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ゲンロンと私 ③與那覇潤



媒介は磯野真穂(人類学者)

ゲンロンの登壇者の一人としての與那覇潤さんは2021年の時点で知っていたし、何ならゲンロン総会のトークイベントで観客として会場に一度、居合わせた。

ただし、本当の意味で元歴史学者(在野研究者)與那覇潤と出合い直すには、四年近くの歳月を費やすこととなった。

そもそもの経緯としては、東畑開人さんの『野の医者は笑う』という本を昨年、手に取ったことに遡る。

その時点で、東畑開人さんが一体、何者なのか?に関する予備知識に乏しかった為、その軽妙洒脱な文体に慣れるまでは、どこか一抹の胡散臭さが抜け切らずにいた。

東畑さんは旧態依然とした心理臨床学の世界をアップデートするため、今も日夜、東奔西走されている訳だが

「臨床心理学」という学問を相対化する手段として「医療人類学」という学問を用いるのが有用である、と主張し

データやその知見を参照しては果敢に現況への挑戦を試みていく…(というのは、その後、何冊か東畑さんの本を読み進めていく中で知ったことだけど)

(東畑さんの鮮やかな筆致には確かに「医療人類学」を用いるのが有用そうだと思わされる説得力は備わってはいたが)その構造がどこかフィクションのようにも思えて、もしかして「医療人類学」という架空の学問を東畑さんがデッチ上げたのでは…?と一瞬、勘ぐったほどだった。

『コロナ禍と出会い直す』

今年、初めて「紀伊國屋じんぶん大賞」に投票した

今年もたくさんの本を読んできたけれど、今年のベスト一冊を選出するとなると
人類学者、磯野真穂さんの『コロナ禍と出会い直す』になるかと思う。

この本を通して、それぞれがそれぞれの「コロナ禍と出会い直す」という読書体験自体が、この本の本質であり、醍醐味のように思うので

具体的な内容に言及するのは割愛したい。

むしろ、その読書体験から僕が何を得た、と感じているかをこの後に羅列してみよう。

それは、磯野真穂さんという人物(一人の人類学者)の在り方と、この本の中で提示された、おそらく「思想」のようなものを通して

・(東畑さんの本から知った)「医療人類学」という学問の実際についての具体例及びその効果を見た気がした

・フィールドワークという言葉は知っていたが、その実践についての具体例に触れた気がした

・大学教員として雇われ働くという現実、そして在野研究者として研究を継続する意味と困難を垣間見た

・(この国で現状)医療者の持つ権威と権力及びヒエラルキーについて、より意識させられた

・山本七平賞受賞の報を受け(小林秀雄賞との比較と)その意義について考えることとなった

以上、今年一年、僕が読んできた多くの本の内容から、その真っ芯を捉えたような本だった(ここまで読んで頂いた方には是非、手に取ってみてもらいたい)

(タイトルに冠した與那覇潤さん以上に)磯野真穂さんについて熱く綴ってしまったが…彼女のこれまでの動向を知れば知るほどにインスピレーションが湧き

『これほど確かな研究を成立させている医療人類学者なら…心理臨床学の更新に本気で取り組んでいる東畑さんとどこかで繋がっているのでは?』

『一度、大学を辞して在野で研究を続けているのなら、過去、ゲンロンに登壇したこともあるのでは…?』

『同じ在野研究者として「元」歴史学者を標榜する與那覇潤さんとも仕事したことがあったりして?』

そのどれもが正解だった。

『知性は死なない』増補版

解説は「現」臨床心理学者、東畑さんが書いている

なかなかにヘヴィな本だった。。。(これはある意味、與那覇さんのキャリアにおける東さんにとっての『動(物化する)ポ(スト)モ(ダン)』のような本と言えるのではないだろうか)

そう感じたのは(双極性障害当事者の文章だからという訳ではなくて)與那覇さんの思想のようなもの、大学教員としての矜持、知性への渇望、そして知識人への失望に対する咽せ返るような想いが抑制された文章の中にも、とても色濃く感じられたからだ。

「元」歴史学者と名乗るのが、かつて在籍した大学に対する恨み節でもなければ
在野研究者としての半ばヤケクソ気味の逆張りでもない、至って真っ当な(與那覇さんなりの)筋の通し方なのだな、と理解した。

その他、やはり変わった造りの本なので、ここで内容を網羅するのは無理があるのだが

少し幅を持って捉えれば、與那覇さん(磯野さん)も僕と同世代なので、特に平成のとある場面を切り取って活写するような際、思わず『わかるなぁ〜(これは話が通じそうだ、話してみたい)』と思わせてくれるところがある(ちなみにこの本の中で描かれた平成史に当たる部分や国政、果てはグローバルな社会の変化まで、一読すれば『なるほど、そういうことだったのか!』と頭の中が整理され、平易にその勘所を押さえられると思うのだが)

中でも2015年、與那覇さんが休職してから社会復帰するまでの取り組みが
その時代の僕の取り組みの流れと奇妙にリンクしていたり、比較相対してみると面白いと感じた(例えば、與那覇さんがリワークプログラムの一環としてブックトークやボードゲームに興じていた時期、僕(ら)はそれらには目もくれず、ビブリオバトル一本槍で鎬を削っていた)

(これらアカデミズム以外の補助線を用いてなら)対話が成立するのではないか?

そう思わせてくれた本であり、もし自分がアカデミアを通過していたら?と振り返り、シミュレーションするのにも役立つ本だった。

『心を病んだらいけないの?』(小林秀雄賞受賞)

カバーは2種類存在するようだ

『知性は死なない』(単行本)が世に出た2018年、春から一年後、
斎藤環(精神科医)さんを相手にゲンロンカフェにて五回に渡り展開した長時間の対談を本にしたものだが

この本は是非、同じく斎藤環さんを対談相手とした『臨床のフリコラージュ』と読み比べてほしい。

心理臨床オタクとガチオタクの対談と東畑さん自身は評していたが、もちろん自分自身、公認心理師として専門家の立場で読む面白さというのも確かにあるのだが

『心を病んだらいけないの?』には、実際に病を経験した與那覇さんの当事者性からくる真摯な求道心がとても鋭く、どちらかといえば、専門家同士の『臨床のフリコラージュ』以上に胸に迫るものがあった。

また、モノローグに当たる『知性は死なない』に比べ、アカデミアの先達でもある斎藤さんの胸を借りながら、道半ばで離れた大学教育に対する忸怩たる想いや辛辣な問題提起を舌鋒鋭く伸び伸びと展開できたというのもあるだろう(実は『知性は死なない』は與那覇さん自身の当事者研究とも言えるのではないか、東畑さんの存在は心理を志す人以外にも届く、河合隼雄以来のジェネラリストの誕生ではなかろうか?と胸の内で独りごちていたのだが、そのどちらも斎藤環さんが対談集の中で言い当てていた)

未来アクションフェス



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公認心理師キンキー
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