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『テーマアンソロジーSTATEMENT FOR GAZA』の感想

 文学フリマ38の同人小説感想3作目になるのがグローバルエリートさんの作品。エージェント架旗透氏に購入依頼しました。本サークルは架旗氏所属サークルでもあり、2年ぶりの新刊になります。収益は全額UNRWAへ寄付されています。本作が発表される前より彼らの活動へ疑問の混ざった関心を寄せていました。彼らは今「どこ」にいるのかと。「どこ」、その意味は深い。時代を、世界を見据える彼らSF小説作家として、次の新刊で何をしてくれるのか。新刊を出さなかった、或いは出せなかった2年。見てきた、感じてきた世の中を彼らはどう読ませてくれるのかと。世界はこんなにも激しく揺れ動いていて知らないとは言わせない。創作・小説執筆はなにもデスクの趣味のその先にいる読者へ楽しい読書の時間を与えるだけではないはずだ。こんなふうに新刊を待つ客なんか嬉しくないだろうけれど私はそうだった。そして新刊を待った甲斐はあった。人災で軽視される命に連帯する姿勢へ心服の念も抱きました。機動力、行動力を高く評価しています。そして執筆への感謝もこめつつ今後の活動にも期待を寄せるところです。


※以降、サークル、作家の方々へ敬称略すことを予め御免申し上げます。
誤字も許してください。もし見つけたそこのあなた、教えてください。
※■文は作品の内容紹介です。


書籍案内

『テーマアンソロジー STATEMENT FOR GAZA』
発行年月日:2024/05/19  初版(文学フリマ東京38にて頒布)
サイズ、ページ数:A6版、158ページ
発行所:グローバルエリート
執筆作家「作品名」:維嶋津「コールアンドレスポンス」、架旗透「君なりに頑張ってきた君が負けるということ」、東京ニトロ「EMPIRE!EMPIRE!」、髙座創「無垢の行進」
表紙デザイン:架旗透
ロゴデザイン:杏野丞
発行者:髙座創
テーマアンソロジー STATEMENT 1000円(初版完売)


『序文』

 国際情勢をさほど注視せずとも「対等」が失われている様を目にする近年。悲しいかなそれは人間が発達させてきたテクノロジーの恩恵下にあるインターネットやSNSから手軽に触れてしまえる。そしてその凄惨な情報に触れている我々も遠くでほんの僅かにでも何処かで繋がっている歯車の一端だと考えることはあるだろうか。疑問を抱いたり答えを探したり、己の日常から離れた命の大切さに気づき行動を起こそうとしたろうか。
 テクノロジーを生んだのも人間なら、殺戮するのも人間、命の尊さを訴えるのもまた人間。文化を築くのも人間。みんな繋がっている、おそらくどこかで。ならばグローバルエリートはどこにいるのを選んだか。それを見せてもらうつもりでいた。彼らは創作においていつも強い。けれど性は優しすぎる。彼らのガザへの連帯は終わりが見えない。遠い他人の痛みへ寄り添い続けることは茨の道であるといえる。そして声を上げたことへ敬意をもつ。
私などは所詮偽善のワナビとなるか。そういう者は殺戮を黙認しない意志が執筆意欲なら、面白おかしい未来の寓話と今回ばかりは確と一線を画すと断言するだろう。「価値はないと思う。」否、「思う。」ではない。「価値はない」と言い切るだろう。それくらいの気概なら最強のSTATEMENTとなる、と。一度きりで終わってしまえばいいのだから。
 けれどグローバルエリートはどこか違うように思えた。少なくともこの序文からはもっと……、彼らの悲痛で切ない、どうしようもなく引きずってきた苦悩からの訴えや願いが窺えた。
それはとても優しくとても遠くへ寄り添おうとする、強くないエリートに思えた。
 彼らのいる社会(日本)は豊かで平和過ぎる。彼らの目にする日常は苦しみを黙して安穏が約束されているような世界だ。だからこそ生まれた殺戮・恐怖へ抱く思いを我々へ投げたい声明としたのだろう。そのように思えた。

『コールアンドレスポンス』 維嶋津

■鳴るJアラート。沖縄名護からガザを思う僕。
 
 沖縄米軍基地のおかげで沖縄居住経験のある軍関係者に接した機会が私には度々あります。「沖縄は良い所」「日本が大好きだ」出会う彼らは口を揃えて言います。けれどそんな彼らと戦争について真剣に話した記憶は皆無。できないのです。それ以外の接点で交友していくしかない未来を彼らと私は言わずとも認識しています。戦争とはそんな傷跡を次世代以降へも残しつ続けるのです。たとえ平和になっても。沖縄基地経験者からすれば戦争話を日本人にするのは禁忌なのでしょう。私が出会ってきた軍関係者はおそらく皆バカじゃないからそうしていた。日本人へは慎重なほど親切です。私なんか沖縄県民でもないのに。
 戦場の傷跡のある土地に住みながら、現在進行形で砲撃による流血の地に住む他人へ寄り添う思いを形にすることが如何に重いか。書かれていない事実がそれを物語ります。作家の苦悩が伝わってきました。太平洋戦争終了以降、名護には米軍基地がある。住んでいるゆえの触れられなさを推し量ります。本土出身者が抱く米(軍)人との距離感。沖縄県名護出身者が抱く米(軍)人との距離感。この二つにはどうしたって温度差があるのでは。だから余計に悩ましかったのではないかと。気持ちに偽りがなく簡素にそのまま綴られている様に伝心してくる思いが見られた気がします。
 名護の日常、能登の事例から、北朝鮮ミサイルによるサイレンの事例から、少しずつ感じたことを連ねてガザへ共感を寄せていこうとしてそれを捨てる様は自分の無力さを知る作家の弱々しさにみえました。けれどそれは包み隠さない「僕」のバカ正直さで、弱く傷つく者への見せかけの強さではなく、嘘をつかない優しさなのだろうと感じました。小麦袋より人命が安いガザと己が日々目にする光景との落差は到底うけとめ切れない大きな違いがある。だけどその悲鳴は見過ごさない。応える作家なりの意はあるという声明に思えました。
 
どうしようもなく苦悩した末、「かたちにならなかった気持ち」、それが真実であると見れた。
私の心もガザへ。


『君なりに頑張ってきた君が負けるということ』 架旗透

■科学技術を商う職場にあってその延長線上、遠く戦火の地を悼む僕。
 
 テクノロジーを生んだのも人間なら、殺戮をするのも人間、命の尊さを訴えるのもまた人間。文化を築くのも人間。正にその一端を鮮明に見せつける一作であると思いました。
 架旗透の作品からはいつも温もる人の心を読んできました。そんな作家のやるせない悲痛な情は、今作でもまた独自の表現を駆使し偽りなく綴られていました。見事なまでの読後の悪さは言いようがありませんでした。その悪さがどうかという説明を私の拙い表現力では言葉で表し尽くせません。けれどこの読後の悪さに目を背けるべきではない。この感情を無視してはいけないと強く思います。これを認識し受け入れもせずガザへの連帯もクソもないというのは真実でしょう。なにせ私のXには西瓜があり、緑白赤黒がアイコンにあるのだから。
 本作、「僕」の置かれる場は多人種多言語の労働環境。否が応でもいつかどこかで戦火の枝末を目にするだろうと察する思いがあります。かくいう私の置かれる生活環境もまた英語圏多人種。隣人にユダヤ系もいればアラブ系もいます。車で市内を十数分も走れば馴染みのイスラエル寺院はあるし隣人宅へ出向いてみればコーランが家に大切に置かれています。作中イスラエル人の白パン男を読むとき私は馴染みのイスラエル寺院を思いました。青い六芒星の国章と、そこの人たちが思い浮かびます。一緒に日本の歌謡曲を唄ってくれたし、そこで朗読した記憶もあります。眼光の男を読むとき、ガザ出身ではないけれどムスリムで馴染みの隣人一家が思い浮かびます。ラマダンには断食をし、お酒を呑まず豚を食べない人たちです。
 作中「僕」が握手をした白パン男は自らベジタリアンになったファッションベジタリアンのユダヤ人の友人の顔。怒声をあげる眼光の男はこっそり内緒でお酒をのむ隣人のパパ。友人たちの顔が浮かんでは消え浮かんでは消え……。作品を読む私の心の中でイスラエル人とパレスチナ人に被さりどうしようもなく苦しい複雑な感情が湧き起こりました。
もちろん私の生活環境は戦場ではありません。彼らがはちあわせても争いは起こりません。けれど彼らと私が共有した時間、別の場所ガザでは事実殺戮は起こっていた。それを表に出せなかった気持ちが作家の描いた握手のシーンに被さります。彼らが向かい会っても争いが起きないのは彼らと住む私の生活の場が平和(平穏)を見せかけでも辛うじて法と秩序で管理し約束しているからです。けれどその法も秩序も揺らぐプロテストイベントが頻発する都市部であれば彼らとの時間の共有はなかったでしょう。
 そして作中プレジデントの発言やエントランスで隅に行かない者たちの仕草からは、殺戮へ沈黙する者が掲げる救済の虚しさと、遠く他人の死へ無頓着でいようとする感覚の象徴と映ります。
こうしている私ですら今の平穏さから他所の殺戮への無頓着を自覚することに背を向けている。パレスチナ・ガザを思うとき、その場所は渦中で風当たりの悪いシオニズムマネーの恩恵を受けた人・物に囲まれています。大学運営も国や企業、その他から振り分けられた予算、それにもシオニズムマネーは形をかえて混ざっているでしょう。私はその恩恵の中で暮らしています。こうやってガザへの連帯を、声明をあげる作品へ感想を書くのに使っているPCも全て、健康のために摂るサプリも、キーを叩く私の手も、寄付も、暮らしも虐殺に異論のない者からの恩恵。バイスプレジデントの中身のない白々とした文言を聞く僕の心象は、私の心象でもある。私は無自覚なアメリカに住んでいます。多くがガザとは相反する力の恩恵が占拠している地です。そしてそこで生きることに感謝もしなくてはいけない身です。
 装置が動かないと困る、予算が動かないと困る、薬がないと困る、エアコンが無いと困る、Walmartが無いと困る、株が下がると困る、Amazonがないと困る、歯医者は、コーヒーは何で輸送されてくる、車は、スマホは、部品は、全てすべて、虐殺にYESなやつらの恩恵。虐殺に加担する者たちの恩恵。だから私も負けているのだ。同じなのです。
 WORKだったら、いつものこの作家の作品だったら、読めば心は温もり何を書こうか、どこから始めようか心揺れ意気揚々と感想が思いつくのに。本作ではそれがどうして捗らなかった。眼光の男の描写から、白パン男の描写から、バイスプレジデントの描写から、世界の矛盾で脳がパンクし誤作動起こして動けないでいる僕の描写から、驚愕とすくい切れずに深く悼む感情が本当に切ない。悲に当てられます。この無力の声明に……。
 
テクノロジーの光と影をみた目と心、絶え間なく溢れる悲しみへ。
私の心もガザへ。


『EMPIRE! EMPIRE!』 東京ニトロ

 ■障害者支援施設で働きはじめたタカハシカズキの気づき。
 
 日本は夏休み?昨今夏休みの宿題で読書感想文はありますか?読書感想文対象書籍に本書、本作を入れても良いと思います。60部は少ない。本作を読んで欲しい、読ませたい層が実は本書を買っていないのでは。違いますか?え?私はこれを若い世代にも読んで思い巡らせてほしい、色んなことを、そう思います。小さなことでいいんです。読んだ彼らがガザについてどうこう、そこまで語らなくても構わない。何なら感想も書かなくていい。10代のうちに読んで10年後20年後、再度、再々度思い出してまた読んでみて欲しい。本書を買い、読んだ者なら東京ニトロが訴えること、声明を、東京ニトロがわざわざ作品にしなくても知っているのではないか。というのは言い過ぎではないと思う。東京ニトロに作品を書かせてたった60冊しかない本を創らせておくのはやめませんか?私は本作家の言いたいことを不特定大多数のあかの他人へ押し付けるつもりはさらさらないけれど、本作が語っていることを煩く感じるほどの世の中にどれほど魅力的な明るい未来があるのかと疑問に思います。作家が作中で大切にすることも口にできない、表に出せない社会が、そこで生きる者たちなんかには所詮、腐った未来しかつくれないのではないかと。そう思わずにはいられない。
 少なくとも私が(我々が)なってはいけない人間は、作中タカハシカズキの父であり、カセであり、プリウスのおっさんであり、つくってしまってはいけない人間は、支援施設に侵入する少年たちであり、野球部の高校生たちであることは明白です。とても簡単にわかる。世の中に、当たり前に支配され傷つけられてもいい人間はいない。
 誰かが他人を思いやるその先で、思いやってもらった者が次はどこかで他人を思いやる、そんな単純な「良いこと」はもっと増えないのかと思わせてくれます。「良いこと」の橋渡しぐらいを強要するなといって吐き捨てようとする者が住む世界に心豊かになる未来はないでしょう。そんな世の中に意味もないでしょう。既に老人は増え続け、生活面での福祉支援を受けなければいけない年齢層は増え続けている。それなのに少子化する日本。自分だけはと周りを思いやって行動しないままでいていいわけがない。仕事じゃないから他人を助けない、知り合いじゃないから、家族じゃないから、友達じゃないから、皆がそうしているから……それではいつまでも変わらない。せめてできることから、気づけるところから気づいて行動していかないと。それが作中のタカハシカズキだった。この人物を創った作家に感謝します。光が当たりにくい世界(モチーフ)へ光を当ててくれたことに。
 気づくことの大切さは何も若者だけに言えたことではありません。私はそこそこ歳食った人間ですがそれでも己の気づかなさに、思慮のなさに自ら恥ずことは日々あります。おそらくこれからもあるでしょう。けれど忘れずにいたいのは、タカハシカズキが何も怖くないと確信したときと同じように、私が暮らす毎日のその先へもどこかへ繋がって意味があること。そう思えることが行動のきっかけであり続けたいものです。世界には「良くない」ことが多すぎる。数えれば無限かもしれない。周りに目をむけてなるべく「良いこと」をしていけばいずれは繋がってほんの少しでもどこかで誰かが他人にとって「良いこと」になると信じたい。そして私の言葉でも誰かの居場所がつくれていればいい、そんなふうに思いました。
 
あのとき書いたから、あのとき本を頒布したから、あのとき足を運んだから、あのときの寄付、あのときの夜勤、あのときの言葉、あのときのリポスト、あのときのすべてその先へ。
私の心もガザへ。


『無垢の行進』 髙座創

■沈黙の艦隊の二次創作。海江田はねむり続けている世界。
 
 沈黙の艦隊は軍記ではあったけれど和平の追求を限りなく戦わずに実現しようとしていた世界だった気がする……。随分過去に読んだ作品なのでそれくらいの記憶しか私にはありません。争いと密である兵器、核などが作中登場していたけれど戦争を読まされていた気はしませんでした。どちらかと言えばあくまで素材として兵器を使われていた。思想、理念のために。ロジックの道具であったように思います。そこが良かった。本作でもその世界観はそのまま作家が扱ってくれていたのではと思いました。あの漫画の良さはおそらく現代でも色褪せないでしょうし未読のかたは読んでみて欲しいです。本作を読んで知るきっかけになったのなら私からもお薦めします。さて、われわれ人類は平和を求めています。それなのに紛争がなくならない矛盾を昨今目にします。平和を追い求めた沈黙の艦隊のようにはならないのはなぜだろう。我々の目にする世界の国連は、はたして機能しているでしょうか。ICCは真に機能していますか?ならばなぜ21世紀にもなって、2024年は半年も過ぎたのに、戦争や虐殺で人が死に続けているのでしょう。戦犯は安全なところでのさばり独裁を自国で布いて戦場で兵士たち(民)が死に、都市では虐殺が繰り返され瓦礫の中に死人たち(民)が伏しているのでしょう。詭弁が通じるのはそれを詭弁と認識できる相手だからで。現実では忌々しくも詭弁すら通じない、聞く耳をもたない連中が闊歩する世界……、だからは争いや虐殺はなくならない。ヴァシリーは?エルダンは?国連議会のあの場で何をしてきた。我々があそこで見たいのは彼らのあんな御託や茶番ではないはずでしょう。本作を読んでいると現実の国連への怒りが湧いてくる。
 強すぎる武力を持たなくてよくなる世界。そこまでの道のりはこんなにも長いものか。武器を持つことか、持たない覚悟か、どちらの意志が真に強いか。一度武器を手にした人間は手放すのが怖い。危険なものと知って手にしていたから手放すことで自らを危険に晒すことを恐れる。これこそが弱さの本質で争いが止まない世界を生んでいるのではと思うことがある。だから今日も血で血を洗うのかと。
 強大な武力の行使は刹那に世界を終わらせる。けれどそんな武力を持たない覚悟は世界に恒久の平和を約束する。いちばん知っているのは我々日本人でしょう。本作はあまりに美しい希望に満ちていた。理想であるでしょうけれど、理想なくして形には近づけない。近づくにはまず行動するしかない。書けないと苦悩して書いた行動は作家なりの希望の声明と思えた。
 
独立を、誰もが自ら考えて。
私の心もガザへ。


『表紙・各話タイトル画デザイン 架旗透 / ロゴデザイン 杏野丞』

 本書はいつもの新刊WORKとはことなりUNRWAへの寄付を目的としたファンドレイジング発行物であることから装丁は控えめになっているのでしょうか。いでたちの方向性が洋書のペーパーブックを思い起こさせました。表紙のベースカラーとなっているライトグリーン、おそらくマット紙のせいだと思います、入手前との色に差異を感じました。グロス紙だとまた少々違ったのではないでしょうか。現物だとマットが光を吸収するので落ち着いた色合いで人間の目は視認するようです。画像で見ると本書はもっと明るく映えているはず。
 表紙デザイン画。緑、赤、黒、(地は裏表紙まである白)からパレスチナカラーを彷彿とさせ連帯の意を想起させます。向かって左上角から放射状に散らばる点と乱れる線は何でしょうね、何かの波長のようにみえて中心から開いたり閉じて行ったり、乱れたり収束したり、心拍リズムを描かれているように感じさせてくれます。各話タイトル画ともあわせて観ると安定する円線は周回するサーチライトソナー、黒線で描かれる扇形はセンタースキャニングソナーのようにも思えました。
 ロゴデザイン。配色素晴らしい。毎回なんですが、デザイン画とロゴデザインの仕事ぶりが極めて達者であるサークル同人誌だと思います。「テーマアンソロジー STATEMENT」と作家名の縁は画に埋もれないよう微細な抜きが施されている配慮に感心します。タイトルサイズ、太さ、統一感ある色の選択。視覚に訴えるインパクトも強くメッセージ性高い今作の表紙づくりに好感を抱きました。

『序文・紹介文・本文組版 架旗透・東京ニトロ・髙座創』

 序文については先にかきましたので省きます。本文紙色は淡色クリームで目に優しかったです。扉に配される本書タイトル、作家名、成長君だっけ?のTMもシンプルでかわらない落ち着きがあって良いのではないでしょうか。
本文フォントサイズ、8~9ptくらいでしょうか。これくらいが私には慣れていて読みやすくて良かったです。いつもどおり行間やや狭いですが問題ないと思います。既刊の作品からの印象では作家の皆さんがっつり文字数書かれるので妥当なのかなとも考えてます。行間で2~3行変わってくるのでね……。早〇文庫はこのくらいでしたっけ?グロエリさんの本、小口側の余白がもう1~2mm欲しいと思うことがあるのですが、行間、ノドの取り分とも関係あるのでしょうか、文がめいっぱい一項に収まるとやや窮屈感があります。ただ、他のA6版書籍でも見られる窮屈感なので好みの範疇かと思います。毎度親切に作り込まれていると感じるのが各話タイトル画の次項にあたる作品と作家の紹介文です。とても良いです。これがあると初見の作家さんを読むときは有難いし、新規読者にも優しい配慮であると思います。作家紹介文はどの同人誌でも、その都度積極的に掲載して欲しいと思っていますので。作家名の読み仮名もどこかであると私は嬉しいです。

 

 2年ぶりのグローバルエリート新刊となった本作。作家たちのガザ虐殺への声明を読んできました。本書既読の方は心にどんな重みを感じたでしょう。表紙には我々から離れた地、人がたくさん死んでいる現場を強く認識させる地名を含んでいます。未読のかた、だから本書に触れるのは慎重になりますか?怖いものですか?思想の押し付けと感じますか?では逆に本書を手にしたから、読んだからと言って、あなたの何が変わりますか?何があなたに変えられますか?自分の身の回りの何が。変わるのは意志をもって行動したときのみです。そのとき初めて変わる(かもしれません)。何もしなければ現状のままです。人は死ぬとき挑戦しなかったこと、行動しなかったことに後悔するそうです。死んでいった人間にそれはもうありません。私は今生きている人間としてなるべく後悔の種は潰しながら余生を送りたいと思います。そんなふうな気持ちから本書を紹介しておくのも悪くないでしょう。
 先の東京ニトロの感想でも述べましたが本書は60部しか発行されませんでした。私はこれを少ないと感じます。あと40部だめですか?もっと読まれて欲しいのです。これで『テーマアンソロジー STATEMENT FOR GAZA』の感想は終わりです。本作からの声明、その一片くらいは伝わったでしょうか?そうであることを願います。関心をもたれましたら本書作品をお手元にどうぞって、言えないじゃない!……完売してますよ、もう、
嗚呼……。
 
 
余談>本書を発行したグローバルエリートには私が文学フリマエージェントとする架旗透氏が所属しています。氏へは今回感想を1000字多く書きました。エージェント功績への労い、寸志を字数に込めさせてもらいました。忙しい時間をぬって本当によくしてくれているので感謝しかありません。エージェントがどんなことをするのか文フリ感想更新中後々紹介していけたらと思います。それらを知った上で参加してくださる方がおられましたらお声かけ下さい。



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