうでもなかったようで、不思議系エッセイがデザート感覚で楽しめましたと思います。

『執筆者紹介』

このページは好印象です。私は本書で初見の作家さんばかりでしたのでありがたいと思いました。贅沢をいいますと、個々の作品の前後に作家紹介があってもいい気はしました。最後に全作家をまとめると、どの作家さんが本書でどの作品を書いておられたか一致させるのに目線誘導が揺らぎます。作家紹介ページと作品箇所を前後ページ間で何度も移動するわずらわしさが少々ありました。本書のように集録作品が多いと本のノドを傷めてしまい気がかりです。まま、そこまであちこち行き来して読む人間も少ないかと思いますが……

『編集 甘木零/組版・デザイン 鵜川龍史』

 表紙、紙の材質選びがきれいでした。内側がキラキラするのかっこいいです。遊び紙が表紙と色合わせをされて薄いめの青というのも涼し気で良い感じです。集録作品数が多いので目次にしっかりゆとりをもって2ページ見開きで構成されているのも素晴らしいと思いました。特集、テーマも大きく配されてわかりやすいです。フォントもそれぞれの箇所で嗜好を凝らされているようで熱を感じられました。P5じゅりあさんでしょうか、特集・テーマ絵も可愛さと不思議さと兼ねたキャッチ―感のある画風が魅力的に思いました。
 本文。フォントサイズは私にはやや大きめに感じました。0.5~1pt小さくても個人的には平気です。ページナンバーに作品タイトルが併記されているところまでは理解できました。Sci-Fire2023とデザイン線まで配されているのは驚きでした。凝っていると思いました。
 

『表紙イラスト せい/表紙デザイン 太田知也』

 表紙イラスト。まず申し上げておきますと、文章も素晴らしい作家さんでありながらイラストも達者とはセコイです!本書の巻頭、色合いは深い青を基調におそらく時間帯は日没後でしょか。街の光がびっしりと遠く東西地平にのびています。街の光は水面にも反射して画の正面からあたる光とあわさり水の透明感と波の揺れ、水温を想像させてくれます。海でしょうか、湖でしょうか。描画される世界が日没直後(日没後であると勝手に想像しています)で空に幾つか星が見え、多くはないその数から、わりと距離の近い星なのかとこれまた勝手に憶測します。距離が近い星=輝きが目立つ、という認識です。中央にある褐色の骨は何だろう、架空の未知の生き物と考えるとよいでしょうか。時間の経過、年月を経ながらその地にあり続けたのか、何かのきっかけで露出したのか謎めく不思議さがあります。その横に佇む少女と、なにか物語が始まりそうな関係性をこの構図から見てしまいます。
 表紙デザイン。個々のフォントデザイン、配色は統一感があって良いです。裏表紙を縁取る橙のグラデーションなんかとてもおしゃれに感じました。表紙中央に骨の顔面、向かって左側に少女があることから小説作家名が向かって右への配置。タイトル、作家名が黒で下地の白が良いコントラストだと思いました。気になったのが「R」のロゴデザインだけ趣が違うのはなぜなのでしょうか。ファイヤとかけて燃えているイメージで炎の揺れの表現なのでしょうか。レタリングをデザインした経験ある人間としてとても気になりました。個人的には特集・テーマをもう少し目立つ大きさで配置しても良いかと思いました。理由はBOOTH表示で既刊と並んで表紙絵が表示されるとき刊ごとの特集がパッと目につくからです。現状小さいと思いました。

付箋タイトルより学んだこと

架旗氏の付箋は三作品だったのでそちらは純粋に私が頼んだとおり第一印象興味に相違ないと思います。私は9作品に付箋を付けました。『人間以外』を強く感じ魅かれた順に。
《架旗付箋》
1愛は群島
2唸れ、マン=ゴーシュ
3蛙化現象
《キノコ付箋》
1唸れ、マン=ゴーシュ
2鴨川のヌートリア
3胸の鼓動は星のまたたき
4骨との生活
5愛は群島
6色彩の街
7消えゆく羽のひとひらに
8冬は虫になり夏は永遠になる
8冬虫夏草の言祝ぎ
 
付箋がないタイトルについて再度、作品の出来不出来や良し悪しではないとお伝えしておきます。どの作品も全てが自由な発想で創られた素晴らしい作品ばかりでしたので。ではなぜ私が付箋を付けなかったのか、理由もちゃんと書いておきます。
それはタイトルに含まれる言葉に特集・テーマ『人間以外』とは逆になる『人間』を少なからず感じたからです。ただそれだけです。なぜタイトルから人間を感じたかについては個々の感想で触れていたと思います。
そして私個人が学び得たことは、タイトルの言葉から受ける影響がいかに重いかということでした。特集・テーマが「人間以外」ですとタイトルにも人間以外を期待してしまう傾向が自分にあることがわかりました。私は発想における知性が足りないのでしょうか。わかりません。他には、付箋8番目は二作あったことについて。これは同じモチーフと意味を連想し似通うところがありました。実際、同じ物が作中描写されていました。しかし作品内容は全く別物でした。似たタイトルでもこんなに違うのかと驚かされた次第です。本書集録作家の皆さんから学ばせていただき感謝するばかりです。本当にすごい同人誌です。

ゲンロン大森望SF創作講座修了生による本作、なんと密度の濃い一冊だったことでしょう。わりと駆け足で読んだつもりですがこれだけの集録作品を読み感想を書くのにがっつり日数を取られました。全体的にどれも短い作品なのですが重量感が半端なくて、お値段以上に味わった気持ちになりました。作家の皆さんの知識がしっかり凝縮されているように感じます。私の感想では表現が拙くて申し訳ないとさえ思えてきます。伝えきれていない魅力も沢山あります。その辺は実際手にして確かめて欲しいと思うばかりです。色んな学びも豊富でしたし、この先じっくり読み返したくなる作品もありました。BOOTHのほうでは本書はまだ在庫があるのを確認しています。これで『SCI-FIRE2023  野生のSF  特集・テーマ/人間以外』の感想は終わりです。本作の良さは伝わったでしょうか?そうであれば私は嬉しい。惹かれましたならぜひ本書作品をお手元にどうぞ。
なんだかほんとにすごい威力でした。お腹いっぱい。

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