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日記のつもりじゃなかったのに
今日は朝から体調がよくなかった。息子はなんとか見送ったけど、夫が家を出ていった記憶がない。
二度寝してしまったから。
陽が差してすっかり明るくなった寝室では、ゴロゴロすることはできても、もはや睡眠は不可。
よろよろと階下へ。サーバーのお湯と水を器用に調合してぬるま湯を飲んだ。朝食後用の薬のために無理やりバナナと青汁を摂った。
その後も頭が痛くてたまらなくて頭痛薬をプラスした(お医者さんに許可は得ている)
横になっていたかったけど、明日は持病の経過観察で通院があるので寝たまま1日過ごすと、待ち時間の体力に差し障りがあるような気がして頑張ってタテになっていた。座ってた。
小説の続きを読もうとしても何回も同じ箇所を読んでしまうし、ドラマも映画も試したけど無理だった。結局ソファにだらりとしたら眠ってしまってた。
noteを日記の代わりにしようとは思ってなかった。だからといって何か創作してるわけでもない。
いったいわたしはいくつかの「記事」を何のつもりで書いてきたのかな?と思った。
肩のちからが良い感じに抜けてきたと思ってた。
でも、どこかできれいに(あくまで自分基準)まとまった「作品」めいたものを書こうとしてたんだと気づかされてしまった。
以前の自分ならこんな1日のことは書かなかったと思うし、書いたとしてもどこか面白おかしい読み物ふうになるよう工夫したと思う。オチをつけようと、がんばったと思う。
だけど急に、別にいっか。という気持ちになって、ただただ書いている。
体調や気持ちが弱ってる時の文章って、薄曇りなマインドに覆われてるし、偶然にでも目にされてしまった方に悪いな。という気持ちがあってオモテザタにできない風潮がわたしの中にはあった。
もしその方が元気がなくて、楽しい読み物に触れたいとさまよわれていたのならなおさら。
だけど、「もしも」ばっかり気にしてたら何も書けなくなってしまう気がしてるのかもしれない。今のわたしは。
持病の通院だけで何日か。検査や結果待ちだけで何日か。学校や塾の懇談だけで何日か。習い事の先生へのご挨拶。年内最後のごみの収集日も絶対に忘れてはいけない。
地味オブ地味な予定で埋められていく日々。
でもその間にも、すきなパン屋さんに行ったりもする。検査の結果が良ければ、欲しいものを買うだろう。何十年と続いてるクリスマスカードのやりとりのために雑貨屋さんにも行く。
あたらしいベレーもかぶるし、ダッフルも着る。
大好きなこげ茶のブーツと買ったばかりのスニーカーも履く。
よかった〜。書き始めより元気になってる。
口角が上がってる。
心細い日に何か記す効果をしずかに感じている。
ではまた。
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