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『世界は夢組と叶え組でできている』(著者 桜林直子)の力を借りて成仏したい話


世界は夢組と叶え組でできている
著者 桜林直子
発行所 ダイヤモンド社


「雑談の人がいるんだよ」と教えてくれた友人とは、激務の最中で知り合った。警備室の自転車に乗り、残業中という現実から逃げるように公園でアイスを食べながら夜空へストレスを放出した仲だ。

それから随分と月日が流れた、ある日。
漠然とした焦燥感に駆られていたわたしは、仕事でも作れば気持ちが晴れるのではないかと考えていた。そんな胸のうちを友人に打ち明けると「仕事って案外身近なことでも作れるんじゃない」と "雑談の人 サクちゃん" の存在を教えてくれた。

すぐに、ポッドキャスト「となりの雑談」を聞いた。続けて、連載やnoteの記事を読み、「世界は夢組と叶え組でできている」(以下同書)はすでに2回読んでいる。
ただ、いずれにも「仕事の作り方」は書いていなかった。
それでも、"サクちゃん" の話に夢中になったのは、自分の心のサビみたいなものに言葉を当ててくれたような気がしたからだった。


成仏したいこと

同書について書くことは、とても憚られる。こうやって書きながらも、どのポイントについて書いていいのか、気づきが多すぎて決めかねる。

すぐさま2回読んだのも、何度も咀嚼して、しっかりと消化吸収したいと思ったから。忘れないように自分の言葉にして、サビついてしまった何かをキレイにはがしたい。

どうやら、憚れながらも書かずにはいられないようなので、同書にある "行動の欲” と ”状態の欲” をもとに、最近の挫折について成仏することにした。

挫折の理由

さて、「最近の挫折」とは、ひっそりと始めたYouTubeだ。当たり前の話だが、そう簡単に収益化できるはずもなく、制作活動は楽しめていた反面、いわゆる「数字の奴隷」となっていた。

「やりたいと思って始めたはずなのに、楽しくないのはなんでだろう。」

試行錯誤はやがて意地に変わり、苦しみながらも足掻き続け、更新を止められずにいた。

さて、先述した "行動の欲” と ”状態の欲” について、同書から引用してみる。

職業や仕事の内容ではなく、時間を忘れて夢中になりたい、これならいくらでもしたいというような内側からどうしようもなく湧いて溢れてくる「行動の欲」

「時間とお金をつくりたい」と「こうありたい」という「状態の欲」

欲にはふたつの種類があるという視点で、YouTubeをやる理由について改めて考えてみた。

身内で唯一チャンネルの存在を知る夫は、「いい趣味だから、楽しんで」と動画の更新を楽しみにしてくれる。
夫から見るYouTubeをやる理由は、趣味=やりたいこと、つまり"行動の欲” に当たるのだろう。

実際のところは収益化して仕事にしたいと思っていた。なぜなら、「結果がでなければ意味がない」と思っているから。過去の激務の後遺症なのだろう。
わたしのYouTubeをやる理由は、 ”状態の欲” だった。

実際、制作することはできたし、学びを積み上げることもできた。
ここまでは、”状態の欲” でも突き進むことができる。

実際はここからが分岐点。数字を追えば追うほど、雑念や雑音が増えていき、作りたいものとバズとの間で揺れ動く。ここが何よりも不快で苦しい場所だった。

嘘はつきたくないけど、全てを晒け出す勇気もない。自分で作った「映え」を狙った動画の世界に足をとられ、うまく生活ができない感覚の中、もがいていた。

「行動の欲」は、続ける動機になる。

わたしの「Youtubeの挫折」を的確に表した一文。痛いほど実感した。

なかった欲

「もしもガマンしなくていいなら、どうしたい?」

同書では繰り返し、 ”正直”  と  ”素直”  という言葉が使われている。
上記の問いに対して、正直に答えるならば「がんばりたくない」だった。

「やりたいことがない人」も、やりがいは欲しくて、やることに意味が欲しい。

そもそも、わたしには ”行動の欲” がない。
やりたいことの前には、いつも「暇だし」とか「せっかくだし」とか「成長のために」などという枕詞がついている。

おそらく、「結果がでなければ意味がない」という、悪い思考のクセが邪魔をしているのだろう。意味を求めてがんばるのならば、 ”行動の欲” が出るよう思考を矯正することだ。

"正直” でない自分という新しい視点のおかげで、YouTubeは一時休止。焦燥感の解決には "正直” が必要だと気が付くことができた。

人生で初めて「正直になる」という "状態の欲” が見つかった。

正直のロールモデル

さて、どうやって正直になろうか?

ふと、お笑いカルテットぼる塾 田辺さんが頭に浮かぶ。
スイーツに、漫画やアニメ、そしてアイドルにディズニーと、田辺さんの推し活は大変盛んな印象を受ける。

田辺さんの個人YouTubeチャンネルで、アイドルのコンサート直後、興奮さめやらず言葉にならない感情を噛み締める姿を見て、こんなにも推しに真っ直ぐになれるなんて、うらやましいなと思った。

推し活以外にも、旅してみたい・食べてみたい・眠たいなど、いろいろな欲に素直に向き合っているように見受けられ、何より好きだと語るものに他者目線が全く感じられない。

好きが仕事になるって、おそらくこういうことなのだろう。
心から敬意をもって好きに向き合い、正直で素直に表現される言葉は、発信者の自意識に胸焼けすることがなく受け取れるんだな。

ぼる塾 田辺さんこそ、わたしの「正直のロールモデル」だ。

あわい夢中

ロールモデルの力を借りても、こびりついたサビ=「思考のクセ」は簡単には剥がれないと思う。大人になってからの意識改革は相当難問だ。

だからこそ、振り返り、立ち返ることができる同書に出会えたことに、心から感謝する。錆びついたサッシに潤滑油を吹き付けるように、思考の動きが悪い時には同書を開こうと思う。

そういえば、"サクちゃん”の言葉に触れ、もうひとつ気づいたことがある。
「文章を書きたい」という欲だ。

不思議なことにnoteでは「数字の奴隷」になることがない。
時間はかかるし、気まぐれではあるけれど、noteに向かってタイピングしているときは、夢中になっている感覚がある。ほのかに、かすかだけど。

もしかしたらこれが、"行動の欲”なのだろうか?
答えはまだわからないが、あわい「夢中」を体験できたことを嬉しく思う。

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